9 生きるための魔法
「今日から自衛のための魔法を教える。」
特別な前置きもなく、重々しい雰囲気もない。あまりにも淡々とした口調だった。
家の前、朝露に濡れた地面に立ったまま向かい合った。
(表現魔法の前段階。生きるための魔法…)
師匠の言葉を思い出す。
「教えるのは三つだ。『感知魔法』『自然同調魔法』『身体強化術式』。街の冒険者なんかをしたいなら覚えるべき基礎の魔法だ。」
「……よろしくお願いします!」
「よし。まずは感知魔法からだな。」
師匠はそう言って俺の正面に立った。
「この世界には常に魔力が流れている。生き物にも、土にも、水にも。濃さは違えど、魔力がない場所はほとんどない。感知魔法はその濃淡を見る技術だ。」
「魔力の濃淡……?」
「そうだ。目を閉じて自分の魔力を見てみろ。」
言われるがままに瞼を下ろす。
世界が暗くなり、代わりに胸の奥の感覚が前に出てくる。
「そこから意識を外に向けるんだ」
――重い。
(…なんだ、これ)
視界は閉じているのに、そこに”ある”とわかる。
濃く、深く、揺らめいている。
「見えたか?」
俺の周りをぐるぐると歩きながら師匠は尋ねる。それと同時に目の前の物も俺の周りをまわる。
「これが師匠の魔力ですか…」
「その通り」
(すごい魔力だ…俺なんかとはまるで違う…)
「次は視野を広げる。一点を見るんじゃなくて全体をぼんやりとでいいから感じるんだ。」
意識をゆっくりと外に広げる。
自分の魔力を中心に、周囲へ。
うっすらとまだらに魔力を感じる。一つ一つは曖昧だが、確かに”ある”
師匠の魔力は今もはっきりしている。
それに比べて周囲の魔力は淡く溶け合っている。
「違いがわかるか?」
「はい、」
「飲み込みが早いな。最初は大きいものから。次に動くもの。最後に小さく、紛れるものだ。」
俺は静かに息を吸った。
師匠の魔力
森の魔力
自分の魔力
それぞれが、違う。
(……これが師匠の見る世界、)
目を開けたとき、森は何も変わっていなかった。
けれど。
もう、同じ景色には見えなかった。
「次は、自然同調魔法だ」
師匠はそう言って、今度は俺の横に並んだ。
「感知が“見る”技術なら、同調は“溶ける”技術だ」
「溶ける……?」
「簡単に言えば、自分の魔力を周囲に紛れさせる」
師匠は森の方へ一歩踏み出す。
「さっき感じたな。森の魔力は淡く、広く、溶け合っていた」
「はい」
「自然同調魔法は、そこに自分を混ぜる」
師匠はそこで立ち止まり、軽く地面に手を触れた。
「目を閉じろ」
再び、瞼を下ろす。
さっきより、世界に入るのが早い。
胸の奥の感覚も、もう探さなくていい。
「今度は、自分を強く意識するな」
「……え?」
「自分の魔力を“探す”な」
師匠の声は、落ち着いていた。
「ある前提でいい。今は、周りだけを見る」
意識を外へ。
森の魔力が、靄のように広がっている。
木。
土。
風。
それぞれが違うのに、どこか似ている。
「その中で、自分だけが浮いているはずだ」
言われて、気づく。
自分の魔力だけが、わずかに輪郭を持っている。
森の魔力の中で、そこだけが異物だ。
「同調は、その輪郭を曖昧にする」
「消そうとせず。削ろうとせず。周りに合わせるんだ。」
(合わせる……)
息を整える。
胸の奥の感覚を、そっと緩める。
押し出さない。
引き込まない。
ただ、力を抜く。
――じわり。
境目が、滲んだ。
(……あ)
自分の魔力が、森の魔力に溶け込む。
完全じゃない。
でも、さっきまでの“違和感”が薄れている。
「今のだ」
師匠の声が、少しだけ低くなる。
「それが自然同調の入口だ」
気を抜くと、また輪郭が戻ってくる。
集中すると、少し溶ける。
その繰り返し。
「……難しいですね」
「そうだな」
師匠は、あっさり認めた。
「だが、感知ができるなら、同調もできる」
「見えないものには、合わせられないからな」
(なるほど……)
感知が土台だ。
「自然同調は、隠れるための魔法だ。魔法を扱う者や、森の動物たちは無意識に魔力で存在を感じている。自然同調ができれば見つかる確率がぐっと下がる。」
「最後は、身体強化術式だ」
師匠はそう言って、俺から少し距離を取った。
「これは自然操作とは違う。術式魔法だ」
「詠唱とか魔法陣を使うやつ、ですよね」
「そうだ。」
一拍置いてから、師匠は続ける。
「これは代表的な表現魔法である旋律魔法や詩術魔法を基にした魔法だ。魔力の流れを“型”に落とし込んだものだな」
師匠は、軽く足を踏み出した。
それだけで、空気が変わる。
「表現魔法は、自由すぎた。だから災害を生んだ」
「術式魔法は、その反省から生まれた」
師匠は、淡々と語る。
「誰が使っても同じ結果になるよう、再現性を優先した」
(制限された表現……)
どこかで聞いた話と、繋がる。
「身体強化術式は、身体能力を一時的に引き上げる」
「力、反応、耐久。全部を少しずつだ」
「逃げるための魔法だな」
師匠は、姿勢を正した。
「詠唱はこれだ」
小さく息を吸い、
「――術式起動、身体強化」
言葉が終わると同時に、師匠の気配が変わった。
立っているだけなのに、地面に深く根を張ったような感覚。
「やってみろ」
言われて、姿勢を正す。
胸の奥にある魔力を、思い出す。
同調はしない。
感知もしない。
ただ、自分の中にあるものを、言葉に乗せる。
「……術式起動。身体強化、」
声が、少し震えた。
その瞬間。
胸の奥で、何かが“噛み合った”感覚が走る。
(……っ)
体が、わずかに軽い。
足の裏が、地面を強く掴んでいる。
軽く跳ねてみる。
いつもの感覚で飛んだはずなのに、着地までの時間が長すぎた。
次の瞬間、視界が少しだけ澄んだ。
鼓動の音が、近い。
胃袋がひっくり返ったような気分だ。
「止めろ」
師匠の声で、意識を戻す。
体の感覚が、元に戻る。
「……今のが?」
「そうだ」
師匠は、軽くうなずいた。
「失敗じゃない。立派な起動だ」
胸の奥が、じんわり熱い。
(これが……)
「術式には魔力をかなり消費する。使うなら一瞬。逃げるためのな。欲張って敵の前で倒れたり吐かないようにしろよ。」
淡々とした忠告だった。
「感知で見つける」
「同調で消える」
「それでも駄目なら、これで逃げる」
師匠は、指を三本立てる。
「これが、最低限だ」
俺は、その指を見つめた。
派手じゃない。
強そうでもない。
でも。
(生き残るための、全部だ)
胸の奥で、静かに理解する。
魔法は、戦うためだけのものじゃない。
ここに居続けるための技術なんだ。




