第59話 執着と狂気
ナベが雄叫びを上げて突進する。
そこには包丁を構える男が待ち構えていた。
「うおおおおぉぉぉっ! これでも食らえ!」
ナベの拳が包丁を砕き、男の顔面を叩き潰す。
改造を施された彼の肉体は、人間の発揮可能な馬力を逸脱していた。
遠くから放たれた弾丸が命中するも、全身各所を覆う厚い金属装甲で弾く。
「はははっ、効かねえよ! 葛城先生の治療を舐めんじゃねえ!」
ナベは射手に近寄って殴り殺す。
血だらけの拳を掲げて、彼は意気揚々と叫んだ。
「俺はッ! 無敵だァ!」
ナベはモーター音を鳴らして各部屋を探索し、手当たり次第に住人を虐殺する。
一部始終を眺めるイリエは、困り顔で隣の松本に話しかけた。
「なんか、すごいですね……本当に無敵っぽいというか……」
「無茶な戦い方だがな。このままだと最上階まで持たない」
「えっ、じゃあ止めた方がいいですよね」
「あれは止まらんだろ。好き勝手に暴れさせておけ。その分、俺達は楽できる」
イリエと松本は、死体だらけの廊下を進む。
突き当たりの壁まで来たところで、手作りのエレベーターを発見した。
床と天井に穴を開けて設けられたそれは、ワイヤーと滑車で上下の階に移動できるようになっている。
あまりにも簡素で粗末な構造だが、一応は使える状態だった。
松本はボタンを押してエレベーターの足場を呼ぶ。
「ビル内にはいくつもの移動手段がある。手作りのエレベーターもその一つだ。すぐに破壊されるせいで、まともに稼働しているのは珍しいがな」
「破壊は分かります。でも、誰が修理してるんですか?」
「知らん。機械点検が生き甲斐の住人でもいるんだろう」
「点検が生き甲斐……?」
イリエは戸惑う。
松本は足場の固定具合を確かめながら説明を続けた。
「闘争、殺人、人体改造、自由、商売、収集、カニバリズム……このビルには様々な欲求を抱く人間が集う。狂気じみた執着に憑かれた者だけが生き延びる環境だ」
「な、なるほど……?」
イリエは曖昧な相槌を打つ。
欲求や執着について、あまり共感できなかったのだ。
(私の欲……ここから無事に生き残ることくらいかなぁ。どんどん脱出から遠ざかってるけど)
ため息を洩らすイリエの足元に、人間の生首が転がってくる。
間もなく返り血まみれのナベが戻ってきた。
彼は頭部のない死体を引きずって自慢げに笑う。
「この階の敵は全滅させたぞ! 残ってた奴らも逃げたんだ! 圧勝だったな!」
「あ、ありがとう……強いね」
「そりゃ葛城のおかげだ! もう負ける気がしねえもん。たぶん松本さんにも勝てるぜ」
「そうか」
興味がない松本は、エレベーターの足場に乗る。
イリエは不安そうに尋ねた。
「これで上に進みますか?」
「途中の階を飛ばせるのは良いが危険だ。待ち伏せのリスクがある」
松本は頭上を注視して答える。
彼の手は、いつ敵が現れても対処できるよう固く握り込まれていた。
イリエと松本が判断の迷う中、ナベがここぞとばかりに挙手する。
「行きましょうよ! 何か出てきても俺が倒すんで!」
「……後悔するなよ」
議論が面倒になった松本は、ナベの意見を採用する。
彼自身、細かいことを考えるのは苦手だった。




