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聖女アリアの奇跡

作者: 小鳥遊ゆう


窓の外では、今日も小鳥が舞い、陽の光が万華鏡のようにきらめいている。


私は病の呪いに蝕まれ、もう半年もこの療養所で動けないでいる。まるで透明な繭の中に閉じ込められたみたいに、世界は手の届かない場所にある。


身体は鉛のように重く、時折、全身を襲う激しい痛みに息をすることさえ忘れてしまう。


壁に飾られた生命樹の絵だけが、唯一の慰めだった。幹が天高く伸び、無数の葉が輝くその絵は、まるで私に生きる希望を与えてくれるようだった。


そこに看護師がやってきて、私の枕元に一通の手紙を置いた。柔らかな紙と、特別なインクの香りがした。


「また、聖女様への手紙ですか?」


私は少し照れながら頷いた。最近この療養所では「聖女アリア」の噂でもちきりだ。


彼女は奇跡の力で呪いを解き、多くの命を救っているという。


「彼女の手に触れれば、どんな病も癒される」


その噂を耳にするたびに、私の胸は高鳴った。もし、本当に彼女がこの療養所に来てくれたら……。


私は何度も手紙を書いた。


これまでの人生を振り返り、病が治ったらやりたいことを書き連ねた。家族と旅をしたい。もう一度、あの星屑の湖をこの目で見たい。そして何より、病に侵される前の、自由に走り回れた自分に戻りたい。




一週間後、その奇跡は現実となった。療養所中が歓喜に包まれた。聖女アリアがこの療養所に来るというのだ。廊下を歩く看護師たちも、いつもより足取りが軽やかだった。


「これで、助かる人がたくさんいるね」


隣の部屋の友人、ラウルが嬉しそうに言った。彼も私と同じ呪いに苦しんでいたが、いつも明るい冗談で私を励ましてくれた。身体が動く日には部屋を移動し、顔を見せてくれる。わずかな時間でも話すのが楽しみだった。


ある日のこと、ラウルが私の部屋の出入口に立って、大きく手を振った。


「やあ、元気?」


彼はいつもそう言って、私の体調を気遣ってくれた。


「うん、なんとかね。今日はね、足が痺れて動かないんだ」


私の言葉にラウルは少し眉をひそめた後、すぐに明るい声で言った。


「わかるよ。僕も昨日は腕が痛くてさ。でも、病が治ったらやりたいことリストを見て乗り切ったんだ」


「やりたいことリスト?」


「うん! 僕のリストの一番上は、君と一緒に星屑の湖に行くことだ。聞いた話だと、夜になると湖が星の光を反射してまるで宇宙の中にいるみたいらしいよ。絶対に一緒に行こうね」


ラウルはそう言って、満面の笑みを浮かべた。


「僕のリストにはね、もう一つあるんだ」


彼は少し真剣な顔つきになった。


「呪いが解けたら、僕の故郷にある幻獣の森へ行きたい。そこでまだ見たことのない幻獣に会うんだ。そして、そこで見た景色を絵に描いて、君に見せてあげる」


ラウルは絵を描くのが好きだった。彼の部屋には、色とりどりの絵の具とスケッチブックが山積みになっていた。


「僕ももし病が治ったら、君と一緒に幻獣の森に行きたいな。そして家族にもう一度、僕の元気な姿を見せたい」


私は自分のやりたいことを話すうちに、胸の奥から温かいものがこみ上げてくるのを感じた。


「絶対に治るさ。アリア様が来てくれるんだから」


ラウルは力強くそう言ってくれた。その言葉に、私はどれだけ勇気づけられただろう。




数日後、ついにその日が来た。


白い光を纏ったアリアは、まるで天界から降りてきたかのようだった。彼女の顔はベールで覆われていたが、その佇まいだけで人々を魅了した。


彼女がラウルの部屋に入っていくのが、カーテンの隙間から見えた。私はベッドの上でじっと耳を澄ませた。


しばらくして、ラウルのすすり泣く声が聞こえなくなった。代わりに、かすかに看護師たちの優しい声が聞こえてくる。


「本当に、よかったわね……」


「呪いから解放されて、これで苦しむこともないわ」


その日の午後、ラウルの部屋から荷物が運び出されていくのが見えた。彼の愛用していた古い木馬や、枕元の生命樹の絵も。


私は心底驚いた。同時に、安堵と喜びがこみ上げてきた。


ああ、やはり噂は本当だったんだ。アリアは、ラウルを救ってくれたんだ。次は、私の番だ。




その日の夜、私は一睡もできなかった。 興奮で心が震えていた。


呪いが解けたら、ラウルに会いに行こう。そして彼と再会を祝うのだ。きっと、またいつものように冗談を言って、私を笑わせてくれるだろう。病室の窓から見える満月を見上げながら、そんな未来を夢見ていた。


翌日、私の部屋のドアがノックされた。


「入ってもよろしいでしょうか」


優しく、澄んだ声がした。ついに、アリアが来てくれたのだ。私は胸を高鳴らせながら「どうぞ」と答えた。


彼女は静かに部屋に入ると、私のベッドのそばにひざまずいた。近くで見ると、彼女の顔は驚くほど慈愛に満ちていた。その眼差しは、私の奥底にある恐怖をすべて見透かすようだった。


「あなたの苦しみは、もうすぐ終わります」


アリアはそう優しく語りかけ、私の額にそっと手を置いた。彼女の手は温かく、安らかな香りがした。その香りを嗅いだ瞬間、私はふっと意識が遠のいていくのを感じた。


ああ、これが奇跡の力なんだ。


私は心地よい眠りに落ちていく。やがて、私の視界は白く霞み、聞こえていた小鳥のさえずりも、満月の光も、すべてが薄れていった。


その時、遠くから看護師たちの話し声が聞こえた。


「ラウル様、昨日安らかに旅立たれました。苦しまずに逝けて、本当によかった……」


それが、私の聞く人生最後の言葉だった。





月が隠れ、漆黒の闇が世界を覆う中、アリアは中庭の片隅で誰かと話していた。相手の姿は見えず、相手の声も聞こえないが、アリアの声だけが静かに夜の闇に溶けていた。


「ええ、今日も順調よ。誰も疑っていないわ」


アリアの声には昼間とは違う、どこか楽しげな響きがあった。


「だって、人間って面白いじゃない。私を『聖女』と呼んで、崇拝しているのよ。私がただ、彼らの魂を刈り取っているだけなのに。こんなにも堂々と、正面から魂を刈り取れるなんて、私たち死神の歴史でも初めてじゃないかしら」


彼女の声は、まるで芝居のセリフのようだった。


「昼間は彼らが望む『聖女』の姿を演じて、優しく接してあげる。そうすれば彼らは喜んで私に魂を差し出すの。楽な仕事だわ。

ああ、本当に人間って、死神にとっては最高のお客さんよね」


そう言って、アリアは天使のように微笑んだ。


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