第25話 黒衣の老女
沢田は、頭頂部にぴりぴりとした疼きを感じた。
それが己へ向けられた殺気だと認識した瞬間、叫びながら床を転がる。
「うおおっ!?」
沢田が立っていた場所を素足の蹴りが突き抜ける。
しなやかな動きで着地したのは、黒い道着を身に纏う老女だった。
老女はニヒルな笑みで感心する。
「ほう……素人と思ったがやるねえ」
「あ?」
怪訝な顔をする沢田に向けて、老女は容赦なく正拳突きを放つ。
それを松本が掴んで止めた。
衝突と同時に破裂音が鳴り響く。
松本は目を細めて忠告する。
「婆さん、やめろ」
「ビビってんのかい、坊や」
「さあな」
挑発された松本は真顔で拳を叩き込む。
老女はひらりと宙返りで躱すと、壁の僅かな凹凸に指をかけて蜘蛛のように張り付いてみせた。
その姿勢のまま、老女は好戦的な笑みを浮かべる。
「相変わらずノロマだねえ。その馬鹿みたいな筋肉を減らしたらどうだい」
「婆さんこそ痩せろよ」
「まったく、レディーに対するマナーがなってないねえ」
ぼやく老女は、松本とは別の殺気を感じ取る。
沢田が拳銃を構えたところだった。
「動くな。自分の脳味噌を見たくないだろう?」
「そんな豆鉄砲でアタシを止めるつもりかい」
「試してみるか?」
「……上等だよ」
沢田と老女が睨み合う。
一触即発の空気を霧散させたのは、松本が壁を殴る音だった。
素手でコンクリートを粉砕した松本は、ため息混じりに告げる。
「じゃれ合いは終わりだ、婆さん」
「はっ、つまらない男だねえ。もう少し遊んでもいいだろうに」
「遊びで人を殺すのか」
「このビルじゃ日常だよ」
殺気を解いた老女が床に降り立つ。
ひとまず戦闘にはならないと判断した沢田も、拳銃を腰のベルトに差した。
彼は松本に説明を求める。
「おい、この婆さんは敵か? それとも味方なのか?」
「どちらでもない」
「なんだそれ」
沢田はうんざりした様子で額を叩く。
一方、老女は上原を凝視していた。
何かに驚いたような表情でゆっくりと歩み寄る。
上原は怯えた様子で後ずさる。
「あの……?」
「なんでもないよ。気にしないでおくれ」
老女はふいと顔を逸らし、胡乱な目つきで名乗った。
「アタシは古賀。十階の住人だよ。この先にいる人喰いどもを封じ込めるのが仕事さ」




