婚約破棄?ありがとうございます!では、お会計金貨五千万枚になります!
王宮の広間に、よく響く若い男の声が響き渡った。
「クラリス・ウェルフォード! お前とは婚約破棄だ!」
王太子エドワード・アルトリア。王国の次期国王にして、私の「婚約者」だった男が、これ見よがしに腕を振り上げ、私を指差した。
「お前は侯爵令嬢であることをひけらかし、私に命令するような態度を取り、まるで私よりも立場が上だと勘違いしている! その傲慢さには我慢ならない!」
エドワード王太子の隣では、一人の少女が涙ぐんで私を見つめていた。彼女はロゼリア・バークレイ男爵令嬢。茶色のふんわりした髪をカールさせ、可愛らしい小動物のような顔立ちをした少女だった。
「……クラリス様……ひどい……!」
か細い声で震えながら言うと、王太子は彼女をかばうように前に出た。
「ロゼリアを泣かせるなんて、許せない! 私は彼女と真実の愛に目覚めた! だから、君とは婚約破棄する!」
――なるほど、そう来ましたか。
私は涼しげに目を細め、落ち着いた声で返した。
「……では、契約終了ですね?」
「は?」
王太子が間抜けな声を漏らした。広間の空気が、一瞬凍る。
「婚約破棄ではなく、業務終了ということです。王太子殿下」
「業務、終了……?」
まるで意味が分からないといった顔をする王太子に、私は微笑んだ。
「では、契約通り、報酬の五千万金貨をお支払いくださいませ」
私は手元の書類を広げ、正式な請求書を差し出した。
――それは、王太子自身が署名した正式な契約書だった。
**********
この国の王太子の婚約者探しは、非常に難航した。
理由は単純明快――王太子エドワードが傲慢で、我儘だったからだ。
幼い頃から「王子様」として甘やかされ、周囲の人間を見下し、命令することに慣れていたエドワードは、当然ながら貴族社会においても評判が最悪だった。とくに、高位貴族の令嬢たちは、彼との婚約をこぞって嫌がった。
それに加えて、顔合わせをすることになった令嬢に対し、王子は侮辱や意地悪を繰り返した。
「よく、その程度の顔で王太子妃になれると思ったな」
「お前の家は、確か伯爵家だったな?貧乏貴族が。なぜお前が選ばれると思った?」
「何を黙っている? 王妃の座が欲しいのなら、せめてもう少し話す努力をしたらどうだ?」
冷たく鋭い言葉で相手を追い詰め、少しでも気に入らないことがあれば見下したような笑みを浮かべる。
ある令嬢は、エドワード王太子と顔合わせをしただけで泣き崩れ、即座に辞退を申し出た。別の令嬢は、家族総出で婚約を拒否し、遠方の領地へ「自主的に」避難したほどだ。
こうして、王太子妃の座は誰もが避けるものとなった。
そんな中で、王家が目をつけたのが、ウェルフォード侯爵家だった。
ウェルフォード侯爵家は、代々王国を支えてきた名門だった。しかし、数年前に起こった未曾有の水害によって、領地は壊滅的な被害を受けた。城の修繕費、民の救済金、さらには流通が滞ったことによる損失。侯爵家の財政は急速に悪化していた。
その苦境を察した王家は、こう持ちかけてきた。
「ウェルフォード侯爵家に貸付をする代わりに、貴家の令嬢を王太子の婚約者として提供してほしい」
この提案に、父は悩んだ。しかし、資金の問題を考えると、拒否することはできなかった。
こうして、私は「王太子の婚約者代行」として契約を結んだ。
******
「お前が王太子妃候補らしいな?」
王宮の謁見室で、私は初めてエドワード王太子と対面した。
当時、私たちはまだ幼かった。とはいえ、私がそれなりに礼儀をわきまえていたのに対し、エドワード王太子はすでに王族の横柄さを身につけていた。
彼は私を上から下まで値踏みするように見たあと、鼻で笑った。
「……へぇ? 侯爵家の令嬢って、もっと綺麗なもんだと思ってたが……まさかこんな地味な女だとはな」
私は眉一つ動かさなかった。
幼いながらも、貴族の令嬢としての振る舞いを叩き込まれている。どんな相手にも冷静に対応することは、すでに身についていた。
「初めまして、エドワード殿下。私はクラリス・ウェルフォードと申します」
丁寧に挨拶をすると、エドワード王太子はつまらなそうに腕を組んだ。
「なーんか、偉そうだな。さすが侯爵令嬢ってことか? どうせ、『私は侯爵の娘だから、王太子妃に相応しいんですの』って思ってるんだろ?」
「……私は、王太子妃の役割を果たすために参りました」
「へぇ? でも大したことないな。そんな顔で、王太子妃なんて務まりそうにないけど? 俺は華やかで可愛い女の方が好きなんだよなぁ」
くすくすと笑いながら、エドワード王太子は私をからかうように覗き込む。
「そうそう、うちの馬小屋の世話係の方が、まだお前より愛嬌があるかもな?ほら、もっと俺に媚びてみろよ」
「……」
私は、ゆっくりと深呼吸した。
王太子が子供じみた挑発をしてくることは、想定済みだった。
「私は、王太子殿下の婚約者です。取り繕うつもりはございません」
「……チッ、生意気な女」
それが、私と王太子の最初の出会いだった。
***********
契約が成立し、私は王太子の婚約者として宮廷入りした。
「王太子を導き、王太子妃としての役割を果たしてほしい」
そう言われ、私は期待に応えようとした。
しかし――
「なぁ、クラリス。これ、見といてくれ」
王太子が手渡してきたのは、王国の貿易に関する重要な書類だった。私は一瞬、目を疑った。
「これは、王太子殿下がご覧になるべき資料です」
「だから、お前が読めばいいだろう」
「殿下、それは王族としての責務です」
「そんなもん、どうせ退屈なことが書いてあるだけだろ?」
私は息を詰まらせた。
「……殿下、ご自身で確認を――」
「いいから、お前がやれよ。お前、こういうの得意なんだろ?」
そう言って、エドワード王太子は書類を私の前に放り出した。
それが始まりだった。
次第に、王太子は公務のほとんどを私に丸投げするようになった。
社交の場では「クラリスに任せてある」と一言だけ言い、全く取り合わない。
宮廷会議には顔を出さず、私が代わりに報告を受ける。
さらには、重要な政務の場でさえ――
「クラリス、俺、これから狩りに行くから、今日の会議は頼んだぞ」
「……王太子殿下、これは王族として直接ご出席いただくべき――」
「お前がまとめて、あとで俺に簡単に説明してくれればいいから」
そう言って、エドワード王太子は私の言葉を聞くこともなく、宮廷を後にする。
次第に、私は王太子としての仕事のほとんどを担うことになった。
結局、私は学業だけでなく、婚約者の業務、さらには王太子の業務までこなさなければならなくなった。
―――最初はまだ、私の言葉を聞く気が少しはあったのかもしれない。
しかし、エドワード王太子が年を重ねるにつれ、彼の態度はさらに悪化した。
次第に、彼は宮廷を離れ、遊び歩くようになった。
「殿下、ご公務をお忘れではありませんか?」
「うるさいな、クラリス。俺だって息抜きくらい必要だろ?」
「遊び歩くことが息抜きでございますか?」
「お前には分からないだろうな。お前みたいな堅物には」
さらに、彼は次第に女性と遊ぶようになった。
その相手の一人が、ロゼリア・バークレイ男爵令嬢だった。
彼は、私の目の前でもロゼリアを甘やかし、私と比較しては公然と侮辱した。
「クラリスはいつも堅苦しくて可愛げがないけど、ロゼリアは素直で可愛いよなぁ」
私は何度もたしなめた。王族としての品位を保つようにと。
しかし、エドワード王太子はまるで私の言葉を聞く気がなかった。
しまいには、
「ロゼリアに嫉妬して、見苦しい!!そんなに俺の寵愛が欲しいのか!!」
などと喚く始末。
**********
――――そして、今日。
エドワード王太子は、公衆の面前で、得意げに「婚約破棄」を宣言した。
私は静かに彼を見つめる。
「では、契約終了ですね?」
そう言い、私は金貨五千万枚の請求書を差し出した。
「……は?」
エドワード王太子の顔が、まるで信じられないものを見たかのように固まる。
「そ、それは……どういうことだ?」
私は微笑みながら、手元の書類を広げた。
「王太子殿下との婚約は、元々王家との契約に基づくものでした。私は単なる婚約者ではなく、王太子の婚約者を演じる業務契約を結んでおりましたので」
淡々と説明しながら、私は契約書の一節を指でなぞる。
「そして、この五千万金貨は、契約に基づいた正当な報酬です」
エドワード王太子はまだ状況を呑み込めていないようだった。唖然としたまま、ただ私の顔を見つめている。
「では、内訳を説明いたしますね」
私は王子と周囲の貴族たちに向け、落ち着いた声で説明を始めた。
「まず、婚約者代行の基本報酬が金貨百万枚」
これは、契約当初から決まっていた金額だ。
「次に、残業代として金貨千五百万枚」
「……残業代?」
「ええ。元々の契約では、私の業務は『王太子の婚約者としての務め』に限定されていました。ですが、殿下が公務を放棄されたことで、私は本来の業務時間を超えて働かざるを得ませんでした」
私は書類をめくりながら続ける。
「さらに、王太子殿下が放棄された社交の代理出席費として金貨千五百万枚」
「なっ……!」
「公爵家や侯爵家の夜会、王妃主催の茶会、さらには国外の貴族との親睦会など、殿下が『興味がない』と放棄されたものを、私がすべて代理でこなしました。それらにかかった時間や精神的負担を考慮し、追加の請求となります」
「そ、そんなこと……」
エドワード王太子が反論しようとするが、私は止まらず説明を続けた。
「そして、王太子殿下の業務代行費として二千万金貨」
「!!!」
「元々、私は婚約者としての務めを果たす契約でした。しかし、王太子殿下は宮廷会議を放棄され、外交文書の確認を怠り、果ては書類の整理すら私に押し付けました」
「ち、違う!! そ、それは……」
「契約の範囲を超えて仕事を任された以上、当然、対価が発生いたします。契約書に則り、時給や業務量の計算式を使って算出いたしました」
私は淡々と告げた。
「しめて、金貨五千万と百万枚」
エドワード王太子は顔を引きつらせながら、何か言いたそうに口を開きかけた。
「……ただ」
私は微笑み、最後にこう付け加えた。
「王太子殿下が真実の愛を見つけられたご祝儀として、はみ出た百万はおまけしてあげますね」
「なっ……!!?」
王太子の顔が一気に赤く染まる。
広間の貴族たちがざわめき始めた。王太子妃としてではなく、仕事として王太子の婚約者を務めていた令嬢がいたという事実に、誰もが驚愕している。
――――しかし、それで終わりではなかった。
横にいたロゼリア・バークレイ男爵令嬢が、突然、わっと泣き崩れたのだ。
「うっ……うぅ……私、クラリス様に……いじめられました……!」
泣きながら王太子の腕にしがみつくロゼリア男爵令嬢。
「クラリス様は、私を馬鹿にしたり、冷たくしたり……私、ずっと……耐えてました……!」
エドワード王太子の顔が怒りで歪む。
「やはりそうか……! クラリス、お前はやはりロゼリアを――」
私はため息をつきながら静かに言った。
「王太子殿下、私はロゼリア男爵令嬢をいじめた覚えはございませんし、そもそも彼女と深く関わったことすらありません」
「なっ……」
「ですが、もし『私が彼女をいじめた』ということで話を進めたいのであれば、契約書に則り、追加一千万金貨が発生します」
「は?」
私はにっこり笑って、契約書の該当箇所を指し示した。
「この契約には、殿下が私を利用し、私の名誉を傷つけるような形で、別のお相手とご婚約されるようであれば、当て馬役の業務手数料として追加請求が可能となっております。まぁ、とはいえ念の為の、名誉毀損による慰謝料に関する条項のようなものですが」
王太子の顔が青ざめていく。
「よって、総額六千万金貨。契約通り、お支払いくださいませ」
私は微笑んで、請求書を差し出した。
**********
この婚約破棄騒動は、瞬く間に宮廷中に広まった。
「王太子妃の座」が、実際には婚約者代行業務だったという前代未聞の事態に、貴族たちは驚愕した。
当然、非難の矛先は王太子に向かった。
「婚約者を演じさせる契約を結ぶなど、前代未聞だ……!」
「王太子殿下がどれだけ公務を放棄されていたか、これで明るみに出たな」
「……しかし、この六千万金貨はどうするつもりなのだ?」
王家は、多額の契約金を支払わなければならなくなった。
しかし、それを王家が負担するには、あまりに高額すぎた。それもそのはず。本来は金貨百万枚で婚約者代行を務めるだけだったはずが、王子の横暴な行動により、その60倍にも契約金が膨れ上がってしまったのだ。
そもそも、婚約代行業務の契約自体、穏便に済ませるはずの話だった。
私としては、王家と交わした契約に従い、一定の業務期間を終えた後、何事もなく「婚約解消」という形で退く予定だった。
しかし、エドワード王太子が堂々と「婚約破棄だ!」と宣言したことで、宮廷の貴族たちにすべてが知られてしまったのだ。
さらに、元々の契約金額よりも、彼の公務放棄や遊び歩きのせいで追加請求額が膨れ上がった。完全に自業自得である。
結論として、王家は エドワード王太子の個人資産を差し押さえた。
しかし、それだけでは到底足りない。
不足分は 国王と王妃の個人資産 から捻出されることになった。
この件は、貴族社会において大きな波紋を呼び、王家の権威を大きく損なうこととなった。
そして、王国の将来を考えた結果――
「王太子エドワードは、王位継承権を剥奪する」
国王の決定が下され、エドワードは廃嫡された。
さらに、王子は公衆の面前で「真実の愛だ」と堂々と宣言したため、男爵令嬢ロゼリアとの婚約を覆すこともできず、そのまま結婚を強要された。
もはや、彼が王族として宮廷に戻ることはない。
こうして、王太子の地位も、権力も、未来も、すべてを失ったエドワード王子は、転落していった。
***********
そして私は、自由の身となった。
元々の契約では、王家からの貸付を受けた形で婚約者代行を務めていたが、最終的にすべての報酬を受け取り、実家の財政問題も解決した。
私には、もう王家との縁も、王太子の婚約者としての責務もない。
――そして、その後。
「クラリス、おめでとう」
私を迎えに来たのは、若き辺境伯。
彼は以前から私と親交があり、互いに想いを寄せていた人物だった。
「これで、実家の借金も返済できて、持参金も持っていけますわ!」
軽やかに笑いながら言うと、彼は苦笑しながら答えた。
「僕は、君の持参金がなくても結婚してほしかったけどね」
「……まあ、それでもお金があるに越したことはありませんわ」
私は軽く肩をすくめ、辺境伯の手を取る。
振り返れば、長い道のりだった。
王太子の婚約者という立場に縛られ、理不尽な責務を押し付けられ、何年もの間、ただ耐え続けてきた。
だが、もう過去に囚われる必要はない。
私は、ようやく本当の意味で「自由」になったのだから。
王家の婚約者として生きる未来ではなく、誰かの「役割」として存在する人生ではなく、私自身が選んだ未来を歩いていく。
風が心地よく頬を撫でる。
これから待ち受ける未来がどんなものかは分からない。
けれど――
「さあ、新しい人生の始まりですわ!」
私は胸を張って、堂々と歩き出した。
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【新作長編連載中】王女殿下の華麗なる「ざまぁ」
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