逃げ水
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「あ、来た来た。もう! 遅い遅い!」
そう言って杏里は手招きをする。心配そうだった顔はすぐに笑顔になった。
彼女がいる場所は山の麓にある寂れたバス停のようだ。ちょっとした屋根が作られていて、バスを待つ人のためにベンチがあった。
そして近くにはハイキングコ―スの看板が付いていた。
バス停には杏里一人しかいない。
「もう遅いよ、佳純。私、待ちくたびれちゃったよ」
そう言って杏里は山の方を見る。【山】と言っても低く、学術的に言えば【丘】って言われるだろう。目線を少し上げれば、頂上が見えて、ちょっとした柵が付いているのも見えた。
山を覆う木々はとても青々としていて、夏の日差しを浴びてキラキラと輝いている。
そして道路を見ると遠くにキラキラと輝く水たまりが見えた。逃げ水だ。
「ねえ、何見ているの? 佳純」
ニコニコと杏里は呆れながら喋りながら歩き出した。
「佳純はいつだって別の所を見ているよね」
***
私、宮岸佳純は田中杏里の事を思い出す。
杏里は最初の友達だった、と思う。
母の友達の子供と言う事で、赤ちゃんの頃からずっと一緒だったと母から聞かされた。その証拠に画像や動画も多くあった。
撮った画像や動画を見ると赤ちゃんの田中杏里はとても愛らしい。クリっとした大きな瞳とふっくらとした頬。可愛らしい赤ちゃんの見本である。
そして隣にいる赤ちゃんの私が霞んでしまうくらい。なるほど自分の名前があっていると思えるくらいだ。
赤ちゃんの頃を思い出せないけれど、物心ついた時から杏里は私と一緒だった。
だからずっと思っていた。
なんで彼女と私は一緒にいるんだろうって。
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「というかさー、佳純」
空は綺麗な快晴だ。ピクニックにはちょうどいい日と言った感じだ。さわさわと風が吹いて木々が揺れる。
そんな気持ちのいい日なのに、機嫌を悪くして口を曲げて杏里は喋る。
「何で最近、私に意地悪したり無視したりするの?」
そうして杏里はグチグチと罵る。彼女の眉間には醜い皺が付く。
「これ佳純のお母さんに言うね!」
グチグチと愚痴って罵って、少し黙った。表情を見ている限り、言い過ぎて気まずくなったのだろうか。
そしてすぐに可愛らしい笑みを浮かべて杏里は言った。
「はい、もう佳純の反省点は以上。さあ、行こう」
杏里は後ろ歩きになって言い、山の頂上を指さした。そして逃げ水が見える。
「私たちの思い出を作ろう」
***
私の母と杏里の母は親友同士だったが、私から見るとそうは見えなかった。ただ親友と言うには、あまりにも支配的に見えたのだ。
例えば私の父の実家に帰省する当日に杏里の母親から「今日、うちに来ない?」と連絡が入れば、母親は私を連れて杏里の家に行くのだ。
私が「お父さんの実家に行かなくていいの?」と聞けば、母は決まって言う。
「だって大切な親友のお誘いには行かなきゃ」
こんな感じだったのだから、父と母の関係は冷え切っていた。何回か離婚危機に陥るのだが、毎回母が私を出して「佳純にお父さんがいなければ可哀そうよ」と言って回避するのだ。だから私が居なければ、普通に離婚していたんだろうな……と思う。
母には主体性が無い。杏里の母親が啓示のように告げると母は何も疑わずに実行してしまうのだ。それは離婚危機の時だってそうだ。怒り狂って「離婚する」と母が言っても次の日、杏里の母が「離婚はしない方が良い」と言えばコロッと変えて「離婚しない」と決定するのだ。
他にも二人の出会った記念だからという事で旅行に行ったり、杏里の母親が骨折したらうちの家事そっちのけで杏里の家に向かって手伝いをしていた。
この状況には父の両親はいい顔をしないし、母の両親も諫めるが母は聞かないのだ。
私の母と杏里の母が親友同士で硬い絆で結ばれた関係だったとしても、私と杏里が仲いい友達にはなり得ない。
少なくても私は杏里が好きじゃない。
赤ちゃんの時の画像や動画を見ていると杏里は真ん中に華々しく映っていたり、可愛らしく喋ったり、ダンスも披露している。だが私は画面の隅っこで絵を描いていたり絵本を読んでいた。喋っていても、すぐに杏里が来て話を取ってしまうのだ。
小さい頃から杏里は自分が注目してもらわないと気が済まなく、私は人と関わるより絵や本を読んでいたいのだ。諺で【三つ子の魂百まで】と言う言葉があるけれど、その気質はずっと続いている。
でも性格的にも真逆でも友達になる人たちは物語の世界でも現実でもいる。ただそれはお互いを尊重しているからだ。だから仲が良く出来るのだ。
だが杏里は私の事を全く考えていないし、彼女の母同様、とても支配的でわがままなのだ。
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黙って歩いていた杏里は「こんな話、初めてするけど……」と前置きを入れて話し出した。
「私のママと佳純のママの秘密、知っている? この前、教えてくれたんだ。とっても素敵なエピソードで私、感激しちゃった」
杏里は夢見るような目で語り出す。
「私のママと佳純のママって私達と同じ幼馴染なんだって。それでね、小学生の時にこの山に登ったんだ。それで頂上でずうっと友達でいようってお願いしたんだって」
杏里はちょっと得意げな顔をして「いいなあ」と言った。
「私と佳純、そう言ったお願いしたこと無いよね」
そう言って杏里は後ろ歩きになって覗き込むように話す。
「私達もやってみよう。そしてずっと友達でいようってお願いしよう」
彼女の喋っている向こうに、キラキラと銀色に光る逃げ水が見えた。
「……ねえ、どこ見ているの?」
杏里が怖い声で言った。
***
とにかく杏里は私を思い通りに動かしたかったんだと思う。一緒の保育園を通っていたけど、私はお絵描きしたいのに杏里は引っ張っておままごとをさせたりするのだ。
保育園の発表会で劇があると絶対に一緒の役をやりたがる。しかもお姫様とか主役みたいな目立つ役をやりたがる杏里は、私にも一緒の役をさせたがるのだ。
お姫様は一人だけという決まりがあった。だけど先生が「佳純ちゃんがお付きの人だったら、杏里ちゃんと一緒にいられるよ」と余計な事を言ったのだ。
こうして杏里がお姫様役で私がお付きの人。多分、杏里にとっては理想のポジションだったんだろうと今では思う。
杏里と私、何でも一緒。それは周りにも強要していた。
例えばクラスの係や委員会、体育などのグループ分け……。それに対して文句を言っているのも何だかな……って思うのだが、クラスが別々になった時は呆れるのを通り越して怖かった。
三年生の時に杏里と別々のクラスになった。先生もずっとべったりだった私達に何か思う事があったのかもしれない。
これに杏里はこれに対して、ずっと怒っていた。無理やり私のクラスにいたり、私を杏里のクラスに引っ張って行ったりと問題行動を起こしていた。
そして別々のクラスになったのを、杏里の母親や私の母親は烈火のごとく怒り始めて、しばらく学校に通ってクレームを入れていた。こう言う人をモンスターペアレントって言うんだろうな……。あの時の事を思い出すだけで恥ずかしい。この行動には私の父親も苦言を言っていたけど、聞く耳を持たない。
「何で杏里と佳純を離したんですか?」
「何でそんな事をするんですか?」
「何ですか? それ? もっといろんな子供と関わるようにって……」
ずっと学校にはずっとクレームを言うし、杏里の祖父が学校の先生でなんか人格者だったそうで、その人の言葉で当時の校長や担任が別の学校に行ってしまったと噂された。
こんな感じなので小学校内では、私達は浮いていた。そうして四年生の時に杏里と私は同じクラスになった。杏里と私の母親が我が儘を言えば思い通りになるんだと思う。それは杏里にとって嬉しい限りだろうけど、私にとっては憂鬱だった。
だって彼女の言う通りにしないと怒るのだから。私の事情も知らないと言わんばかりに。しかも親に言うのだ。
「私と一緒にいないといけないんでしょう。じゃあ、あれしようよ」
「杏里ちゃんと一緒にいなさい」
「佳純ちゃんは杏里ちゃんと一緒にいたいよね」
本当にウザい。私にもやりたい事はあるのに、どうしてこうも言われないといけないんだ。断っても別の事をしようよと言っても、杏里は自分の意見を押し通す。
そして何度も何度も私は杏里に「わがまま言わないで」「自分勝手だよ、杏里は」と言うのだが、杏里は烈火のごとく怒って「何でそんなことを言うの!」と言い出す。
そして杏里の母を通して、母に連絡して私が怒られるのだ。
「もっと杏里ちゃんと仲良くして!」
私を人形だと思っているのか。杏里も、彼女の母親も、私の母親も……。
そんな小学校、中学校時代だったが転機が訪れた。
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杏里はしばらく怒鳴った後、無言で歩き出した。ハイキングコースの看板が見え、可愛らしい山の絵と女の子が描かれている。そして画面の奥には逃げ水が見える。
快晴で気持ちよさそうな日なのに、杏里はイライラしていた。
「あのさ、私が誘うと嫌そうな顔になるのかな? 高校に入ってから、特にそう! 別々の高校になっちゃって、一緒にいることが出来なくなって、本当に最悪。なんで別々の高校になっちゃったの? と言うか、何で一緒の高校に行かないの? 私達、ずっと一緒って言っていたでしょ。私のママも、佳純のママも。私が誘っているのに、意地悪しないで!」
そう言って早歩きでブツブツと文句を言いながら、ハイキングコースを歩く。「こんな楽しい気持ちを台無しにしないで」「何で私のいう事を聞けないの?」「なんで?」「何で?」と呟いている。
「ねえ、佳純! 反省している? 佳純のママに言いつけるよ! 私と仲良く遊んでくれないって! 嫌だよね! そんなの! ……何なのよ、その顔! もう! 今、言いつけるから!」
そう言ってスマホを探す。カバンをガサガサ音と立ててスマホを探すがしばらくして杏里は顔が真っ青になった。
「あれ? スマホが無い」
***
杏里と私は同じ高校に受験をした。一緒に勉強したり、同じ塾に行って、息抜きで一緒に遊んで……。杏里はきっと私と同じように勉強したんだから、同じ高校に受かると思っていた。
だが杏里は本命と滑り止めの高校を落ちて、私は受かった。
あの時の荒れようは酷かった。同じ高校に行くんだ! と私に泣いて叫んでいた。私に言ってもどうしようもないんだけど……。
これには杏里と私のママも怒り狂った。なぜか塾と学校と私に。
「何で杏里の勉強を見てあげなかったの?」
「何で一緒の高校に行かせてあげられないんですか?」
「何でこんな意地悪をするんですか?」
「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」「何で」……
明らかに杏里は実力不足だっただけだし、例え受験に落ちても我が儘を言えば行けると杏里は思い込んでいた気がした。高校受験を軽く考えすぎていたんだ。
結局、杏里の学校の先生に一目置かれる祖父も、こればっかりは無理だった。
だったら第一志望に受かった私が行かないで、また同じ高校に通えばいいと提案を思いつく。
冗談じゃない! 私、頑張って勉強したのに! 勉強しない杏里が悪いんじゃないか! それに、ようやく杏里と別れるチャンスなのに!
これには私の父も母方父方の祖父母も怒り出したし、中学校の先生方も反対した。私が杏里の事を疎ましく思っているのを周囲の人も分かっていたのかもしれない。
私の母は「じゃあ、離婚する!」と言うと、すぐに父は了承した。私が大人になってからと言われていたのに、早まってしまった。
そして私は父の方について行き、今は父の実家から高校に通っている。
この決定に母は虚を突かれたような顔になったが、すぐに半狂乱で怒り狂った。
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杏里はスマホを探しに来た道を帰って行く。
「もう! こんなにうまくいかないのは全部全部、佳純のせいだからね! なんで私のスマホが無いって教えてくれなかったの? 何で? 何で! 絶対にさ、佳純って高校で浮いているでしょ! 私が居なければ何にも出来ないんだから! いじめられているでしょ、こんな感じだから! 私と一緒じゃないと何にも出来ないくせに!」
ようやくバス停に着いて、杏里はスマホを探し始めた。
「ねえ、ちゃんと探している? 私のスマホ! どうして私が困っているのに、真剣に助けてくれないのかな? 友達だったら助けてよ! ねえ! 早く見つけて! スマホがいないと、私、困るんだけど!」
一方的で自分勝手な言い分を杏里はずっと言い放つ。そして言い放っているが、探してはいない。
そして逃げ水がゆっくりと蠢いていている後ろで杏里は言う。
「ねえ、早く見つけてよ!」
***
わがままで自分勝手な杏里が日常から居なくなってから、私の日々は孤独以上に素晴らしい日々だった。杏里の行動を考えなくてもいいし、自分の好きな時に本を読んで、自分で選んだ美術部に入って絵を描ける。これだけで十分だった。
杏里がいたら本を取り上げたり、中学時代は美術部ではなくテニス部に入って補欠にすら入れなかった。だから一人の方がマシだった。
ただ入学時は一人が多かった。高校には小・中学校から私達を知っている子たちがいて「杏里と一緒じゃなくて大丈夫なの?」と言って敬遠されていたからだ。
でもしばらくすれば、みんな普通に接してくれた。美術部の友達も出来たし、杏里がいない高校はものすごく過ごしやすかった。
でも色々と不安な事はあった。まず私の母親からの連絡が多かった。ラインのメッセージや着信が百件を超えて怖かった。母以外にも杏里や彼女の母親からも多かった。
内容は『杏里が寂しがっている』とか『一人で高校に通って大丈夫?』とか『いじめられていない』とか……。
母方の祖母に相談したところ、「拒否しなさい」ときっぱり言われた。
「お祖母ちゃんからお母さんに『日常生活に支障をきたすから、もう出れない』と言っておく。もし連絡したいことがあったら、お祖母ちゃんを通しなさいと言い聞かすわ」
そう言われたので、私は三人の連絡をブロックした。でもブロックしたら怒り狂って高校にまで来るかもしれない……と不安だったが、そんなことが無かった。
安心はしたが、異様に不気味な気持ちになった。
それから一か月後、母方の祖母から不思議そうな顔でこう言った。
「ねえ、佳純。最近、杏里ちゃんと遊んだの?」
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「もう! 佳純のせいで台無しよ! 何とか言いなさいよ!」
杏里は押すような仕草をする。だが勢いをつけすぎて、彼女が前に倒れてしまった。膝をついてしまって痛そうだ。
「い、痛い。なんてことをするのよ! 見てよ! 転んでひざに血が出ちゃっているじゃない! 私に痛いことするなんて最低よ!」
そう言って子供のようにわめいて、怒る杏里。
その背後で道路に銀色の輝く水たまりがスルスルと杏里に近づいてきた。
「ねえ、何で? 何で! 何で、こんな事をするの!」
杏里は背後に逃げ水が近づいていることに気づかない。音もなく静かに近づいている。
「はあ、何で佳純はこうも私をイライラさせるのかな? 最悪だよ! ずっと私を無視するし!」
普通だったら消えるはずの逃げ水が、ドンドンと迫ってくる。
「もう、佳純なんて、大っ嫌い! わざとやっているでしょう! 何で? ねえ、聞いているでしょ! 何で、そういう事をするの? 何でイライラさせるの? 何で何にも言わないの? 何で? ねえ! 何でなのよ! あなたの気持ちがよく分からない! 私と仲良く遊びたいんでしょう! それなのに、私を無視する! 意地悪したくて、一緒にいるの?」
そして杏里はまた立ち上がって押すような仕草をする。さっきよりも強く。
一方、逃げ水は消えてしまった。いや、杏里の足元に来ているから、この視界から見えないのか……。
「ねえ! 佳純! 何で……」
そして……。
***
そして動画は終わった。
私、宮岸佳純は夏休みの中頃に母の実家に来て、祖母と同伴で私の母親と会った。高校に入学してから会っていないので数か月しか経っていないのに、母はやつれていた。
母とは会わない約束を父と交わしていたが、今回は緊急事態だったので母方の祖母と同伴で会ったのだ。
「……あの、この動画って……」
私が呟くと母は「何か、知っているの?」と勢いよく聞いてきた。その勢いに負けてしまい、私は黙ってしまった。
連絡をブロックして一か月後、祖母から「杏里ちゃんと遊んだの?」と聞かれた。私は何のことだか分からなかった。だってずっと杏里と会わなかったからだ。
私は首を振って「杏里とは中学卒業後からずっと会っていない」と言うと、祖母も「そうよね……」と不思議そうな顔で言い、母からのメールを見せてくれた。
それは昨日、私が杏里と一緒に遊んだことが書いてあり、ようやく仲直りしたのねとか、でも杏里ちゃんの話を聞いていないのはどうして? などとあった。
このメールを見た時の恐怖は今も覚えている。
私は杏里と一切会っていない。そもそも杏里が何をしているのか知らないし、知る気もない。なのに杏里は私と会ったといい、私の母もそれを知り、メールで連絡したのだ。
祖母が『佳純は杏里ちゃんと会っていないと言っている』と連絡しても、母は『そんな訳ない。杏里のママから色々とお話を聞いた』と返ってきた。
『昨日は杏里ちゃんとカフェでお話ししたんでしょう? 良いわね、高校生になったからカフェに行って。でも杏里ちゃんの話を聞いていなかったんでしょう。もっと仲良くして!』
『今日は杏里ちゃんと新しくできた雑貨屋さんに行ったんでしょう? 可愛らしいぬいぐるみを見たんだってね。でも途中で居なくなっちゃったんだって。もっと杏里ちゃんを見なさい』
『昨日は杏里ちゃんと夏休みの計画を立てたんでしょう。楽しみだね。でも杏里ちゃんを無視していたんでしょう。何でそんな意地悪するの?』
『今日は杏里ちゃんと……』
こんなメッセージが祖母のラインに大量に送られてくるのだ。私も祖母も、このメールを怖がっていたが無視をする事にしたのだが……。
夏休みが入ってすぐ杏里が昔、ハイキングに訪れた山のバス停で熱中症になって倒れていたのをバスの運転手や乗客が発見したのだ。
すぐ応急処置をして救急車で病院へ行ったので、大事には至らなかった。そして杏里の近くには、彼女のスマホが落ちていた。
そのスマホには、この動画があったのだ。
ずっと黙っていた私に母は「何か言いなさいよ」と言ったので、私は口を開いた。
「私、この日は美術部の活動を行っていたから杏里とは会っていない」
「はあ? 何よ、それ! 美術部なんて夏休みに活動するの?」
理解できないと言わんばかりの表情を見せる母に、私はその日に撮った画像を見せた。
文化祭で飾る絵やコンクールなどで美術部も活動くらいはする。でもまだまだ時間があるので部員とお話ししたり、個人で書いているイラストや漫画を見せてもらったりしている時間の方が多い。その日はファミレスで昼食を食べようって事になった。その時に写真を撮ったのだ。
その画像を見せたところ、母は怒って「何なのよ! これ!」と怒鳴り、私のスマホを奪って投げた。
すぐに投げられたスマホを取りに行くと、母は更に言う。
「何で他の子と仲良くできるのに、杏里ちゃんとは仲良くできないのよ!」
何で私に問題があるみたいに言うんだろう? 怒ろうとしたが更に母は怒鳴って「じゃあ、この動画は何なのよ!」と言う。
「……分からない。何で、この場には居ない私を呼び掛けているのか。そもそもこの動画、おかしいし」
「……どういう事?」
「あそこのハイキングコースの山のバス停近く、お洒落なカフェが出来たの。クラスの子がそんな話をしていて、写真とか撮って見せてくれた。本当にバス停のすぐ近くだから、この画面には映るはずなのに、ここにはないの」
「……」
「それにカフェがインスタで有名になったから、行く人も増えたし、今年の夏はそこまで暑くないから、あのハイキングの山に行く人もいるはずなの。現に杏里を見つけた人はバスに乗っていた人たちだし。だけど、この動画には杏里しか映っていない」
「……」
「あとこれは疑問なんだけど。これって杏里のスマホから撮った動画なんだよね。動画内でスマホを無くしたって言っていたけど、あの子、自分のスマホで撮られているのに何で無いって大騒ぎしているんだろう? 目の前で撮られているのに……」
私の言葉を被せるように「だから何なのよ!」と怒り出した。
「佳純には関係ないって事? あなたの言い方、杏里ちゃんがおかしいって感じよ!」
『おかしいって感じ』ではなく『おかしい』んだけど。
怒鳴る母に祖母は「いい加減にしなさい!」と負けじと大きな声で言った。
「この映像には佳純の声も姿も写っていないじゃない。あんたは佳純の母親なのに信じられないの!」
そう言った瞬間、母はテーブルに突っ伏して泣き出した。泣きながら、この事件のせいで杏里の母親と仲が悪くなった事を言い出した。
もしかして杏里の母親と仲良くなるために、私を生んだのか? と思ってしまった。
更に、こうも言っていた。
「杏里ちゃん、意識が戻ったら佳純のことを忘れちゃったのよ!」
「え? 忘れたって……」
「あなたの写真を見ても首を傾げるだけだったの。佳純って友達、知らないって。だけど仲のいい友達のお話をするの。存在しない友達の話を」
薄情と母に言われるかもしれないが、私はショックを受けなかった。子供のように泣く母は、杏里の母親と友達になった時から時間が停まっているように見えた。
泣いている母を祖母が色々と言っている中、私は杏里の動画を見直した。
画像や動画に映る人の瞳は、レンズみたいに見ている景色を映す事があるのだ。これで場所を特定することがあるとユーチューブの動画で言っていたのを思い出したのだ。
そうして杏里がカメラ目線になっている所で停止して、瞳を拡大した。そこに映っていたものを見て、私は愕然とした。
誰もいないのだ。
この動画を取っている人物が写っているだろうと思っていたのに、スマホを構えた人間はおらず、ハイキングコースの道しか映っていない。
杏里は何と一緒に歩いていたんだろうか?
いや、今までずっと私と一緒に遊んだと言っていた人物は何者なのか?
そして杏里が言う存在しない友達って?
うすら寒いものを感じて、元の大きさに戻した。その時、杏里の背後にずっと消えずにあった逃げ水が見えた。
違和感を覚えて逃げ水の方を拡大して見ると……、なぜかカフェのある場所を映し出していた。
……もしかして、杏里はあの逃げ水の中に世界に入り込んだのでは無いのかなと思った? そこでは私がまだ友達として遊んでいたのだろう。
……そう思う事にした。無理やりだけど。