DNAとRNA
「司馬くんは、龍と言う生物がどんなものだと理解しているかしら?」
「どんなもの? ですか? う〜ん、異次元にある『龍の塒』と言われる場所からやってくる、厄災のような凶悪で未知の生物でしょうか?」
エンマの答えが世間一般で出回っているものと同じであると、ルリは頷く。
「まあ、だいたい皆そんな認識ね。ただ、龍と私たち人間とでは、生物として決定的な違いがあるの」
「決定的な違い、ですか?」
含みのあるルリの言葉に、龍の豪壮な姿を思い浮かべ、あれと人間では違う生物であるのは当然では? とエンマは首を傾げる。
「それはね、龍がRNA生物であると言う事よ」
「RNA生物?」
聞き慣れない言葉に、思わず聞き返すエンマ。
「人間は細胞の中の細胞核に46本の染色体を持ち、その1本1本に遺伝子、DNAを収納しているの。これが複製される事によって、細胞分裂して新陳代謝で新しい細胞に日々生まれ変わっているのよ」
成程と、これに頷くエンマ。
「DNAは二本鎖の螺旋状をしていてるのだけど、対してRNAは一本鎖で構成されている」
言いながらルリは捻れた梯子のようなDNAと、その梯子を縦半分にしたようなRNAの画像をパソコンのモニターに映し出し、それをエンマの見易い位置に向ける。
「まあ、諸説あるのだけど、RNAはDNAの前身と位置付けられている事が多いわね。RNAが進化してDNAになったって説ね」
「はあ」
その説明だと、RNA生物はDNA生物より弱いのではないか? とエンマはまたも首を傾げる。
「RNA生物として有名なのは、インフルエンザウイルスかしら」
「インフルエンザですか?」
「そう。そう聞いただけで、龍がどれだけ危険な存在か分かるでしょう」
ルリの言葉に頷くエンマ。龍が異次元から現世に現れる前兆として、龍毒と言う無味無臭の見えない霧が発生する。隷等級程度であれば問題ないのだが、兵等級以上となると、龍毒警報が発令され、ガスマスクのようなマスクを付けて速やかに建物内に避難するように、幼稚園保育園の頃から指導される。この龍毒が多量に身体に入り込むと、数時間の内に発熱や悪寒、痙攣に始まり、内臓損傷や筋肉や骨の溶解、吐血の末、死に至る場合も少なくない。インフルエンザよりも危険度が格段に高かった。
「で、そんな危険な龍のRNA細胞なのだけど、稀にこの地球上の生物の細胞に適合して、細胞小器官として住み着く事があるのよ。これが龍血適応ね」
「ウイルスが細胞に入って、共生するって事ですか?」
エンマの答えに頷くルリ。
「ない訳じゃないのよ。人間の細胞も、細胞核以外に、ミトコンドリアやリボソーム、ゴルジ体と言った、細胞小器官を持っているしね。それにリボソームもRNA細胞だし」
「そうなんですか?」
「うん。細胞内に入り込んだ龍血細胞は、ミトコンドリアやリボソームなど、他の細胞小器官に良く似た働きを始めるの。身体を動かすエネルギーを作り出すミトコンドリアに似た動きをする事で、身体能力を向上させたり、細胞分裂を担うリボソームと似た動きをする事で、身体そのものを作り変えたりするの。より頑強な肉体に変質させたりして、その過程で角が生えたり、皮膚に鱗が出来たりするのは、元々龍血細胞が持っている性質を、細胞分裂の段階で人間の肉体が取り込んだ事で起きる現象ね」
何とも恐ろしい話を聞かされている気がする。そうやって変質した人間は、それは人間と言えるのだろうか? と一瞬エンマの脳裏を過ぎるが、シュラやラセツの姿が変質したところで、自分の態度は変わらないだろうと思い直した。どんな姿となろうと、シュラはシュラでラセツはラセツだ。
「更に細胞小器官となった龍血細胞は、龍気、海外だとエーテルと呼ばれる波動体を常に生み出し、この龍気は異次元に接続して、現世で超常現象を引き起こすの」
龍気を漠然と、気功のような何かと思っていたエンマからしたら、初耳の情報であった。
「それで、俺の場合はその変質が特殊、って事で合っていますか?」
「話が早くて助かるわ。その通り。君の場合、人工龍血一号の他に、それ以前に注入されていた龍血細胞が既に細胞内に存在していた。どうやら髪色を変えた程度で、不活性状態だったみたいだけど」
この説明には納得するエンマ。エンマも円月寺の深奥で暮らしていたが、流石に人外を疑われる程に人間離れしていたら、他の武僧たちから声が上がっていたはずだからだ。
「それが今回人工龍血一号を注入された事で、これに反応して活性化した。そしてそれは、これまで龍血は一人に一種のみとされていた常識を覆す結果を出したのよ」
「覆す結果、ですか? その言葉を信じるなら、二つの龍血細胞がケンカせずに同居しているって感じですかね?」
エンマの発言に、しかしルリは「違う」と首を横に振る。
「それどころの話ではないわ! もっと凄い事が君の身体の中で起きたのよ!」
「もっと凄い事?」
興奮気味のルリに、少し引くエンマ。
「ええ! さっき、RNA細胞は一本鎖だって言ったわよね?」
「え、ええ」
「一本鎖の龍血細胞が2つ。その細胞は君の細胞内で奇跡的に結び付き、二本鎖のDNA細胞へと変質した。そしてそれは細胞核へと取り込まれ、なんと47本目の染色体となったのよ!」
「それは…………、俺の身体、どうなるんですか?」
「それは分からないわ!!」
分からないんだ。と興奮しているルリに引きつつ、俺の身体どうなるだ? と天を仰ぐエンマ。
「とりあえず、世界初の事例だから、こちらとしては継続的に研究していきたいんだけど、どうかしら!?」
「ど、どうかしらと言われましても……」
ぐいぐい来るルリに、どう対応するのが正解か分からず、エンマは戸惑っていた。それに気付き、流石に我に帰るルリ。
「ごめんなさい、取り乱したわ」
「いえ」
「そうよね。君はまだ未成年なんだから、この事は親御さんと良く話し合わないといけないわよね」
「あ、はい」
親御さんと言われ、エンマは梅ばあの顔を思い浮かべ、それはすぐに己を怒鳴り散らす般若に変わる。しかしこの事を話さない訳にもいかず、思わず溜息を漏らすエンマであった。
「私や国から一筆出すから、親御さん、司馬梅子さんと良く話し合って決めてね。こちらへ協力して貰えるようなら、司馬くんには東亰で暮らして貰う事になるから、そのつもりでね」
東亰で暮らす。その響きはまだ若いエンマには魅力的であったが、養母である梅ばあは許してくれないだろうと、何とも言えない顔になるエンマだった。




