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終い果つ

 残るは一般兵が5匹に、護衛が1匹、そして二ツ目、いや、三ツ目が1匹。


 対するエンマは三ツ目の咆哮によって、耳目鼻口から血を噴き出し満身創痍。それでもエンマの気勢はまだ衰えていなかった。


(肺が熱い。血管がどこかで切れて、血が入ってきているな。脳がまだ揺れているせいで、立てているのがやっとだな。五感は何も反応しない。龍共は近いのか、遠いのか)


 三ツ目の龍の思わぬ攻撃に、意識が混濁している自覚が、逆にエンマを冷静にさせた。普段より武芸を学び、禅行にて心を鎮め、常に冷静たらんと努めてきた成果が、ここにきて尚、エンマに冷静に状況分析をさせる。


「ふうう…………」


 息を深く吐き、脳をリセットし、エンマは深く深く己の意識と身体を感じ取り、それを消し去る事で、自我と彼我との境界を消し、どこまでも静かな、無の感覚へ入り込む。


 円月流・禅行━━寂静(じゃくじょう)


 静かな無の世界━━。そこでは動くものは普段よりも良く感じられる。エンマは自分の後背でこちらの心配をしているルリと看護師、そして子供たちを正確に把握し、そしてこちらへ向かってくる龍共の動向も、手に取るように掌握出来ていた。


 襲い来るのは一般兵の龍のみで、三ツ目の龍は最初の位置から動いていない。護衛はそれを守って動かない。恐らく手負いの人間1人ならば、一般兵で片が付くとの判断だろう。対するエンマは、全身を脱力し、力ではなく、己の身体の自然な動きに身を任せる。これまで何千何万と繰り返し、身体の機能として確立させた円月流武芸の術理が、龍に対して最適解の攻撃をする。


 5匹の龍の攻撃を、ゆらりゆらりと躱しつつ、その間隙を抜けると、その後ろには5匹の龍の死体があった。花舞川葉とも言えない、ただ自然に歩いただけ。弧月ではない、ただ刃を振るっただけ。エンマの血肉は、今、敵に対して最適解の攻撃を与える、武芸術理の化身となっていた。


 倒した龍などまるでいなかったかのように、ゆらりゆらりと三ツ目の龍へと前進するエンマ。それはとても異様であり、威容を放っていた。これに怯む三ツ目の龍と、護衛の龍。


 その威容に当てられ、その場でじっとしている事に我慢出来なくなった護衛の龍が、三ツ目の龍の護衛任務を無視して、エンマへ襲い掛かる。8メートルを超える大きな龍の大顎による三連撃。しかしそれはエンマに掠る事もなく、だが、エンマをもう一度シャッターまで後退させるには十分なものであった。


「グガアアアッッ!!」


 再度咆哮を上げる三ツ目の龍によって、更に強度を増した護衛の龍が、エンマへ追撃を試みる。シャッターまで追い詰めた護衛の龍は、その両前足でエンマを叩き潰そうと、両前足を広げた。


 前門の龍に後門のシャッター。逃げ場のないエンマだったが、その動きは的確にして正確で、陸上の円盤投げの選手のように回転したエンマは、護衛の龍の胸目掛けて左手の小剣を投げ、そこへ更に右手の小剣の回転突きが、左手の小剣の柄頭に当たり、投げられた小剣を加速させる。


 円月流武芸━━閃空/鉄貫の重ね。


 投擲術の閃空に、棒術の鉄貫を組み合わせた事で、投げられた小剣は銃弾の如く回転しながら、その威力を増幅させて、護衛の龍の胸に突き刺さり、正確に護衛の龍の核を貫いた。


「グ、ガガガガ……」


 断末魔と共に前に倒れてくる護衛の龍を躱し、エンマと対峙するのは残る三ツ目の龍のみ。エンマに残された武器は右手の小剣のみ。


「ふう…………」


 再度深く息を吐くと、エンマは三ツ目の龍に対して右半身となって、小剣を片手で上段へ構える。その構えは独特で、身体は三ツ目の龍に対して完全に真横に、背は伸ばし、小剣を背に当たるまで大きく振りかぶった構え。強いて言えば剣の構えと言うより、薙刀の上段に近い構えであった。


(ふう。マスクが外れたのは、ある意味僥倖だったな。マスクをしているとこの呼法は使えないからなあ)


 円月流・呼法━━脈息・裏拍。


 心臓の鼓動に合わせて呼吸をする脈息とは違い、裏拍は脈動と脈動の間に合わせて息をする。そうする事で血流の流れを加速させて、全身に行き渡る酸素量を強引に増やす。脈息よりも更に身体能力を向上させる呼吸法。


 しかし裏拍は強引に身体能力を向上させるが為に、身体は悲鳴を上げ、精神は無駄に高揚し、身体は流れる熱い血の影響で、燃えるような熱に包まれ、的確な動きを阻害する。当然そこから放たれる攻撃は、強力ではあっても、強引で大味な攻撃となるので、使いどころが難しい技である。


 しかしそれを抑制させる(すべ)をエンマは持っていた。禅行━━寂静である。精神を安定させる寂静と身体能力を向上させる裏拍。流れる熱血は炎の如く、その身を焼きながらも精神は冷静に無の世界にいる。円月流武芸━━寂静/脈息・裏拍の重ねを、円月流では別の名を授け、円月流武芸の一つの到達点と位置付けていた。


 円月流・禅行・果ての一つ━━火生三昧(かしょうざんまい)


 仏像の不動明王を見た者なら知っているだろうが、不動明王はその背に炎を背負って彫られている。この炎を火炎光背(かえんこうはい)と言うのだが、実際の不動明王は火炎を背負っているのではなく、その身を自らが出した火炎で焼いているのだ。そうやって身に降り掛かる悪や煩悩を焼き尽くす。それが火生三昧。それが不動明王なのだ。


 ◯ ◯ ◯


「燃えている……」


「うん。エンマお兄ちゃん、燃えているね」


「?」


 医療院の中から戦闘を見守っていた子供たちは、エンマの身体から炎が噴き出しているのを確かに見ていた。しかしルリも看護師もその炎を見る事が出来ていなかった。なので子供たちの言葉は、エンマが最後の龍を倒さんと、意気を燃やしていると受け止められた。


 しかし実際にエンマは燃えていた。その炎は純粋な龍気の炎であり、高位の龍血をその身に宿す子供たちでなければ、その炎を見る事が出来なかったのだ。


 ◯ ◯ ◯


 燃える身体をものともせず、エンマの心は無の世界にあり、穏やかであった。そしてその動きは的確であり正確、そして神速。


 背を伸ばして上段に構えた状態から、ゆらりと沈み込むように前に踏み出す。その、上から下、そして前へと進む動きは、美しい曲線を描き出す。それは無駄な力がどこにも掛からない、完成された完璧な曲線であった。


 サイクロイド曲線と言われる曲線がある。端的に説明すれば、その曲線は玉を転がすのに最適な曲線であり、とても良く玉が転がる理想的な曲線だ。武道の達人の動きは、これと相似な動きをする。空手の突きや剣道の面など、腰を落としながら一歩前に進み、一撃を与える。その動きの極みがサイクロイド曲線を描くのだ。


 円月流においてもその術理は当然取り入れられており、それは見習い、下伝の頃から何度となく反復させられる。そしてそれを更に発展させた技も当然存在する。


 円月流・歩法━━一歩一丁。


 一丁とは距離の単位であり、メートルに換算すると、約100メートルである。これを一歩でそれだけ進む歩法━━一歩一丁。ゆらりと摺り足でサイクロイド曲線を描きながら前へ出たエンマは、その動きの下辺で左後ろ足を思い切り蹴り、サイクロイド曲線の下へ向かう位置エネルギーを余す事なく前方への推進力へと変える。火生三昧で最大まで身体能力を向上させたエンマの動きは、正に神速であり、シャッターから三ツ目の龍の眼前まで、一条の炎の尾が引かれた。


 正しくあっという間に三ツ目の龍に肉薄したエンマは、もう一度背筋を伸ばし身体を立てる。そしてそこから放たれるのは円月流の初歩にして根幹とも言える技。身体は下へ弧を描き、小剣は反対に上へ弧を描く。上下の動きは美しく連動し、それは見事な円となる。


 円月流・剣術━━望月。


 円月流・剣術の初歩の動きであり、円を描くその軌道は、最大威力を叩き出す。相手が人間であれば、それは正しく確殺の一撃となるはずであった。あるいは一ツ目、二ツ目であれば、まだ効果的だっただろう。


 人間の視覚と言うものは、左右に比べて上下が狭い。その為、沈み込むような動きをする一歩一丁を自分に向かって直線的にやられると、相手はその姿を見失い、いきなりすぐ眼の前に剣を構えた人間が現れる事になる。そこからの望月は、来ると分かっていても避けられない、確殺の一撃であった。


 が、それは三ツ目の龍には効かなかった。その鳩尾に第3の眼がある為に、一歩一丁に惑わされず、一歩距離を引く事が出来たからだ。あるいは、エンマが持っていた武器が小剣ではなく、打刀程(約70センチ)の長さがあれば、それは三ツ目の龍に届いていたかも知れない。


 エンマの望月を躱した三ツ目の龍は、最後の一撃とばかりに一歩前に出て、あの高振動波の咆哮を放とうとして、エンマを見失った。


 三ツ目の龍の動きが止まり、(まなこ)がエンマの姿を探す。そして気付いた時には、小剣が上から振り下ろされていた。


 円月流・剣術━━望月・ニノ打(にのうち)(しょく)


 初撃の威力を減衰させる事なく、エンマの身体は宙に横倒しとなり、龍の死角、頭と鳩尾の間で高速回転していた。それは描かれた満月を蝕むように重なり、月夜を闇に隠す陰の一撃。円月流・剣術を上伝まで極めた者のみが扱える技。


 三ツ目の龍にこの一撃を躱す事はあたわず、その一撃は龍の肩口から綺麗な縦一直線を描き、そしてその途上で小剣が鍔元から溶けた。


 エンマの火生三昧に耐えきれなかった小剣が、龍の身体の切断する途中で溶け、エンマの一撃は三ツ目を死に至らせるに足らなかった。これに気を良くした三ツ目の龍が、咆哮を上げようとする。


 が、そんな事はお構いなしに、エンマは斬られた龍の傷口に、柄だけとなった小剣を持った右手で以て貫手を放つ。そして龍の体内に入り込んだ手が龍核を掴んで引き抜く。


 これに驚愕の眼を向ける三ツ目の龍は、奪われた己の心臓(かく)を取り戻そうと前足を伸ばすも、それは無情に三ツ目の龍の眼前で砕かれた。


「破っ!!」


 円月流・呼法━━合掌。


 大音声と共に両手が打ち鳴らされ、その中にあった龍核が粉々に砕け散った。それを目にした三ツ目の龍は、声も出せずに、地に倒れ伏す。手を合わせたままのエンマは、この場の全ての龍共へのせめてもの死出の(はなむけ)として、そのまま頭を下げて一礼を持って此度の戦いに幕を下ろす。


 こうして医療院前の激戦は幕を閉じたのだった。


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