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14 成長

朝の森はまだ冷たく、木漏れ日が地面を照らす。


「今日も、始めるか」


師匠の声は低く、無駄な力を感じさせない。俺は返事もせず立ち上がる。


根や倒木、岩、斜面――どれを踏み込みに使い、どこで距離を稼ぐか。だが、今回は少し違った。


「一……二……三……」


師匠が数え始める。心臓がわずかに高鳴る。


まず自然同調魔法で体を森に溶かす。次に感知魔法で周りの状況を確認する。呼吸を整え、踏み込む足ごとに地面や倒木の反発を感じる。


踏み込みやすく、走りやすい一本道。普段なら避ける場所をあえて選ぶ。距離は簡単に縮められる。だが、それでいい


(このあたりが限界か…)


ある程度進んだら感知魔法を完全に切り、自然同調魔法に全神経を集中させながら目的地まで走る。


(そろそろ出発したはず、)


当然、身体強化術式も使っていないこの距離なんてすぐに追いつかれる。


自然同調魔法が体の感覚を拡張し、森の地形の微細な変化を感じる。葉がこすれる音、枝が微かに揺れる振動、すべてが波のように押し寄せ、後ろから迫る師匠の存在を魔力ではなく感覚としてとらえる。


(……やっと見えた!!”魔力のたまった場所”!あとはタイミング…)


師匠との距離があっという間に10メートル以内まで詰まっていた。本来なら身体強化術式をもう使っている距離だが、今回は違う。


(あともう少し…もう少しだけ…)


振り返らない。振り返れば焦りが出るのを知っている。師匠は迷いなく距離を詰めてくる。木々の間を滑るように進むその感覚が、背中に伝わる。


(焦るな…)


既に足音が聞こえる距離まで迫っている。師匠が強化術式を使えばもう手が届く距離。それでも師匠が術式を使わないのは俺の術式に合わせるため。


(師匠は自分が有利な盤面だと必ず受け身だ。できるだけリスクを減らそうとする人だから…)


引きつければ引きつけるほどこの作戦は成功する。できるだけ引きつけて、俺に注意を向けさせる。


背中に迫る圧力、地面から伝わる振動ーーすべてが緊張の波となり、胸の中で高鳴る。


(……いまだ!!)


「術式起動ーー」


背後で、踏み込みの一歩が今までよりも重くなった。師匠も俺に合わせて術式を起動したのがわかる。真っすぐ逃げればまた俺の負け…しかし、


「身体強化!!」


師匠の手が空を切った。確実に俺を捕らえるはずだった師匠の手が。


俺はその姿を上から見ていた。逃げるのは前ではなく上。全力の跳躍。距離は取れないが、これでいい。


ただでさえ走りやすい一本道で加速しきった体に身体強化術式が乗った。師匠はそんな速度を制御できずに、真っすぐと突っ込んでいく。”魔力の濃い場所”へ。


直線の先には調査中のイリスさん。


「えっ!?な、なに?!?!」


彼女の感知に急接近する魔力が引っかかった。


反射的に戦闘態勢をとったイリスさんのもとに師匠が突っ込む。師匠は俺のことを目で追っていて判断が遅れた。


「どわぁぁぁぁぁぁぁー!!」


突き出した拳が鈍い音を立てて師匠に叩きつけられ、体が宙を舞った。


ーーそしてそのまま、どさり。


地面に横たわった師匠はピクリとも動かず気絶していた。


俺は着地し、息を整える。心臓の音がうるさい。すべての感覚がふわっと浮遊感に包まれていて実感がわかない。


「……ぇ」


イリスさんがゆっくり自分の拳を見る。


「……え?」


それから師匠を見て、もう一度拳を見る。


「……あれ?」


数秒の沈黙。


「ソフカァァァァァ!?!ごめーーーーん!!反射的に手がぁぁ!!」


師匠は動かない。完全に意識が落ちている。


「ごめんなさい…利用してしまって…」


「え!?オサム君?!いつからそこに?!」


すべて計画通りに行った。唯一、イリスさんが怪我をしてしまわないかが心配だったが、その心配はなかったようだ。


「ち、違くてね…私がやったんじゃなくてソフカが急に……って、今なんて?」


「鬼ごっこで勝てそうになかったので、イリスさんを利用してしまいました…」


「私を…利用…?な、な、な、なにそれぇぇぇ!!」


森にイリスさんの声が反響する。




――――――――――――――――――――――




――空が、広かった。


最初にそう思った。


木々に遮られていない視界。

風が直接、頬を撫でる感覚。

背中に感じるのは、固い地面ではなく、柔らかな草の感触。


(……草原?)


ゆっくりと、意識が浮上してくる。


最後の記憶を辿ろうとして、眉をひそめた。


――鬼ごっこ。

――距離は、ほぼ詰めた。

――オサムが術式を起動した。

――だから、私も合わせた。


そこで、途切れている。


上体を起こそうとして、わずかに頭が揺れた。

思ったよりも、深く落ちていたらしい。


(……気絶、)


自嘲気味に息を吐く。


視線を巡らせると、少し離れた場所に二人の気配。

一人は、こちらをうかがうように立っている弟子。

もう一人は、落ち着きなく腕を振っている女――イリス。


「……やれやれ」


声に出すと、喉が少し痛んだ。


私は草の上に座り直し、目を閉じる。

記憶を、感覚ごと引き戻す。


――まず、逃走経路。


オサムは、走りやすい一本道を選んだ。

足場が良く、直線的。

普通なら、追う側に有利すぎて選ばない。


逃げ切るためではない。

私が速度を落とさず、真っ直ぐ来られるように。


そこで違和感に気づいてはいたが…私が甘かった。


――次に、術式。


オサムは、すぐに身体強化を使わなかった。

感知も、途中で切っている。


(……私の癖を、理解していた)


相手が術式を使えば、私は合わせる。

私の癖を信じて限界まで引きつけた。


――そして、詠唱。


「術式起動」


あれは、わざと聞かせた。

私に“来い”と言っているのと同じだ。


私はまんまと速度を上げた。

真っ直ぐ、前へ。

捕らえるつもりで。


(……そこで)


オサムは、前に逃げなかった。


上に跳んだ。


一瞬の判断。

だが、その一瞬で、私は修正できなかった。


速度はすでに最大。

地形も直線。

止まれない。


(その先に、イリスがいた)


そこに感じていたのは淀んで溜まった魔力だけ。そこにイリスを感じる余裕もなかった。

思えば、オサムがいつもより自然同調に力を入れていたのは私を惑わせるためじゃなく、イリスに悟られないようにするためだったのか。

もしかしたら、イリスも誘導されていたのかもしれないな。感知魔法が鈍くなる、ノイズだらけのあの場所に。


それからイリスに私が突っ込んで…


イリスは――反射で動いた。


戦闘者として、あまりにも正しい反応。


(……拳を、もらったわけだ)


”油断”


師匠だというのに弟子にまんまと踊らされてしまった…


(情けない…)


目を開ける。


オサムが、こちらを見ていた。

逃げるでもなく、怯えるでもなく。

ただ、結果を受け止めている目。


「……」


私は立ち上がり、草を払う。


二年。


二年間、彼は私から逃げ続けた。

逃げられないと知りながら。


それでも、思考を止めなかった。


(力で勝てないと、理解した上で)


(勝ち筋を作った)


私は、静かに息を吐いた。


「……なるほどな」


誰に向けたでもない言葉。


表現魔法でも、身体強化でもない。

ただ、思考と観察と、決断。


それだけで――

この状況を作り上げた。


オサムが、何をしたのか。


答えは、はっきりしていた。


(私が思っている以上にオサムは成長しているのかもな…。)


私は、彼を見る。


「……合格だ」


その一言が、草原に静かに落ちた。

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