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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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秋の文芸2025

ワーストベストフレンド

作者: ナミビアの葛飾北斎
掲載日:2025/10/10

この文の羅列のどこに友情が見出だせるのか、それは読者に飲み込まれて初めて完成する。それが小説というものの要素のひとつ

海底には砂がある。

砂の上には岩がある。

岩の中には空洞があり、そこに魚が住んでいる。


クリスタルクリアウォーターと評されるビーチの海は、その名の通り透き通っていて美しかった。


海に潜ると青い魚の群れが花火のように散る。

口から吐いた空気はゆらめく海面のカーテンへと溶けていく。


高橋愛は魚の夢を見る。

呼吸が永久に続くなら、どこまでだって泳げるのではないか。

そんな幻がいつか現実になると信じていたころがあった。


肺がしぼみ、血液から酸素が奪われていく。

人体の限界を嫌と言うほど思い知らされる。


涙は海水と即座に混じり合い、初めから悲しくなんかないと錯覚してしまう。

母なる海に抱かれると諦めも、怒りも、なにもかも平べったく伸びていき、暗澹たる海底へと引きずり込まれていくのだった。


ある月夜の晩に、高橋愛はテトラポットの隙間から助けを求める声を耳にした。

周りには誰もおらず、ただ月だけが全てを監視している。


「誰かいるの?」


宵闇に高橋愛の澄んだ音色が拡がっていく。

波打ち際まで五線譜が駆け下りていく。


真っ白な汚れたカップラーメンの容器が波飛沫とぶつかりクルクル回転している。


「私を呼ぶのは、誰?」


雲ひとつない夜空に星々は瞬き、潮風が高橋愛の頬を撫でるようにして通り過ぎていく。


ーこっちよー


巨大な恐竜の背鰭が実際に目の前にあったなら、テトラポットの凝集塊と見間違えてしまうだろう。

ギザギザの突起がぐぐっと頭をもたげて、高橋愛を呼んでいる。


黒い水に濡れたコンクリートの表面は驚くほど滑りやすい。

サンダルを放り投げて、裸足になって高橋愛は飛び乗った。


数メートルは飛んだのではないだろうか。

ふわりと浮いた体は軽くなり、一瞬月面に着陸しかける。

慌てて軌道修正を試みるも、脳の物理演算機構がシャットダウンされたように凝り固まっている。


「一種の記憶障害ですね。不眠が長らく続いているということで、前頭葉や海馬に影響が出ていると考えられます」


月のクレーターで作業をしていたウサギが真面目な顔をして言うものだから、高橋愛は困惑している。


第一にウサギが人の言葉を話すなんて聞いたことがない。

それに不眠と急に主張されても高橋愛には身に覚えがないのだった。


迫りくる月を力強く蹴り飛ばすと、高橋愛の体はポーンと海へ真っ逆さまに落ちていく。


ーこっちこっちー


テトラポットの一角が、花が咲いたように真っ赤に輝いている。

サンゴ礁のかたまりがメキメキと軋みながら成長している。


赤黒いサンゴの先端は鋭く尖っていて、皮膚に引っかかっただけで角質から神経まで根こそぎ持っていかれてしまうに違いない。


反射的に身を硬くすると、口から泡が漏れてくる。

浜辺のカニが口髭をたくわえるみたいに、高橋愛の口や鼻、耳、穴という穴から泡が吹き出てくる。


猛スピードでサンゴに打ち付けられた高橋愛の体はバラバラになりかけた。

泡がクッションになったお陰で事なきを得た。


ーおかえりなさいー


血走った目で声のする方を追いかける。

高橋愛はひび割れたサンゴの上を這いずり回る。


正体を現したのは下半身が鱗で覆われた人魚だった。

紫色の髪を腰まで垂らした人魚は、耳まで裂けた唇を舐めている。


黄色い牙の隙間から蜘蛛が止めどなく溢れている。

爪はナイフを思わせる質量を備えていて、手近なサンゴをスパっと切って人魚はそれを口に運ぶ。


「それって食べられるの?」


「ええ。美味しいわよ」


乾いた鮮血の結晶と人魚は言った。

手渡されたサンゴの欠片を高橋愛は無理やり喉に押し込む。


途端に喉の奥に強烈な痛みが襲った。

苦しみを訴える高橋愛はサンゴの上で狂ったようにもがいている。


人魚は井戸の深淵を見つめるような視線で高橋愛を静観する。


「美味しい、美味しい!」


喉に開いた穴から、高橋愛の声にならない声が立ち昇る。


眼球が押し潰されるくらいの感動が体内に駆け巡る。


「ほら、良くご覧なさい」


人魚が高橋愛の髪の毛を鷲掴みにして頭を海原へと向けた。


豪華客船がスィーっと横切っている。

甲板には水夫に混じって家族や仲の良い友だちも乗っている。


こちらに手を振っている。

みんな笑顔で、クルージングを楽しんでいる。


「どう?あなたも行きたいでしょう」


人魚は牙についた蜘蛛を高橋愛に擦り付けようとしている。

振り払う気力もなく高橋愛は身を委ねる。


「それともここで一緒に遊びたい?」


海の夜はまだ続いている。

高橋愛はだらりと垂れ下がった自分の両腕の感覚を確かめるためにサンゴを突き刺す。


青く銀色に光る血が細い道を作っていく。


「それがあなたの答えなのね?」


人魚が高橋愛の髪の毛を掴んだまま、海へ差し出す。

足元のサンゴが届かないところで高橋愛は宙ぶらりんになる。


カップラーメンの容器がクルクル回転する。

そこに落ちたら高橋愛も回り始める。


月が崩落して、行き場を失ったウサギたちが雨のように暗い海へと降り注いでいく。


クルーズを優雅に嗜む家族や友人がウサギを捕まえようと手を伸ばす。


ウサギは空中で一度だけ跳ねることができた。

だから簡単には捕まらない。


ボロボロになった高橋愛は、自分は魚の見ている夢であると気がつく。


クリスタルクリアウォーターの下で泳いでいた青い魚の群れ。

そのうちの一匹が高橋愛のことを覚えていた。


サンゴに掴まって寝息をたてるときに、魚は高橋愛の姿を借りる。

秘密の契約によって互いの意識をこっそり交換し合うことができた。


これは高橋愛も、魚も望んだことではないけれど、あのときあの場所で一人と一匹は出会ってしまった。


天文学的な確率でそれは起こる。


海に投げられた高橋愛はウサギたちに導かれるようにして、海底の岩石にぶつかる。


岩石には穴が開いていて、そこで魚たちは暮らしている。

岩石の下には砂が敷き詰められている。

砂の下には地層が積み重なっている。

地層の下には高橋愛の意識が横たわっている。




(了)

ぱお

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