燻る懸念
「……もしもし」
喉の渇きを覚えながら、エンマは恐る恐る電話に出た。
『エンマかい?』
「うん」
思ったよりも穏やかな梅ばあの声にホッとするエンマ。
『全く、数日連絡ないと思ったら、昔の同僚から預かりたいって連絡が来て、私は何が何やらなんだけど?』
軍の方から連絡が行ったらしい。ルリも国から一筆出すと言っていたし、エンマ本人もルリから、こちらで預かりたい。との旨が書かれた書状を預かっている。
「ゴメン。俺もまさかこんな事になるとは思っていなかったんだよ。だって人工龍血一号だし」
『そうだねえ。そこら辺は私も詳しく説明していなかった責任がある』
電話の向こうの梅ばあの声には、やるせなさが感じられた。これにはエンマも自分の短慮な行動に責任を感じ、誠意を見せようと謝罪の言葉を口にしようとしたところで、
『でもねえ! 誰にも何も言わず、姿消すなんて莫迦やってんじゃないよ! 東亰に行く前に相談してくれたら、こっちだってそれ相応の施設を紹介したんだよ!』
やっぱり怒られるのか、と謝罪の言葉が喉から引っ込むエンマ。
「そんな事言って、俺が相談した時、梅ばあ「駄目だ」って言って、聞く耳持ってくれなかったじゃないか」
『言い訳するんじゃないよ! こっちへ帰ってきたら、写経一万回だからね! それが終わるまで外出禁止だよ!』
「そんなあ〜〜」
理不尽な梅ばあの要求に、本気で嫌がるエンマだったが、梅ばあは言いたい事だけ言って電話を切ってしまった。
「納得いかねえ。…………もう少し東亰を満喫してから帰ろう」
とエンマは摩天楼へ眼を向けるのだった。
◯ ◯ ◯
「まさか明治神宮が閉門しているとは……。病院ではしゃぎ過ぎたな」
日もすっかり沈み、天では月が微笑んでいる。閉じられた明治神宮の門の前で、がっくりと肩を落とすエンマ。そんなエンマの横では、どこかの仏僧が明治神宮側から道路に向かって念仏を唱えていた。
(何で神道の神社の前で仏僧が托鉢しているんだ? 人が多く集まるからか? それとも神仏習合だからありなのか?)
まあ、そんな事に気を回しても仕方ない。チャリンと100円玉と病院で子供たちに貰った飴玉を仏僧の前に置かれた鉢に喜捨して、エンマは道路を振り返る。
(しっかし、まさか明治神宮が原宿にあったとは)
眼前に広がるのは若者たちで賑わう通りで、それを見ているだけでわくわくしてくるエンマ。
(さてさて、原宿を満喫しますか)
そうして通りをどんぶらこどんぶらこと歩く人波に混ざりながら、エンマは人にぶつかる事なく、するすると人を避けながら、通りを歩いていくのだった。
◯ ◯ ◯
「うまうま」
ふらりと立ち寄った店で買った、カラフルナッツと言う、様々なナッツを様々な食紅で色付けしたメレンゲボールで包んだお菓子を食べながら、通りを歩きつつ散策するエンマ。
その足はあちらへふらふらこちらへふらふらと、興味の赴くままであり、ブランド品を扱う服屋やアクセサリーショップなど、地元では見掛けない若者向けの店の数々に、いちいち感嘆の声を漏らしながら、表通りや裏通りを歩いていると、見掛けた顔を目撃した。
裏通りにあるカフェのテラス席で、ショートヘアの女が、男と会話をしていたのだ。ショートヘアの女は、ルリの診察室にいた看護師だ。
(大人の時間ってやつか。邪魔しないように通り過ぎよう)
しかしそのような事に興味津々のお年頃のエンマは、ちらちらと2人の様子に眼を向けながら、その横を通り過ぎようとして、見過ごせないものを目にして足を止めた。
看護師と話している男の右腕の内側、ちらりと見えたそこに、利剣に巻き付く黒龍の刺青を確認したからだ。
(あれは倶利伽羅龍……!)
倶利伽羅龍は龍神教が自身らの紋章として掲げる印であり、この時代、それを軽々に掲げる者は少ない。何も知らずにキーホルダーとして持ち歩くくらいなら兎も角、身体に刺青として彫るとなると、それはもうそう言う事を意味していた。
女が小さな鞄からUSBメモリを取り出し、それを男に渡そうとしたところで、女の手に何かが当たり、その痛さで思わずUSBメモリを地面に落とす女。自分の手に当たったのが、赤い玉であると認識しながら、落としたUSBメモリを取り上げようと慌てて屈んだ女は、それを足で踏み付ける何者かの影に顔を上げると、それは昼間に顔合わせしたエンマその人であった。
「どうも。昼間ぶりですね?」
「え、ええ、そうね」
エンマの登場に明らかに動揺を見せる女と男。場に緊張感が走る。
「悪いのだけど、今、彼氏とお話していたの。その足、どけてくれるかしら?」
女のお願いに、しかしエンマは笑顔を向けるだけで、足をどける気配はない。
「お話ですか。興味あるなあ。それってどんな話ですか?」
エンマの問いに目配せする男女。
「君には関係ない話よ」
「ふ〜ん」
女がそう口にしたところで、エンマはUSBメモリを取り上げ、それを自らの懐に仕舞った。
「ちょっと!」
それに動揺して女が声を荒げたところで、街にけたたましいサイレンの音が鳴り響いた。
◯ ◯ ◯
都内某所、征龍軍司令部━━。
「海神総司令! 都内にて複数の次元干渉波を確認! 次元深度は4です!」
通信士の女の声が、司令部に響き渡る。これに腕を組む熊の如く大柄な海神。眼前の巨大モニターに映し出された都内の様子では、1ヶ所から円心状に広がるいつもの次元干渉波ではなく、複数の場所で局所的に強い次元干渉波が発生しているのを物語っていた。
「明らかに人工的に生み出された干渉波ですね。しかも国や軍の要衝近くに集まっている」
海神の傍に控える男の副官が、眉間にシワを寄せる。
「すぐに部隊を編成して、重要度の高い施設優先で送り出せ! 休暇の奴も呼び戻せ! すぐにだ!」
海神の命令で司令部が慌ただしく動き出した。
◯ ◯ ◯
『龍毒警報発令! 龍毒警報発令! 次元干渉波が確認されました! 住民の皆様は、ただちにマスクを被り、建物内へ避難して下さい! 繰り返します━━』
ここで龍毒警報? とエンマがそれに気を取られた瞬間を逃さず、テラス席にいた男女は逃げ出した。
「そんな事で俺から逃げられると思っているの?」
しかし一瞬にして背後に迫ったエンマに襟首を掴まれ、地面に叩き伏せられる2人。
「そんな!? この人混みで!?」
周囲は建物内に避難しようする人波でごった返している。そんな中なら逃げられると踏んだ2人であったが、あっという間に捕まえられ、驚愕していた。
「おい! 何をやっている! 今は非常事態だぞ!」
そんな3人に声を掛けながら近寄ってくる2人の警官。
「お巡りさん! この2人、龍神教の信徒です! 捕まえて下さい!」
「何だと!?」
驚きながら警官たちが地面に伏せられた2人を見ると、その顔は明らかにこちらを敵視しているものであった。それを理解した警官たちは直ぐ様手錠を取り出し、2人を拘束する。
「じゃあ、この2人の身柄はお願いします」
言って立ち上がると、エンマは肩掛けバッグからガスマスクを取り出して装着して走り出す。
「ちょっ! 君! どこへ行くつもりだ! 早く建物に避難しなさい!」
「行くところがあるので!」
警官たちへ振り返る事もせず、エンマはそう口にすると、この場を後にするのだった。