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3 線の先にいるもの

朝が来た。ソフカさんはもう家にはいなかった。机の上には「留守番よろしく。夕方には帰ってくる。」と書かれた紙と、皿いっぱいに焼いた肉が置かれていた。


(早起きできるんだ...)


そんなことを思いながらパンを持ってきて朝食をとる。あのソフカさんが作った焼肉...味、ついてるだろうか。


一切れ口に運ぶ。


「うまっ...」


完璧な焼き具合に味付け。毎日作ってくれればいいのに...まぁ、夜遅くまで絵を描いてるんだろうなぁ。


「さて、掃除でもしようかな。」


昨日は好きなことをして過ごそうと思ったが、趣味なんてなかった。結局やることはいつもと変わらないな。


といっても掃除する場所ももうない。洗濯も昨日行ったし、ご飯も作らなくていい...


「暇だ...」


廊下を歩いていると、ふとソフカさんの部屋がわずかに開いているのに気付いた。


気になる。


夜遅くまで熱中しているソフカさんの作品がどんなものなのかものすごく気になる。


俺は好奇心に駆られ、そっとドアを押し開けた。部屋の中は静かで、朝の光が棚や机に差し込んでいる。


案の定散らかった部屋だったが、布がかけられた作品らしきものたちの周りは綺麗に整頓してあった。


机の上には色褪せたスケッチブックが開かれていた。木々や石、鳥やウサギ。ソフカさんが描いた精密なスケッチだ。ページをめくっていくと見慣れた風景があった。昨日行った川だ。


俺は息を呑んでスケッチブックに目を落とした。

すると、ページの上で川の流れがまるで生きているかのように揺れて見えた。


そしてーー微かな水の音が聞こえる。


自分の耳を疑った。紙の上から川の気配を感じるからだ。


(やっぱりソフカさんはただ描いてるだけじゃないんだ。)


俺は川に向かった。ソフカさんのスケッチブックと机に置いてあった炭を持って。


(俺も描いてみたい!)


勝手に道具を借りるのは悪いことだとわかっていたが、その単純な気持ちが俺を動かした。



川辺の小さな岩に腰を下ろし、息を整える。そして、少し緊張した手つきでスケッチブックを開いた。


何を描こうかと周りを見渡すと昨日の鹿の親子が草むらから現れた。また水を飲みに来たのだ。親鹿は堂々としていて、しかしどこか穏やか。小鹿は不安げに親に身を寄せる。


親鹿が子を守ろうとする姿。小鹿が親に寄り添う無垢な様子ーーその関係の美しさに、(自分の手で形を写したい)。そんな衝動が湧いてきた。


深呼吸を一回して、線を一本引いた。傍から見たらただの線。しかし、今はその線が俺の見ている風景と重なっているように思えた。


一本、また一本と線を増やしていく。鹿の筋肉のつき方や毛並み、川の流れ、草木の揺れ、そのすべてをこの一枚に詰め込みたい。


次第に全体の像が出来上がってくるが、その形はあまりに不格好。線は歪で、鹿の親子が妙にデカくなってしまった。37年間絵を描いてこなかった男の作品なんてこんなものだろう。しかし、形がとれなくても、比率がおかしくても、あの親子を中心に感じる自然の美しさや偉大さ、子を守ろうとするその力強さを精一杯描き留めた。


ふと親鹿の耳がぴくぴくと動き、目線がこちらに向く。


(まずい、警戒されたか?今日はソフカさんいないからなぁ...)


そんなことを考えている隙に鹿の親子は遠くへと駆けていった。


(今日はここまでか――)


スケッチブックを閉じて腰を上げた瞬間、後ろの気配に気づき咄嗟に振り返る。


(熊?!...ちがう――)


それは、熊のような体つきをしているが、

肩からは鹿の角がねじれるように生え、背中には飛ぶには短すぎる羽がついている。

口元には鋭い牙と平たい歯が混ざり、噛み合っていない。


脚も揃っていなかった。

前脚には鹿のように蹄がついているが、後脚はウサギに似ていて、踏み出すたびに体が沈む。


毛並みは場所ごとに色も長さも違い、

何匹もの生き物を無理やり縫い合わせたようだった。


(モンスター...)


モンスターを刺激しないよう目線を外さずゆっくりと後退する。


低い唸り声が喉の奥で鳴る。

知性ではない。警戒でもない。

――ただの捕食前の反射。


一歩、前脚が踏み出される。こちらを見ているようで、見ていない。鼻孔が大きく膨らみ、空気を嗅ぎ、俺の存在を「獲物」として認識しただけだ。


息を殺した瞬間、モンスターの耳がぴくりと動いた。

次の刹那、四肢が地面を蹴る。


重く、速い。

理性も目的もない。ただ空腹と刺激に突き動かされた肉塊が、一直線に迫ってくる。

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