いち
腹の底を揺さぶり、背骨が軋むくらいの重低音。ドラゴンの咆哮だ。
不可思議に奏でられる魔法の角笛は便利だ。ドラゴンの咆哮を真上にして、耳にじんと届き、音を聞かざるを得ない。体を音色が跳ね駆ける度に、足も知らずと導かれてゆく。またこれが、なんとも楽しい気分になるのだ。
斧を背負っていなかったら、もっとずっと音色に身を任せられたのになあ、とテシャはちょっぴり残念に思った。
テシャの後ろでは、記録係の白魔法使いがぷかぷか宙に浮かびながらせっせと何かを書いている。王の監視なのは明らかだったので、悪童あがりのガンダルビダなんかは、撒いて置き去りにしちまおうとすぐに言い出すに違いなかった。
意外にも、勇者になった友は何も言わず、戦いに参加もしない彼女のことを、見えているのか見えていないのか微妙な線引きをして扱っていたものだ。
今は共に勇者のお供から離れ、テシャの行く末を見定めるかのように宙を漂っている。筆記速度を無視すれば、のんきな仕事ぶりだと言いたくなったことだろう。
テシャはもっとずっと高く、空高く聞こえるように角笛を吹きすさぶ。
応えるかのようなドラゴンの咆哮は実に頼もしい。実は彼は、咆哮に魔法を混ぜてこの大行列を鼓舞し叱咤し進ませ続ける努力をしてくれている。
叫びの森を意気揚々と進むこの行列には、人間は斧振りテシャと白魔法使い、あとは解放囚人の荒くれ者や女子どもが十数人だ。彼らは、ドラゴンの魔法で歩くしかなかったが、他の種族のものたちは、角笛の音色に惹かれて小躍りしながらついてきていた。
たとえば、木の乾いた肌に緑の豊かな髪をもつリュドンの精たち、群れず思い思いに飛ぶ不死鳥の一族、大きな足が一本の跳ね小人たち、岩に隠遁し静かに歩む巌の巨人。
他にも多彩な種族が大きく数えて三つ、四つとあり、さらにテシャのために駆けつけたライオンや熊、うさぎやロバという動物も合わせて、恐れで叫び惑うこの森に収まりきらずはみ出るくらいの珍行列。興味をもった森の住人の、体を透けさせた青白い肌の幽霊族も加わって、誰も恐れず叫ばず、普段のひっそりした森の様相はどこへやら。
「間もなく憂いの沼地です。ここを抜けて渇きの谷からぶっ刺し棘山を登ると先回りできます」
宙に浮かぶ観測器くらいの認識でいた白魔法使いが、唐突に口を開いた。彼女はもともと導き手も兼ねて選ばれており、時折思い出したかのように記録の仕事と両立する。
テシャは彼女がどんな表情をしているかも気にせず、ゆったりと角笛を吹くに任せ、息継ぎの合間に返事した。
「ぜったい、まにあわせる」
その目には力強い気持ちが込められていた。
「しかしよぉ! 勇者様は俺らが足手まといなんだろ? 間に合ってどうすんだ? 」
「無駄なことはしねえで、さっさとドラゴンの口を閉じさせやがれウスノロ!」
二人の会話を聞いていた解放囚人たちは、文句や不満で場を満たそうとしていた。女子どもの、明らかに力弱い囚人は疲れたように肩で息をするばかりだった。中には白魔法使いをいやらしい目で見て、呼びつけようとする者もいた。もっとも、白魔法使いは目深に被るフード付きマントの中で、眉一つ動かしてはいないだろうが。
この囚人たちは、勇者ガンダルビダの旅の供として王命でつけられた同行者だった。一人ひとりの両腕に魔法のかかった黒い枷を嵌めてあり、勇者には白い錠に鎖が突っ込まれているような道具が与えられた。鎖を引っ張ると、黒枷を嵌めた者の手足の自由を奪うしくみだ。
ただ、これという者を狙って鎖を引っ張っても、全員に平等に魔法がかかるため、うっかり使おうものなら魔法が解けるまで待たないといけない不便さがあった。行程が遅れるし、やる気のない囚人の不満や愚痴はうるさく、なんて役に立たないものを貸してくれるんだろうとテシャは思った。ガンダルビダなんかは辟易した顔で、うるさい奴らの話を聞こえない振りする技術は上がっただろと言っていた。
そんなわけで、勇者一行の旅は大変だった。
脱走しようとするのは当然として、食糧をひとりじめしようとしたり、心赴くまま暴れようとしたり、自制が利かず好きにやりたいものの集まりだ。勇者一行という言葉に、心響くものはなかったらしい。
ガンダルビダはとりあえず荒くれ者を押さえる役割だった。剣を使わなくても充分過ぎる怪力で、自分よりふた回りほどもごつい男の顔を片手でひっ掴んで投げ飛ばしていた。
初めにこの技を披露してからは変に暴れようとする人はいなくなったものだから、さすがだ。
いっぽう、テシャの役割は食糧の管理だった。テシャも勇者より一回りくらいの大男だったから、彼いわく威圧感があるらしい。にらむのは苦手だったが、こらっと咎めるように見るとしおしおと引いていった。子どもは泣いた。
だんだん旅の中でテシャの人となりがわかってくると、囚人たちはテシャをウスノロだとか出来損ないだとか言って馬鹿にし始めた。そんな一言を聞くだけで、幼なじみの友、ガンダルビダはすっ飛んできて悪い口々に制裁を加えていた。
だが、病気の振りなど悪どく言いくるめて食糧を掠めとる者も出てくるようになった。
食糧が完全に尽きたのは、もう一山登れば魔王のもとへたどり着く段になったときだった。くわしい地点をいえば、魔王がいるという、無の頂に至る山道のはじめ辺りだ。反対側に回ればぶっ刺し棘山の登り口で、まあ結局どちら側からでも目的地には行ける。
ただ、ぶっ刺し棘山の場合は実のなる木がこんもり繁っているものの、通る度に人体を貫通する巨大な棘がずんずん生えてくるので、いちいち刈り取りながら進まないといけない。
ではと選んだ山道は、岩ばかりの険しい道で、食糧の調達も頂までないに等しかった。
囚人たちはここぞとばかりにテシャを責めた。




