【8話】村を出る。
出発は、朝だった。
まだ村が完全に起きる前。霧が低く漂い、道の先がぼんやりと白い。
「……ほんとに行くのね」
リュカが、隣で言う。
「ああ」
短く答える。
それ以上の言葉は、出なかった。
背中には簡単な荷物。
薬草袋と、水筒。
そして――胸元の、ノート。
村の外へ出る道は、何度も見てきた。行商人や、たまに来る旅人が通るだけの、細い一本道。
なのに。
一歩踏み出した瞬間、妙に足が重くなる。
(……戻れない、って感じでもないのに)
戻ろうと思えば、戻れる。
足を止めれば、それで終わる。
でも……止まらない。
しばらく、無言で歩いた。
鳥の声。
風に揺れる草。
森の境界線が、少しずつ遠ざかっていく。
「ねえ」
リュカが、前を向いたまま言う。
「怖い?」
「……まあ」
「正直ね」
少し間があって。
「でも」
俺は続ける。
「怖いから、行くんだと思う」
自分で言って、少し驚いた。そんなこと、考えたこともなかったのに。
リュカは、ちらっとこちらを見る。
「珍しく、まとも」
「褒めてる?」
「一応」
それきり、また静かになる。
昼前、道の脇で休憩を取る。
パンを齧りながら、俺は空を見上げた。村からは、もう何も見えない。
「……なあ」
ふと思い出して、聞く。
「もし、あの時何も起きなかったらさ」
「起きたわよ」
即答だった。
「森の異変」
「冒険者」
「ノート」
指折りで挙げられる。
「どれか一つでも、起きてた」
「だから、今ここ」
あまりにも冷静で、ぐうの音も出ない。
「……はい」
その時。
胸元が、じんわりと温かくなった。
(やめろ)
ノートを取り出すと、案の定。
白紙のはずのページに、小さく一行。
『※順調にフラグ進行中』
「進行すな」
リュカが覗き込む。
「何?」
「……何でもない」
「今の間、絶対“何でもない”じゃないでしょ」
だが、深追いはしてこなかった。
それが、逆にありがたい。
午後。道が少し険しくなる。街が近い証拠だ。
「この先に、街」
「人、多い?」
「村の何倍もね」
想像して、胃がきゅっと縮む。
「……浮かない?」
「浮く」
「即答か」
「大丈夫」
リュカは言う。
「変なのは、あんただけじゃない」
フォローなのか、そうでないのか。
遠くに、建物の影が見え始める。
石の壁。
門。
たくさんの人の気配。
胸が、少しだけ高鳴った。
怖い。
でも――
(……逃げてはいない)
それだけで、十分だった。
ノートが、静かだ。
今は、何も書かない。
まるでここから先は、“現地で学べ”とでも言うように。
落ちこぼれは、まだ名乗らない。
だが――
冒険の入口は、もう目の前だった。




