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不滅社畜の異世界生活   作者: ねと


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3/3

一万一回目の反逆

深い、深い、泥のような意識の底。

そこには「佐藤海斗」という個人の尊厳も、救世主としての誇りも残っていなかった あったのは、ただ延々と繰り返される「死」と「再生」という、終わりのない単純作業の残滓だけだ。


……ドクン、と。

胸の奥で、錆びついた歯車が一度だけ、無理やり回されたような感覚がした。


頬に伝わる温かな滴。それは、かつて自分が救った少女の涙だった。

その温もりが、外界との唯一の接点となり、カイトの脳内に膨大なログを強制的に流し込んでいく。


一万回分の、死の記憶。


心臓を貫かれた時の凍りつくような冷たさ。

腹を割かれた時の焼けつくような熱さ。

神経を魔力で焼かれた時の、脳が裏返るような激痛。


それらが一つにまとまり、濁流となって押し寄せた。通常なら、この瞬間に精神は蒸発し、廃人になる。だが、カイトの精神は、前世のブラック環境で培われた「最悪な生存本能」を発揮した。


(……ああ。そうだ。分析は終わっている)


怒りよりも先に、異常なほど冷めた「現状把握」が戻ってきた。

かつて深夜のオフィスで、終わらない修正依頼のメールを眺めながら、「どうせやるしかないんだ」と心を無機質な石に変えた、あの感覚。


(この三ヶ月、俺はここで『仕事』をしていたんだな。……救世主という名の、無償の消耗品として)


意識が明瞭になるにつれ、カイトの思考は「人間」から「精密機械」へと変質していった。

一万回殺される過程で、彼は無意識のうちに学習していたのだ。

魔導技師がメスを握る癖。騎士たちが剣を振り下ろす瞬間の重心。魔法が発動する際の大気の震え。


一万回分の「データ」が、彼を地獄の支配者へと書き換えていく。


「……あ、……ぁ……」


声が、漏れる。一万回、悲鳴以外に使わなかった喉が、ひび割れた音を出す。

カイトの瞳に、薄っすらと光が戻る。それは生還者の喜びではなく、「復讐を完遂させる」と決めた、冷酷な業務遂行者の光だった。


視界の隅で泣いている少女を認識する。彼女は、この地獄で唯一、自分を「部品」としてではなく「人間」として扱おうとした。

その事実が、カイトの中に残っていた「感情」の奥底に隠された、絶対に譲れない『信念』という名のプログラムに火をつけた。


カイトは、自分の手首を締め付ける重厚な魔導の鎖を見つめた。

一万回前、それは「絶対に外れない絶望」に見えた。

だが、一万回、その鎖に肉を食い込ませ、骨を砕かれ、何度も再生し直してきた今のカイトにとって、その鎖はもはや『何度も触れて、弱点を知り尽くした、古い備品』に過ぎなかった。


カチャリ、と。

静寂を切り裂いて、解体場の重い鉄扉が開いた。


「ふぅ……。全く、07の再生効率が落ちてきたな。魔力供給の術式を調整しなきゃならん……」


独り言を言いながら入ってきたのは、数時間前までカイトの腹を裂いていた若い魔導技師だった。彼は鼻歌まじりにカイトの元へ歩み寄ろうとし、そして、血の海に膝をつく少女の姿を捉えた瞬間、その顔を怒りで真っ赤に染め上げた。


「……なっ!? な、なんだ、お前は! 誰だ、こいつを入れたのは!!」


技師の叫び声が、狭い解体場に反響する。彼は信じられないものを見たというように、自分の髪を掻きむしった。


「奴隷か!? 貴様、ここをどこだと思っている! ここは王国の最重要機密区域だぞ! 掃除係が勝手に立ち入るなど、万死に値するわ!!」


技師は、床に散らばっていた解体用のメスをひったくるように掴んだ。その目は、侵入者への恐怖よりも、「自分の失態(奴隷の侵入)を隠蔽しなければならない」という卑屈な殺意に満ちていた。


「目障りな家畜め! 貴様のようなゴミに触れられて、07の『純度』が下がったらどうしてくれる! ここで殺す!」


技師が顔を歪ませ、少女の細い喉を目掛けてメスを振り上げたその時。


「誰が触れていいと言った」


地這うような声。

技師の腕が、空中で何かに固定されたかのように、ピタリと止まった。


「な……お前、意識が……」


技師の視線が、台の上で横たわっていたはずのカイトへ向く。

カイトは顔を伏せたままだ。だが、彼の手首を縛っていた魔導の鎖が、見たこともないほど激しく火花を散らし、ギリギリと悲鳴を上げている。


「動くな! 07! おとなしく寝ていろと言っているだろうが! お前はただの『部品』なんだよ!」


技師は焦りから、台の脇にある「拘束強化」のレバーを力任せに引いた。鎖から強烈な電撃と重力魔法が放たれ、カイトの肉体を台に押し潰そうとする。

普通なら骨が砕け、内臓が潰れる圧力。


だが、カイトは「無表情のまま」その圧力に抗って上半身を起こした。


バキッ、ジャラリ。


金属が千切れる音。

カイトは鎖を引きちぎったのではない。彼は一万回の死の中で、この拘束魔法が「どの波長で肉体を抑えつけているか」を、細胞レベルで理解(学習)してしまっていた。

彼はあえて自分の骨を瞬時に脱臼させ、魔法の干渉を「透かす」ようにして、拘束の死角から腕を抜き取ったのだ。


「ひ……ひぃいっ!?」


拘束を抜けたカイトの手が、目にも止まらぬ速さで技師の喉元を掴み上げた。

そのまま、自分が寝かされていた台の上へと、技師の体を叩きつける。


「……万死に値する、だったか」


カイトは、逆方向に曲がった自分の手首を、無造作にひねって「再生」させながら、技師を見下ろした。その瞳には、かつての温厚なサラリーマンの面影はなく、ただ、淡々と「害虫」を処理しようとする冷徹な光が宿っている。


「お前たちの理論で行けば……俺も、この子も、ただの『スペア』だったな。……なら、壊れても文句は言えないはずだ」


カイトの指先が、技師の首に食い込んでいく。


その時、静寂だった地下室に、激しい金属音が響き渡った。


「何事だ! 07の部屋から悲鳴が――」


鉄の扉を蹴破り、完全武装の聖騎士たちが三人、なだれ込んでくる。

彼らが見たのは、血塗れの実験台の上で、自分たちの同僚である魔導技師を無造作に絞め殺そうとしている、かつての「救世主」の姿だった。


「貴様……意識を取り戻したか! 離せ、その者は王国の重要人物だ!」


先頭の騎士が抜剣し、鋭い踏み込みと共に斬りかかる。

カイトはそれを、避けない。

 

ズドッ、と重い音がして、騎士の長剣がカイトの左肩から胸元まで深く食い込んだ。

傍らで見ていた少女が悲鳴を上げる。だが、カイトの表情は、鏡のように無機質なままだった。


「……一万回も斬られれば、嫌でも覚える。……お前たちの剣筋は、教本通りで読みやすい」


「な……っ!?」


カイトは自分を斬った剣を、再生し始めた肉体で「噛む」ようにして固定した。

剣が抜けない。驚愕で動きを止めた騎士の首を、カイトは自由な右手で、まるで熟した果実を摘むような動作で掴んだ。


ミシミシ、と骨が軋む音が響く。


「予測しやすい『攻撃』だな。……一万回、一万回だ。この痛みだけをマニュアル化してきたんだからな」


カイトは騎士の首をへし折り、そのまま奪った剣を自分の体から引き抜いた。

切断された血管から血が噴き出すが、彼が次の一歩を踏み出した時には、その傷口からは既に新しい肉が盛り上がり、傷跡すら消えかかっている。


「化け物……! 化け物め!!」


残る二人の騎士が、恐怖をかき消すように魔法の炎を纏った槍を突き出す。

カイトは奪ったばかりの長剣を、流れるような動作で振るった。


それは、彼が前世で剣など握ったことがないはずの男だとは信じられない、洗練された剣技だった。

否、それは「技」ですらない。

一万回殺される中で『どの角度で斬れば、人は最も効率的に死ぬか』を、自分の肉体を解体書として学習してしまった、究極の「効率化」の結実だった。


一閃。

槍の穂先が飛び、続く二閃で騎士たちの喉笛が同時に裂かれた。


崩れ落ちる鋼鉄の鎧。

血の海の中で立ち尽くすカイトは、返り血を拭うことさえせず、ただ倒れた騎士たちが持っていた「資源」を確認するように見下ろした。


「……これで、今日のノルマは達成かな」


かつて彼を「部品」と呼んだ者たちが、今はただの動かない「肉」として床に転がっている。

カイトは、恐怖で腰を抜かしている少女にゆっくりと歩み寄り、血のついていない方の手を、優しく差し出した。


「……怖がらせて、済まない。もう、誰も君を『ゴミ』とは呼ばせない」


その声は、騎士たちを屠った時の冷酷な響きとは異なり、かつて路地裏で彼女に笑いかけた「カイト」のものだった。少女は震える指先で、彼に贈られた重いマントを握りしめ、言葉にならない嗚咽を漏らした。



「……か、カイト様……。わたしたち、どうなるの……?」


「どうにもならない。……ただ、辞職するだけだ。この最悪な職場をな」


カイトは奪った剣を杖代わりにつき、暗く長い地上への階段を見上げた。

その階段は、かつて彼が「救世主」として盛大に迎え入れられ、そして裏切られて引きずり降ろされた、偽りの栄光へと続く道だ。


一万回の死を経て、カイトは理解していた。

この国は、彼を「神」として崇めるか、「部品」として使い潰すかの二択しか用意していない。そこに一人の人間としての居場所など、最初から無かったのだ。


(……一万一回目。ここからは、俺の『裁量』で動かせてもらう)


カイトは、少女の手をしっかりと握った。

彼女の手は冷たく、けれど生きていた。カイトがこの地獄で唯一守り抜いた、たった一つの「成果」だった。


「……名前、まだ聞いてなかったな。君に似合うものを、一緒に考えよう。……俺たちが、部品じゃなく『人間』として生きていくために」


「……はい、……はいっ……!」


カイトは、少女を庇うようにして最初の一歩を刻んだ。

階段を一段上るごとに、再生し続ける肉体が軋み、一万回分の痛みが脳を焼く。だが、その痛みこそが、彼が「生きている」証だった。


地下の闇を抜け、地上に辿り着いた時、夜明け前の冷たい風が二人の頬を撫でた。

遠くで、交代の騎士たちの足音が聞こえる。まもなく、地下の惨状が露見し、王国全土に「救世主の反逆」が知れ渡るだろう。


カイトは振り返ることなく、王宮の影が落ちる城下町の方角を見つめた。

彼の背中には、もう「社畜」の悲哀も、「聖者」の慈悲も残っていなかった。

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