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不滅社畜の異世界生活   作者: ねと


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1/3

コンマ五秒の永遠

「……カイト君。君の代わりなんて、いくらでもいるんだよ?」


上司のその言葉は、もはや鼓膜を震わせるだけの無意味な振動だった。

深夜二時。オフィスビルを照らす蛍光灯の青白い光が、デスクに突っ伏したカイトの視界を刺す。


佐藤海斗さとう かいとは、都内の中堅IT企業に勤める、どこにでもある「部品」だった。

三日間不眠不休。胃に流し込んだのは、濃い目のブラックコーヒーと、気休めの栄養ドリンクだけ。

心臓が不規則なビートを刻み、指先はキーボードを叩く感覚を忘れている。


「明日までにこの仕様変更、終わらせておいてね。あ、有給? 君、今この状況でそんなこと言える立場だと思ってるの?」


上司の背中を見送る気力もなかった。

カイトはただ、液晶画面に映る無機質なコードの羅列を見つめていた。


(代わり……か。そうだよな。俺が今日ここで消えたって、明日には新しい誰かがこの席に座って、同じようにキーボードを叩くだけだ)


感情を殺す。痛みを無視する。思考を止める。

それが、この「ブラック企業」という戦場で生き残るためにカイトが身につけた、唯一のスキルだった。


ふと、視界が歪んだ。

心臓が、一度だけ大きく跳ね、その後――すべての音が消えた。


(ああ、やっと……「退職」できるのか……)


床に沈んでいく感覚の中で、カイトは生まれて初めて、深い安らぎを感じていた。

だが、その「安らぎ」は数秒も持たなかった。



「……目覚められたか! 聖なる転生者様が、目をお開けになったぞ!」


騒がしい声に、カイトは重い瞼を持ち上げた。

オフィスの埃っぽい匂いではない。高貴な香香と、柔らかな日の光。

 

天井を見上げれば、見たこともない壮麗なフレスコ画が広がっている。

カイトが横たわっていたのは、都内のワンルームマンション一ヵ月分の家賃よりも高そうな、シルクの寝具だった。


「気分はいかがかな、カイト殿。……いや、『救世主様』とお呼びすべきかな?」


傍らに立っていたのは、立派な髭を蓄えた、王冠を戴く老人だった。

その背後には、銀の甲冑に身を包んだ騎士たちがずらりと並び、一斉に膝を突いて頭を垂れている。


(異世界……転生? まさか、俺が……?)


混乱するカイトを余所に、王は慈愛に満ちた笑みを浮かべて、彼の肩に手を置いた。


「驚くのも無理はない。貴殿はこの国を救うため、星の彼方から招かれた特別な存在だ。」


窓の外を見れば、城下町の広場まで人々が溢れ、カイトの降臨を祝う祭りが始まっていた。

 

「さあ、カイト殿。まずは貴殿の来訪を祝し、宴を開こうではないか。この国は貴殿を歓迎する。貴殿の望むものは何でも与えよう」


昨夜まで、深夜のオフィスでブラックコーヒーを啜りながら「ゴミ」のように扱われていた自分が、今は大勢の貴族たちに崇められている。


(……ああ、よかった。今度こそ、俺は……大切にされる場所に来られたんだ)


ふかふかのソファに身を預け、カイトは安堵の溜息を漏らした。

窓の外では、自分の名を呼ぶ民衆の声が遠く鳴り響いている。

 

これまでの人生、自分は常に「誰かのための歯車」だった。

けれど今は違う。ここでは自分が主役なのだ。

 

「カイト様、少しお疲れのようですね。次の式典まで少し時間がございます。お一人で休まれますか?」

 

給仕の言葉に、カイトはふと思いついた。

 

「……ああ。少し、この国の風を感じてきたいんだ。一人で歩いてもいいかな?」

 

前世では、深夜のオフィスからコンビニへ行く数分間だけが、唯一許された「外の空気」だった。

せっかく手に入れた新しい人生だ。自分を歓迎してくれているこの街を、自分の足で歩いてみたい。

 

カイトは「少し休む」と嘘をついて、用意された煌びやかな正装の上から、目立たない茶色のマントを羽織った。

警護の騎士たちの目を盗み、通用門を抜ける。その足取りは、前世の重苦しい通勤風景とは正反対の、弾むような軽やかさだった。


「ふぅ……。夢みたいだ。あんなに丁重に扱われるなんて、前世じゃ考えられなかったな」


石畳の道、行き交う馬車、活気あふれる市場。

カイトの目に映る異世界は、まるでファンタジー映画のセットのように輝いていた。

宮殿の重苦しい空気から解放され、カイトは初めて自分の「新しい人生」を実感していた。


だが、大通りを外れ、路地裏へと足を踏み入れたとき――その光景は一変した。


「……っ、この、ノロマが!」

「ひっ、……あ、あう……っ」


汚濁の溜まった路地。数人の男たちが、地面にうずくまる小さな影を蹴り飛ばしていた。

カイトの足が止まる。


そこにいたのは、ぼろきれのような服を纏った少女だった。

白かったはずの肌は泥にまみれ、何より目を引いたのは、その鎖骨のあたりに赤黒く盛り上がった、不気味な【焼印】だった。


「おら、立てよ! これだから奴隷は使い物にならねぇんだ!」

「……ご、ごめんなさ……っ」


男たちが再び足を振り上げた瞬間、カイトの体が勝手に動いていた。


「やめろ!」


カイトが間に割って入ると、男たちは面食らった顔で足を止めた。


「あん? なんだお前、余所者か。こいつは俺たちの金で買った『家畜』だ。何しようが勝手だろ」

「家畜……? 人間だろうが。……いくらならいい。こいつを離せ」


カイトは宮殿で持たされた金貨の袋を無造作に投げつけた。

社畜時代、理不尽に踏みつけられる苦しみを知っていたカイトにとって、この光景は他人事とは思えなかったのだ。


金に釣られた男たちが去った後、路地には静寂が訪れた。

カイトは膝をつき、震える少女にそっと手を差し伸べる。


「大丈夫か? ……立てるか」


少女は怯えたように肩を震わせ、カイトの手を見つめた。

この国では、奴隷は石を投げられる対象でしかない。手を差し伸べる者など、これまで一人もいなかったのだ。


「……あ……う……」


少女は躊躇いながらも、カイトの大きな手に、自らの泥だらけの小さな手を重ねた。

 

「お気になさらず。俺もつい昨日まで、似たような『使い捨て(しゃちく)』でしたから。……これからは、自分を大切にしろよ」


カイトは手近な井戸から汲んだ水で彼女の手を洗い、優しく笑いかけた。

 

少女の瞳に、初めてカイトの姿が鮮明に映る。

それは、焼印を見ても顔を背けず、自分を「人間」として扱ってくれた、初めての温もりだった。


(……温かい……。この人は……だれ……?)


カイトにとっては、数分間の気まぐれな善行。

だが、この瞬間、少女の中でカイトは「唯一の光」として刻み込まれた。


「じゃあな。元気で」


カイトは彼女の頭を軽く撫で、宮殿へと戻っていった。

 

少女は、カイトが去った後も、洗われた自分の手をいつまでも、いつまでも大切そうに見つめていた。

それが、次に彼と出会う場所が「地獄の底」であることを、まだ二人は知らない。

大広間に戻ると、王は満面の笑みでカイトを迎え入れた。


「おお、カイト殿! どこへ行っておられた。主役が不在では宴が締まらぬではないか!」


拍手喝采の中、カイトは再び上座へと案内される。

テーブルには、見たこともない豪華な肉料理や果実が山のように積まれていた。前世の深夜、コンビニの冷えた弁当をかき込んでいた生活が、まるで遠い前世……いや、悪い夢だったかのように思える。


「さあ、カイト殿。仕上げに、我が国に伝わる最上の美酒で乾杯しよう。これぞ、異世界から来られた貴殿と、我が王国の永遠の絆を祝す杯だ!」


王自らが、金色の装飾が施された美しい杯に、深紅の液体を注ぐ。

それは血のように赤く、どこか甘い香りがした。


「……ありがとうございます。この国の皆さんの温かさ、一生忘れません」


カイトは心からの感謝を込めて、その杯を手に取った。

疑いなど、微塵もなかった。

自分を必要としてくれる場所。自分を「部品」ではなく「救世主」と呼んでくれる人々。

カイトは一気に、その液体を飲み干した。

大広間での宴は、最高潮に達していた。

カイトの隣では王が朗らかに笑い、給仕たちは次々と豪華な料理を運んでくる。


「カイト殿、少し飲みすぎたかな? 顔色が優れぬようだ」


王が親切そうに声をかけてきた。実際、慣れない立ち振る舞いと熱気で、カイトの鼓動は少し早まっていた。


「……すみません、少し風に当たりたいのですが」

「おお、それは失敬した。では、奥の離宮にある静かなテラスで休まれるが良い。案内させよう」


王の合図で、一人の物静かな老魔術師がスッと歩み寄ってきた。

カイトは周囲の貴族たちに「少し失礼します」と会釈し、温かい拍手に見送られながら、賑やかな広間を後にした。

 

静かな廊下。

喧騒が遠ざかり、魔法の灯火ともしびだけが壁を照らしている。


「……ここです、カイト様。冷たい水を用意させました」


案内された小部屋で、老魔術師が銀のカップを差し出す。

 カイトは何の疑いもなく、その水を一気に飲み干した。


「……あ?」


喉を通った瞬間、内臓を氷の針で刺されたような、形容しがたい違和感が走った。

視界がぐにゃりと歪む。

手に持っていた銀のカップが、床に落ちて鈍い音を立てた。


「……が……はっ……な、何を……」


力が抜けたカイトの体を、老魔術師が冷徹な手つきで支え、そのまま床へ転がした。

 

「カイト様は、急な体調不良により離宮にて静養される。……表向きは、そういうことになっております」


背後から、聞き慣れた王の声がした。

いつの間にか部屋に入ってきた王は、さっきまでの慈愛に満ちた表情を捨て、最新鋭の「機材」を検品するような冷酷な目でカイトを見下ろしていた。


「……ま、待て……っ……!」

「案ずるな、カイト殿。その薬は、神経を麻痺させ、意識を保ったまま肉体を固定するものだ。……貴殿の『不滅』を確かめるには、これが一番効率的でな」


王がカイトの髪を掴み、無理やり顔を上げさせた。


「予言は正しかった。貴殿の体には、凄まじい再生の魔力が宿っている。……死なない。何度壊しても、元通りになる。これほど素晴らしい『魔導兵器の部品スペア』は、他にいない」


(部品……? 今、なんて……)


「連れて行け。地下の『解体場』へ。……今日から貴殿は『スペア07』だ。……01から06までは、三日と持たずに精神が壊れたが……社畜とやらの粘り強さ、見せてもらおうではないか」


カイトの叫びは、麻痺した喉を震わせることもできず、掠れた吐息となって消えた。

隠し扉が開き、数人の無言の騎士たちが、カイトを袋に詰めるようにして暗い地下へと運び去る。


表ではまだ、救世主の降臨を祝う音楽が鳴り響いている。

カイトという「人間」が消え、一人の「消耗品」が誕生したことに、誰も気づかないまま。

石造りの冷たい台の上に、カイトは鎖で固定されていた。

体は動かない。声も出ない。だが、五感だけは異常なほどに冴え渡っていた。


「……さあ、始めようか。スペアの耐久試験だ」


白衣を着た魔導技師が、無機質な手つきでメスを握る。

王国の魔導兵器を強化するため、あるいは新たな魔力を抽出するため。

カイトの「不滅の肉体」は、文字通り『資源』として扱われた。


「ぎ、あ、ぁぁあああああああああ!!」


喉の麻痺が解かれたのは、悲鳴を上げるためではなく、ショック死を防ぐための魔力を流し込むためだった。

 

腹を裂かれ、内臓を摘出され、骨を砕かれる。

普通なら一秒で意識を失う激痛。だが、カイトの体は神のギフトによって、失われた部位を即座に、完璧に再生させてしまう。


「ほう、素晴らしい再生速度だ。心臓を止めても三秒で動き出す。これなら、一日百回は『素材』を採取できるな」


技師たちは、カイトを人間だとは思っていない。

壊れても元通りになる、最高性能の『自動再生部品』。

 

一日。十日。一ヶ月。

カイトの日常は、ただ「殺されること」に塗りつぶされた。

 

前世の社畜時代、彼は「自分は部品だ」と自嘲していた。

だが、ここではそれが比喩ではない、残酷な現実だった。

 

(……死なせてくれ……。誰か……殺して……)


百回殺されたとき、カイトは神を呪った。

千回殺されたとき、カイトは自分の名前を忘れた。

五千回殺されたとき、カイトの精神は真っ白な灰になり、ただ痛みを受け入れるだけの「肉塊」へと成り果てた。

 

「理不尽に耐える」という、前世で培った最悪の才能が、彼を地獄に繋ぎ止めていたのだ。


そして、一万回目の死。


カイトの意識は、底の見えない暗闇に沈んでいた。

もう、痛みすら遠い。自分が人間だったのか、ただの肉の塊なのかも分からない。

 

技師たちが「今日はもういいだろう。」と、作業を終えて去っていく。

暗い部屋に、放置された死体同然のカイトだけが残される。

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