【2話】静かな森と、戻れない日常
森を抜けたとき、俺はようやく息をついた。
静かすぎる。
鳥の声も、虫の音も、妙に遠い。
(……やりすぎた、よな)
背後を振り返ると、木々の一部が不自然に倒れ、地面には深い亀裂が走っている。
どう見ても、ただの薬草採取の帰り道じゃない。
「……目立つわね」
隣を歩くリュカが、淡々と言った。
「ごめん……」
反射的に謝ると、リュカは少しだけ首を傾げる。
「別に責めてない。ただ、村の皆に説明するのが面倒そうだなって」
それはそうだった。
村にとって、森は生活の場であり、同時に命の境界線だ。
その森が荒れているとなれば、話題にならないはずがない。
村に入ると、案の定だった。
井戸のそばで水を汲んでいた大人たちが、ひそひそと声を落としている。
「森の奥、変だったぞ」
「モンスターか?」
「魔力の残り方が異常だ…これだけ残るのは、最低でもCランクだな」
Cランク。
その言葉に、胸の奥が少しだけ冷える
俺は、自然と俯いた。
(……俺がやった、とは言えないよな)
薬草を採りに行っただけの、落ちこぼれの子どもが――Cランクのモンスターを倒した?
しかも、森に被害まで出した?そんな話、誰が信じる。
家に戻ると、母さんが出迎えてくれた。
「おかえり。今日はどうだった?」
いつもの優しい声。
それが、胸に刺さる。
「……薬草は、採れた」
差し出す袋を受け取り、母さんは少し安心したように笑った。
「無理しなくていいのよ」
その一言が、いちばん重い。
この村では、冒険者は夢の職業だ。
才能がなければ、訓練場に立つことすら許されない。
冒険者は魔物を倒して成長する。
それを、この世界では「レベルが上がる」と呼ぶ。
でも俺は――
生まれてから一度も、その実感を得たことがなかった。
夜。
部屋で、俺は例のノートを机に置いた。
『漆黒黙示録~闇に抱かれし終末の書~』
見るだけで胃が痛くなる。
(……他にも、書いてたはずなんだよな)
ペンを持つ。
書こうとした瞬間、指が止まった。
何も浮かばない。
無理に思い出そうとすると、頭の奥がじくりと痛む。
まるで、思い出すこと自体を拒まれているみたいだった。
「……都合よすぎ、か」
使えたのは、あの剣だけ。
思い出せた分だけしか、顕現しない。
チートみたいで、全然チートじゃない。
翌朝。
村の掲示板に、人が集まっていた。
「森の調査を依頼する」
「ギルドに連絡だな」
「Cランク以上なら、早めに手を打たないと」
俺は、その輪の外で立ち止まる。
(……戻れない、か)
もう、ただの薬草採取の日常には戻れない。
森は知ってしまった。
そして、俺自身も。
リュカが、俺の隣に立つ。
「怖い?」
少しだけ、正直になる。
「……怖い」
リュカは、いつもの落ち着いた表情のまま言った。
「じゃあ、一緒に考えよ」
それだけで、胸の奥のざわつきが、ほんの少しだけ静まった。
机の上のノートが、かすかに音を立てた気がする。
白紙のページに、一瞬だけ、黒い染みが浮かび――消えた。
俺は、それを見逃さなかった。




