表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/11

2000③忘れたい忘れない、変わらない変えたい

「ミカコちゃん、コヤマさんと仲いいの?」


 帰り道、マユミが私にそう問いかけた。

 コヤマさんとは例の関わらないでおこうと決めた女子生徒だ。


 コヤマ、は私と同じ幼稚園に通っていた。

 私は彼女に良い印象がない。


 5歳6歳の時のことなど「忘れた」の一言で隠し通すことは簡単なので、「忘れた」で通すつもりでいるが、実際の感情は忘れることが出来ない。

 

 幼稚園児にもヒエラルキーがあり、乳幼児から幼稚園に通っているいわゆる古株の子供が一番立場が強く、そして集団で強く生きる術を幼いなりに理解していた。幼稚園に入園して初めて集団に入る年少、年中から入園した子供はその強さに押され、立場が弱かった。具体的に言えばおままごとでお母さん役が出来るのは立場の強い古株の子だけで、背の高い子はお父さん、かわいい子は女の子供役、髪の長い子はお姫様で、チビでショートボブ、容姿も普通の私なんかは良くて子供その2で、近所の人、お店屋さん役しか回ってこなかった。

 その古株の子供の一人がコヤマで、彼女は私たち途中入園者を従えていた。とても勝気で口調も強く、私は恐怖を感じていた。

 頑張って描いた絵を大勢の前でヘタと馬鹿にされ、友人と一緒に砂で作ったトンネルを破壊され、家族旅行で買ってもらったキーホルダーを投げられ、、、私は彼女に何度も泣かされていた記憶がある。


 別の小学校に進学することになって、安堵したものの、いずれ中学で同じになることがわかっていた。1学年200人以上いるのにまさか同じクラスになるとは。

 中学生になって複数の古株の子と再会することになった。大半はおとなしくなっていて、私の無意識の警戒心はすっかりなくなっていたが、コヤマの勝気なところは何ら変わっておらず、彼女にだけは警戒心が残っていた。

 コヤマは幼さの残る男子たちとよくトラブルになり、月岡先生を困らせていた。


 そんなコヤマは、芸能人が大好きな一面があった。

 コヤマとその周りの子たちは、アイドルやドラマの話をしていた。私はアイドルのこともドラマのこともよくわからなかったので、特に関わることはしなかった。


 ある日コヤマが私に雑誌の切り抜きを見せて、「ミカコ、オーディション受けない?」と言ってきた。

 よくよく聞くと、コヤマは私でも聞いたことのある某児童劇団のオーディションを受け、その研修生として通信制のレッスンを受けているらしい。同じクラスのTさんも次回のオーディションを受けるらしい。それをなぜか私に勧めてきたのだ。

「いや、私はそういうの向いてないからやめとく」

 丁重にお断りした。私は、芸能人には都会の人か沖縄のスクールに通っている人しかなれないと思っている。そもそも都会に住んでいても、私には向いていない。コヤマはアイドルや女優になりたいのだろうか、コヤマがレッスンを受けていることについては「すごいね、オーディション合格したってことでしょ?」とお世辞をいうと、とても笑顔になって「うん、テープが送られてきてそれに課題を録音して提出するの」と細かくレッスン内容を説明してきた。

―――興味ないのだが。

 それ以来、オーディションのお誘いは無くなったが、不定期にコヤマは私に話しかけてきていた。しかも何事もなかったかのように私を下の名前で呼び、さも親し気に接してくる。私が芸能人、特にアイドルに詳しくないと知るや否や、雑誌の切り抜きやアイドル写真の下敷きを使って説明を始めた。


 幼稚園が違うため、私とコヤマの接点を知らないマユミは、コヤマが初対面であるはずの私を下の名前で呼んでいたことに違和感を感じたんだろうと思う。

 人の悪口を言うことは好みではないし、とにかく幼稚園が一緒だった事実だけ伝えた。いずれ何かあったしても、過去のことは「忘れた」でごまかす気だ。


 しかしコヤマに説明されたアイドルは、よくテレビに出ていた。

 どうやら今大人気らしく、家族で一緒に見る音楽番組にもほぼ毎週出るようになっていった。妹も小学校でこのアイドルについての話を聞いてくるらしく、母親に必死に説明していた。

 私は少しずつ、そのアイドルのことを覚えていき、テレビに出ていると手を止めて見るようになっていき、コヤマの説明を素直に聞き始めるようになった。そして、コヤマの取り巻きともクラスメイトとして少しずつ打ち解けるようになっていった。




 一方、部活は比較的順調だった。

 というものの、異動で顧問が変わり、弓道未経験の教師が顧問になったことで3年になった一つ上の先輩の反抗が一段と酷くなった。この顧問が、中々の曲者で先輩たちに一切真面目に構わず、全ての話を軽くかわしてしまうので、先輩たちの怒りの矛先は全てこの顧問に向かった。その結果、我々は「新入生の世話をすべて行え」という指示だけで、それ以上の仕打ちを受けることがなくなった。 

 我々の学年の男子のリーダー格になっていた本田と木原、女子のリーダー格のミノリは大忙しで新入生の相手をしていた。今までのミノリならリーダー的な仕事はしない。これも優等生・ガッサンの影響を受けているのだろう。その間ミノリに放置されることになった私は、自分の練習に充てる時間が増えることになった。もちろん時々は新入生の相手もするが、指導というより彼女たちの話し相手をすることが多かった。自分たちが上の世代に気軽に話すことが出来なかった経験があったから、何か困ったとき、いや普段から気軽に話せる環境を作りたいと考えたからだ。弓の実力がそんなにないということもあったが。


 私は正直言って運動は得意ではない。というかむしろ全くできない。

 50m走はクラスで最下位から2番目。学年で数えても下から5本の指に入るだろう。筋力も全くなく、弓道を始めてやっと腕立て伏せが出来るようになったほど。球技なんてもってのほかである。陸のスポーツが全くできない私を見かねた親が、体力作りを兼ねてスイミングスクールに通わせたため水泳だけは人並みに出来るようになった。

 そんな私が、簡単に弓を弾けるはずがなく、弓を弾く力をつけるところから始まった。「弓」というものは、簡単に引いているように見えるが実はかなりの筋力が必要で、胸筋や背筋といった上半身の力以外にも踏ん張る力、下半身の力も相当必要である。実射練習は1年生の秋から始めていたが、私は弓がうまく引けないことで矢の軌道が安定せず、お世辞にも上手とは言えない状態だった。現実を知った私はそこから必死に筋トレを続けて、やっとのことで一番軽い力で引ける弓が安定して引けるようになった。あとは弓と自分の癖を理解して、少しずつ調整する作業を行う必要がある。


 そんな技術的なことはさておき、私にとって重大なことがあった。

 大浦とほとんど会う機会がないのである。

 クラスどころか校舎が違う。サッカー部のあるグラウンドは弓道場と正反対の位置(安全面から弓道場は隔離されていた)にあり、通学路も正門を出て私は左、彼は直進で全く相容れないのだ。


「単純接触効果」


 父が買ってきた雑学の本に載っていた。

 ことあるごとに顔を合わせておけばなんとなく私のことが頭に残って、なんとなく意識し出すのではないか、なんて他力な作戦を考えたこともある。この作戦は実行すら出来無さそうだ。

 どうにかして近づきたい。せめて姿だけでも見たい。しかし、まだこの気持ちは誰にも話していないので、協力者はいない。自力で何とかするしかない。夜、布団に入ってからいつも作戦を考えるがいい案が浮かばない。どうにか、どうにか……。


 その日の夢に出てきたのは、ミノリ、カホ、ホンダ、そしてトンボというほぼ毎日顔を合わせる面子だった。夢にすら大浦は出てこない。


 無情にも季節だけ過ぎていく。

 初夏の心地よい季節を終え、梅雨がやってくる。そしてまた、暑い夏とともに夏休みが始まる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ