10 合格条件
魔法が、生活の中に溶け込んでいた。
最初はぼんやりとしていた感知魔法は少しずつ輪郭をとらえられるようになっていた。自然同調魔法も安定してできるようになってきたし、身体強化術式も瞬間的な使用なら体調が悪くなることはない。
日常の中で一番変わったのは洗濯。一人で川に来ても、危険を察知、回避できるようになった。
それはもう「練習」ではなくなっていた。
家事がすべて終わったのは、日が傾き始めた頃だった。
薪は割り終え、洗濯物も取り込み、水瓶も満たす。
床を軽く掃いて、今日やるべきことは一通り終えた。
特別なことは何もない。
ただ、いつもの一日を、いつも通りに終えただけだ。
それから、俺は家の外へ出た。
この時間になると、自然と体が外へ向かう。
魔法の練習――というより、確認だ。
目を閉じ、森に満ちる魔力を感じる。
濃い場所、薄い場所。
動く魔力、淀む魔力。
遠くで何かが動けば、意識がそちらへ引かれ、
近づく気配があれば、自然と距離を取る。
自然同調の感覚を少し深め、
自分の存在が森から浮かない位置へ、静かに調整する。
最後に、身体強化術式。
「――術式起動、身体強化」
短く唱え、軽く跳ぶ。
一瞬、地面が遠ざかり、
着地と同時に術式を解く。
深く息を吐く。
(……これ以上は、使えない)
――考える前に、体が限界を教えてくれる。
「ずいぶん、自然になったな」
声に気づいて顔を上げると、
少し離れた場所に、師匠が立っていた。
「はい。……生活の中で使う分には」
「そろそろ次に進む頃合いか」
「本当ですか!?」
思わず声が弾んだ。
師匠は腕を組み、少し口角を上げる。
「かくれんぼと鬼ごっこは知ってるか?」
「……知ってますけど。子どもの遊びですよね?」
「そう。その二つで私に勝ったら合格。表現魔法を教えよう。」
(表現魔法…ようやく見えた、)
どこか遠くにあるものだと思っていた魔法がすぐそこまで迫っている。
「ルールは単純だ。」
師匠は指を立てる。
「オサムの役は、隠れる側と逃げる側。」
「探すのも、追うのも……師匠が?」
「ああ」
「そんな遊びで合格がもらえていいんですか?」
念のために聞く。
「もちろん。ただし――」
「私は遊びでも負けるのは嫌いだよ。」
(め、目が笑ってない…)
「始めるのは明日からだ」
師匠は踵を返す。
「今日は、よく休んで明日に備えろ」
その背中を見送りながら、俺は拳を握った。
遊びに勝てば、表現魔法。
――ならば、負けるわけにはいかない。
次の日。最初はかくれんぼからだった。
舞台は、川の向こう側ーー
いつも洗濯に来る場所から、さらに一歩踏み込んだ先だった。
川幅自体はそれほどでもない。
流れも緩やかで石伝いにわたることもできる。
けれど、岸に立った瞬間、はっきりとわかる。
こちら側とは、空気が違う。
感知魔法を使うとすぐに森全体の魔力の質が違うことに気が付いた。
「ここから向こうでやる。」
「……モンスターの住処ですよね?」
感知魔法で濃い魔力が点在しているのがわかる。
「そうだな」
あっさりと肯定される
「でも安心しろ。モンスターより先に私が見つけるし、私が見つけられなかったら、モンスターにも見つからない。」
慰めなのか脅しなのかわからない。
「私が百を数える。その間に隠れろ。見つかったらその時点で終わりだ。」
「はい。」
ただのかくれんぼのはずなのに冷汗が出る。
「では、いくぞ。一……二……三……」
俺は走り出した。
感知で大きい魔力を避け、自然同調で存在を沈めて行く。
木の根が絡み合った窪地を見つけ、そこに身を滑り込ませた。この小さな体を生かせる最適な場所だ。
呼吸を抑え、魔力を溶かす。
森と同化するイメージ。
(…そろそろ探しに来る頃かな、)
その瞬間。
ガサガサッ
前方から何かが迫ってきている。
(嘘だろ!感知魔法には何も引っかかってないぞ!)
見つかる…
チュウッ
(…ね、ねずみ、)
感知に引っかからないほどの小さなネズミが姿を現した。
ネズミは、俺の前を横切ると何事もなかったかのように森へ消えた。
再び、静寂。
感知魔法を保ったまま、呼吸をさらに浅くする。
魔力の輪郭を曖昧にし、自然同調を深める。
俺は、ここに「いない」。
そう思い込ませるように、森の一部になる。
――何も、起きない。
(……まだだ)
感知には、何も引っかからない。
大きな魔力もない。
動く魔力もない。
危険な濃度の反応もない。
今のところ俺の感覚は正確に働いている。
(いける……)
その瞬間だった。
「――終わりだ」
耳元。
吐息が触れるほど近い距離で、声がした。
「……っ!?」
跳ね起きようとした体は、軽く押さえつけられて動かない。
振り返ると師匠がいた。
(感知が正常に働かなかった…?)
「オサムの感知は正常に働いていたよ。」
集中して見ても魔力を感じない。
(この前見たあの膨大な魔力をネズミと同じレベルまで同調させてるのか…?!)
「ここはそういう場所だ。強い奴ほど魔力を溶かすのがうまい。感知魔法をもっと鍛えなければいつの間にかモンスターが近くに…なんてこともありえる」
すぐそこまで迫っていた表現魔法がまた遠くに消えてしまったような気がした。




