4 異形の怪物
低い枝の下を、転がるように潜る。大人なら肩や頭を引っかける場所を、子どもの小さな体はすり抜ける。
俺は木と木のあいだを縫うように走った。幹の細い若木の間、倒れた枝の隙間、獣道とも言えない細い空間。視線は低く、目に入るのは苔と根と土ばかりだ。
「……っ」
息を吸う音さえ怖くて、口をぎゅっと閉じる。
その瞬間、背後で、どん、と地面が鳴る。心臓が跳ねた。
重い。遅い。けれど、一歩一歩が森を揺らす。
――来る。
振り返らない。
振り返ったら、追いつかれる気がした。
落ち葉で隠れたくぼみに足を取られ、転びそうになりながらも体勢を立て直す。小さな体は軽く、勢いのまま木の根を踏み台にして跳ねた。後ろで、モンスターが同じ動きをしようとして、枝をへし折る音が響く。
太い幹の横腹に身を押しつけ、影に溶ける。膝を抱え、背中を丸める。心臓がうるさくて、胸を両手で押さえた。ゆっくりとゆっくりと、少しずつ少しずつ、息を吸って、同様に息を吐いた。その呼吸とも言えないような呼吸がまた苦しかった。
――行った、か?
足音が遠ざかる。
枝の揺れる音も、少しずつ静まっていく。
俺は、ほんの少しだけ、顔を上げた。
木の幹の向こう、
葉の隙間。
そこに――目があった。
「……っ」
声が、喉で潰れる。
暗い。
濁っている。
けれど、確かにこちらを見ている。
瞬きをする暇もなかった。
目は、動かない。
探しているでも、怒っているでもない。
ただ、
“見ている”。
俺は、ゆっくりと顔を引っ込めようとした。
その瞬間。
枝が、ばきりと折れた。
黒い影が、幹の向こうへ回り込んでくる。
角の先が、葉を払い、獣の吐く息が近づく。
見つかった。
反射的に体が動いた。
幹から飛び出し、一目散に走る。
「くっ……!」
足がもつれ、斜面へ踏み出した瞬間、足裏が空を踏んだ。
次の瞬間、身体は前に倒れこみ、止まらないまま坂を転げ落ちていく。
視界が回る。
枝が腕を叩き、石が背中を打つ。
息を吸おうとして、うまくできない。
そのまま――
どぶり。
低地に溜まった泥の中へ、体ごと突っ込んだ。
冷たく粘つく感触が胸や腹にまとわりつき、口に土の味が広がる。
必死に身体を起こそうとして、
そこでようやく気づいた。
(ない...)
さっきまで、確かに握っていたはずの手が、空っぽだった。
指を動かす。
何も掴めない。
慌てて視線を落とすと、
泥の中に、革張りの角が沈んでいた。
「……スケッチブック…!」
拾い上げると、ずしりと重い。
紙は水を吸い、ページの端から黒く滲んでいた。
(やばい……)
拭おうとする。
けれど、擦るほどに線は崩れ、形を失っていく。
背後で、
どん、と地面が鳴る。
「あ...」
振り返ると、獣は、すぐそこまで来ていた。生温かい息が、頬に触れるほど近くに。
だが――
突然その体が、ぐにゃりと歪んだ。
輪郭が崩れ、
継ぎ合わされたような部分が、それぞれ、ばらばらと剥がれていく。
低い唸り声が、途切れ、
獣は、音を立てて崩れ落ちた。
俺は、その場に立ち尽くし、
泥にまみれたスケッチブックを抱えたまま、動けなかった。




