忘れられた部屋
2回目の2年生が終わり、その後の臨床実習を経て晴れて国家試験に合格した。
その間にマキトくんは優秀な成績で志望校に合格して私の家庭教師も卒業した。
実習が始まるとバイトどころではなくなってしまい、マキトくんは私の最後の生徒となった。
お母さんに「あのイケメン先生とはどうなったの?」と聞かれたが、どうにもなってなくて、矢口さんは研修医を経て関東の病院に勤務している。
実家が田舎で小さな医院をやっているらしく、父親の院長先生が引退する前までにできるだけ修行して帰りたいのだと言っていた。
ときどきお互いの愚痴を言い合う時間がある。
くだらないことも多いが医療について討論になることもあり、私にとっては貴重な時間となった。
私はそのまま研修医として大学病院に残ることができた。
これから2年間、いろいろな科をまわる。
最初は内科の予定になっている。
私はまだ将来の医者としてのビジョンが定まっていなかった。
病院で患者さんに接する臨床医ではなく研究を主にする研究医になる道も考えていた。
なにはともあれ、研修医として2年間がんばったあとの話である。
特別な力は封印していた。
魔族の村に行くこともしなかった。
あちらからの連絡は一度もなかった。
またスマホに執事とハムスターが現れるのかとも思ったが全くそんなこともなかった。
今では全部が夢だったのではないかとも思い始めている。
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「今日からここに研修医として入る4人です。自己紹介して。」
内科部長の佐田さんがナースステーションの前に私たちを並べた。
「内藤です。実家が関西の方で小さい病院を経営しています。いずれはそこを継げるようにいい医者になりたいと思っています。」
内藤くんは『大阪のボンボン』と影で言われている。
かなり大きな病院の院長の一人息子らしく優秀で今回のメンバーの中でもリーダー格の子だ。
「はじめまして、中島綾乃と申します。うちも実家が田舎の方で小さな医院をやっています。総合的な医療のスペシャリストになりたいと思っています。」
中島さんは真面目で信念の強そうな子だ。
一見怖そうに感じるがリスクマネジメントをさせたら彼女の右に出るものはいないかもしれない。
「どうも、八重樫晴人です。ハルト先生って呼ばれるのが夢です!がんばります!」
八重樫くんは見るからにチャラい感じの男の子だ。
ヘラヘラしているようでも学生時代の成績はいつも上位だったので頭の回る人なんだろう。
人は見かけじゃないはずだ。
私は自己紹介とかが苦手だ。
ドキドキしているうちに順番が来てしまった。
「はじめまして、色野幸と言います。色々あってこの中では最年長です。たくさん学びたいと思っていますのでよろしくお願いします。」
私が自己紹介を終えると看護師さんたちが『例のあの事件の』とコソコソ話をしていた。
4年も経ったがまだみんな覚えていた。
私はそういうのに慣れていたので気にもならなかった。
テレビや雑誌の取材依頼もたくさん来た。
ドキュメンタリー形式で過去の事故や事件とともに密着取材をしたいという話もあった。
本を書かないかと誘ってくる人もいた。
それらを全部断ってきた。
早く『普通の人』になりたかったからである。
しかし実際は4年経っても『あの事件の人』だった。
いい加減私も諦めてもうそれでいいやとなっている。
内科といっても大学病院では細かく分類されている。
[内科]
呼吸器内科
リウマチ・腎臓内科
糖尿病・内分泌内科
消化器内科
循環器内科
血液内科
腫瘍内科
研修医は担当のドクターについて医療の現場を学ぶ。
私は腫瘍内科の田端先生が指導医になった。
「色野さん腫瘍内科なんだー。いいなぁ。俺は呼吸器だよ。」
八重樫くんは不満そうに私に小声でそう言った。
「腫瘍内科がよかったの?」
「手術とか多そうだよね。羨ましいよ。」
なるほど、そういうことか。
「でも手術は外科がやるんじゃないかな。」
「確かに!」
(この子大丈夫かな)
私たち研修医はそれぞれの指導医に付いてバラバラになった。
「色野さんね、後々はどの方面に行きたいと思っているの?」
「よろしくお願いします。まだ決まっていませんが研究医の道も考えています。」
「そうなのね、じゃあ腫瘍内科はかなり勉強になると思うわよ。」
腫瘍内科では癌と診断された人に薬物治療を施す。
抗がん剤も日々進化していて新しいものもたくさん出てくる。
確かに新しい薬を研究したいというならばこの現場はうってつけかもしれない。
私は指導医について看護師さんがするような仕事をさせてもらった。
外来患者の基本的なバイタルチェックや患者さんの話を聞いたりした。
この科を訪れる人は高齢者が多く、主訴を聞くだけでも大変だった。
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私は研修医として忙しく過ごしていた。
勤務時間が終わり、私は人と話をするのもめんどくさいくらい疲れていた。
きっと今ロッカールームに行けば他の研修医たちがワイワイしているだろう。
私はどこか一人になれる場所はないかと探した。
どこの病院も同じなのかもしれないが病院内はいろいろな部屋があってよく道に迷う。
案内板もたくさんあるのに似たような部屋が並ぶとどこにいたのかわからなくなるときがある。
私は何も考えずに人のいない方へと歩いていった。
この先に何があるのか私は知らない。
廊下は突き当り左にだけ続いていた。
その先に『相談室』と書かれた部屋があった。
(こんな部屋 院内の案内図にあったかな?)
私が引き返そうとしたときにちょうどその部屋のドアが開いた。
「そこのお前、ちょっと来い。」
私は何も悪いことはしていなかったのにビクッとしてその人を見た。
その人はモジャモジャ頭で顎に髭を生やした、ひょろひょろで背の高い男性だった。
「私ですか?」
「そうだ、早く来い!」
私は「はい!」と返事をしてその部屋に入った。
中はこの男性には似つかわしくない柔らかな雰囲気の居心地のいい部屋だった。
部屋の真ん中には大きめのソファと小さなテーブルが置いてある。
いかにも相談室という部屋の中を私はきょろきょろ見回した。
「そこに座れ。」
私は言われたとおりにソファに座った。
何か怒られるようなことをしたのだろうか。
男は私が座ると自分も向かい側の椅子に座りジロジロと私を見ていた。
「あの、私何かしましたか?」
私はその空気感に耐えられなくなって質問してみた。
「お前、人間か?」
男は私を睨みながらそう言った。
(人間か?)
私は答えに困った。
私は人間でいいのだろうか?
いや、この世界の私は人間だろう。
「人間です。」
私はまっすぐ男を見つめながらそう答えた。
「俺にはそう思えないのだがな。」
(この人、もしかしたら変な人なのかも)
私は「あの…もう行ってもいいですか?」と言って立ち上がると「待ってくれ!」と頼まれた。
男はさっきとは違う泣きそうな顔をしていた。
「変なことを言ってるのはわかる。だが助けてほしいんだ。」
私はそう言われてもう一度ソファに腰掛けた。
「俺はどうやら死んだみたいなんだ。」
男は身の上話を始めた。
名前は助川サトシ、年齢は32歳だったということだ。
この病院でカウンセラーをしていたという。
しかしある日を境にずっとここにいるのだという。
最後の記憶は大学の敷地内で人気のない池の辺りでぼーっとしていたんだという。
私は何も言わずにサトシさんの話を聞いた。
この人の言うことが正しければ彼は地縛霊か何かだろう。
私は無意識に鑑定スキルを使ってしまった。
・種族 霊体
(本当だ)
「他の人には話しかけても振り向いてももらえないんだよ。でもお前は違う。何かを感じて俺はさっきドアを開けたんだ。」
「そうなんですね。私は多分…霊感が人よりあるみたいで。」
「助かったよ。俺はこの部屋から出られないし、ここには人も来ないし、孤独死するかと思ったよ。」
(もう死んでますけど)と、思ったけど言わなかった。
「成仏したいってことですか?」
「うーん。それも未知の世界で興味はあるんだがね。俺が知りたいのは死因だよ。全く覚えてないんだ。」
「病気や怪我もなかったんですか?」
「この通り健康体さ!ピンピンしてるだろ?」
(死んでますけど…)
時間の感覚がないからどのくらい前に死んだかもわからないのだという。
「私、研修医で忙しくて…あまり時間がないのでご期待に添えられるかどうか。」
「頼むよ!これは千載一遇のチャンスなんだよ!」
私はこのなんだか憎めない人が可哀想になってきた。
「わかりました。時間があるときに調べてみますね。」
私はサトシさんのことをメモ帳に書き込んだ。
「ありがとう!進展がなくても遊びに来てくれよ!一人じゃ暇なんだよ。」
私はちょっと考えて(霊体でも使えるスマホ)と念じてスマホを出してあげた。
力を使うのは数年ぶりだったが霊のためならいいような気がした。
サトシさんに渡すと喜んでいた。
「物を持ったりするのはなかなか難しくてね!」
「Wi-Fiがあるのでネットとかゲームとかできると思いますよ。」
サトシさんは早速自分の名前を入れて調べていた。
「ぜんぜんヒットしないな。死んでないのかな。」
「受付で聞いてみますよ。」
私はそう言って部屋を出てきた。
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病院の受付は戦争のように忙しそうだった。
ここで誰かに話しかけるのは気が引けた。
私は裏口にある警備員のいる詰め所に向かった。
職員はここから入ってくるのできっと知ってる人もいるだろう。
私は休憩してるっぽい警備員の制服を着たおじさんに話しかけた。
「すみません、ちょっとお聞きしたいのですが。」
私はサトシさんの名前とカウンセラーだったことや見た目の特徴を伝えて知らないかと聞いてみた。
「あぁ、覚えてるよ。モジャモジャの男だろう?いつだったかな…急に欠勤が続いてね。連絡もつかなくなったみたいでクビになってたよ。」
「いつくらいの話かわかりますか?」
「どうだったかな…ちょっと待ちな、記録を見てやるよ。」
おじさんは名簿のようなものを見てくれた。
「4年前の11月にクビになってるよ。」
「4年も前?!」
「知り合いかい?ここにはそれ以上の情報はないね。」
「いえ、ありがとうございました。」
私は一礼してロッカールームへ向かった。
ロッカールームにはまだ研修医のみんながいた。
「色野さん遅かったね?残業させられていたの?」
「えっ?あ、違うの。ちょっとやることがあってね。」
みんなは疲れきっていて私の回答に「ふーん」という感じだった。
私は着替えながら『4年前の11月』というワードが気にかかっていた。
4年前の秋、私が刺された事件があった。
私は嫌な予感がした。
卒業後は病院の近くの小さなアパートを借りて独り暮らしをしている。
私は急いで帰ることにした。
帰ってもっと詳しく調べないとと思った。
サトシさんに何があったというのか。
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