子安地蔵
「う〜ん、どうしたもんかなあ」
頭を掻きながら病院内をうろつくエンマ。その足は自然と遊戯室へと向かっていた。
「あ! エン兄!」
開け広げられた遊戯室の向こうから、目敏くエンマを見付けた子供の1人が声を上げると、待ち望んでいたエンマの登場に、子供たちが一斉にエンマの下まで駆けてくる。
「おいおい、一応お前ら病人なんだろ? 駆けたりして大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ、このくらい」
と声を上げる子供たち。ルリから、ここの子供たちは国から難病指定されていたり、治療法が確立していない病気を患っている子供たちを対象に、龍血方面から治療出来ないか、と親御さんの許可と協力の下、先進治療を受けている子供たちなのだと説明を受けてきたエンマ。しかしその闘病生活は中々に大変なものらしく、親であっても会った時にどのような反応があるか分からないので、会う機会は少ないそうだ。なのでこれからもちょくちょく遊んであげて欲しい。とルリから申し出があった。因みにここは第二医療院で、大人は第一医療院で静養しているそうだ。
「エン兄、遊ぼう」
と1人の男の子がエンマの手を引き、遊戯室まで連れてきてくれるが、エンマとしてはその子が鼻水を垂らしている事の方が気になっていた。
「分かったから、ちょっと待ってなあ」
エンマは近くにあったティッシュケースに手を伸ばす。するとエンマが鼻をかませようとする前に、その子供がくしゃみをしそうになる。その行動に違和感を感じたエンマは、思わず子供の顔を誰もいない横へ向けていた。
「へぎっ!!」
鼻詰まりのくしゃみと共に、子供の口から放たれたのは、唾液の飛沫などではなく、真っ赤な火球であった。それは直ぐ様空中で霧散したが、一歩間違えればエンマが火傷していてもおかしくなかった。
「……あ、ごめんなさい」
自分の行いで、エンマを火傷させそうになった事に、その子供は酷く動揺し、縮こまって俯いてしまった。が、当のエンマはと言えば、
「凄えな! お前、火ぃ吹けるのかよ!」
などと少し興奮気味である。
「え? うん。でも上手くコントロール出来ないから、ママやパパとも会えないんだ」
泣きそうになりながらも、服を掴んで泣くのを必死に堪える子供。
「そっか。じゃあ、頑張ってコントロール出来るようにならないとな。はい、んじゃ、鼻チーンして」
とティッシュを子供の鼻に持っていく。しかし子供は鼻をかむよりも、自分に自然に向き合ってくれるエンマの方が気になるようだった。
「エン兄、ボクの事怖くないの?」
「怖い? 何が? 火ぃ吹けるとか格好良いじゃん!」
ニカッと子供へ笑顔を向けるエンマ。その笑顔に安心したのか、子供はようやくエンマの差し出したティッシュで鼻をかむのだった。
「エンマお兄ちゃん、わたし電気出せる」
この様子を見て、今度は女の子が恐る恐るエンマに話し掛けてくる。
「え? マジで?」
興味津々でエンマが女の子を振り返ると、その子は両手を肩幅まで広げ、その間を幾筋もの電流がパチパチと流れていた。
「おお! 凄え! そんなん、うちの田舎のジジババたちなら、電気治療が受けられるって、喜んで行列作っちゃうな!」
これにはぱあっと破顔する女の子。
「エン兄! オレ、水が出せるぜ!」
と今度は別の男の子がいきなり指先から水を出し始めたものだから、これをこぼすまいとエンマは両手でこれを受け止めると、躊躇いなく満杯になった水を飲み干した。
「美味い! え? 何で? 何でこんなに美味しいの? 凄過ぎない? 三ツ星レストランから引く手数多でしょ?」
エンマの言葉に得意気に鼻の下を擦る男の子。
これらが呼び水となって、子供たちはエンマに褒めて貰おうと、次から次へと自分の能力を開示していく。
空中に浮ける者、遠くまで見通せる眼を持つ者、身体から棘を出せる者、身体が骨まで柔らかい者、描いた絵が動き出す者、様々な能力をエンマはニコニコ笑顔で皆褒めていく。これが子供たちにとってどれ程嬉しい事なのか、エンマに自覚はなかった。何故ならこれらの症状のせいで、子供たちは親から遠ざけられていたからだ。そんな子供たちの個性を、エンマは無償で受け入れ、褒めちぎる。その中には、医師や看護師が把握していない、子供が隠していた能力もあった程だ。
遅れて遊戯室へやって来たルリが見たものは、先程よりも子供たちに懐かれ、わちゃわちゃと子供たちに揉みくちゃにされながら遊ぶエンマの姿であった。
「本当に凄いわね、あの子」
目の前の光景に圧倒されながら、遊戯室の入口で所在なげにその光景を見ていた看護師に話し掛ける。
「ええ。何年もここで働いている私も形無しですよ」
と肩を落とす看護師だったが、その顔は明るい。
「ルリ先生、知ってますか? 閻魔大王と地蔵菩薩って同一人物なんだそうですよ?」
「そうなの? 博識ね」
「はい。そしてそんなお地蔵様は、子供が大好きで、賽の河原で石を積む子供を救ったり、各地で救いを求める者へ手を差し伸べる為に、行脚したりするそうです。地方によっては子安地蔵と呼ぼれているとか」
「へえ、でも、納得だわ」
目の前で繰り広げられている光景はそれだけ、普段の医療院と違っていた。いつもどこか大人に遠慮しているのが伺える子供たちが、満面の笑顔で楽しそうにしているのだ。それを見ているだけでルリも看護師も笑顔になってしまうのだった。
◯ ◯ ◯
「いやあ〜〜、遊び過ぎたあ〜〜」
病衣からトレードマークの烏色のどてらに着替え、手に錫杖を持ったエンマは、もう夕方も暮れそうと言う時刻に、医療院のエントランスに立っていた。それを見送ろうと言う子供たちは、名残り惜しいのだろう、今にも泣きそうである。これに一つ息を吐いたエンマは、
「じゃあ! またすぐ来ると思うから、それまで皆良い子にしていろよ!」
と笑顔で子供たちへ手を振る。この満面の笑顔には、子供たちも笑顔になってしまう。それにこれが今生の別れでもなく、今後は定期的にこの医療院で検査を受ける事になるであろうエンマとなら、また会う事は出来ると思い直し、子供たちもまた笑顔でエンマを見送るのだった。
口々に声を掛けながら手を振る子供たちやルリに見送られながら、不自然に高い塀に囲まれた、無駄にだだっ広い中庭を抜けて、正面入口までやって来たエンマに、
「お疲れさん」
と声が掛けられる。子供ではなく大人、それも男のものであった。驚いて左右を確認すると、突撃銃を構える中々に厳つい武装の兵士が2人立っていた。門衛にしても物騒だが、あの子供たちはそれだけ大事にされているのだろうと思い直し、エンマは2人に会釈してこの場を立ち去った。
医療院を出て100メートルと歩いたところだろうか、突然スマホが鳴り出し、また慌てるエンマ。見れば梅ばあからであり、履歴を見ればずらりと梅ばあからの電話記録やメッセージ記録が残っている。
どうやらエンマは数日前から音信不通だったらしく、ここにきて連絡が来たと言う事は、あの医療院では電話の類は使えないようになっていたのだろうと、思索にたどり着くエンマ。そしてこれは間違いなくお叱りの電話だろうと思い至り、出たくないなあ。と1分2分とスマホの画面を見続けるも、電話が鳴り止む気配はなく、仕方ないと覚悟を決めたエンマは、その電話に出るのだった。