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記憶の箱  作者: yamico
15/36

矢口さん

夏休みが終わった。

夏休みと言ってもダラダラ過ごした日はなかった。

実家に帰らなかったことで家族は心配しているようだった。

お正月には帰ると約束をした。

妹は晴れて地元の看護系の大学に合格できて4月から通っていた。

勉強ができるタイプじゃなかったのでかなり頑張ったのだろう。

「大学の話たくさんしたかったのに!」

妹はそう言って少し怒っていた。

お正月にはゆっくり話を聞こうと思う。


大学は相変わらずだった。

私は取れる最大のコマ数を取っていたのでほとんど空きがなく時間割はびっしりだった。

どれも落としたくない。

私は半分意地になっていた。

マキトくんの家庭教師もやめたくない。

小児科のボランティアもやめたくない。


私は(倒れませんように)と私に念じた。

ときには(疲れよ取れろ)と念じることもあった。

その効果があるのかないのか私は夏の暑さにも負けずにすべてやりたいことをこなしていた。


矢口さんは私を見かけるたびに話しかけてくるようになった。

まだ観察されているのかもしれない。

爽やかな笑顔の裏には鋭いまなざしがあるのかもしれない。

私は言葉を選んで悟られないように気をつけた。

最近は(急変することなく治療が効きますように)と予め念じておくことにした。

その効果は抜群で私がいないときにも効果があった。

笑顔で退院していく子が増えた。


私がボランティアを終えて帰ろうとしているとまた矢口さんに声をかけられた。

「色野さん!このあと時間ある?」

私は嫌な予感がしたが断るのも怪しまれるのではないかと思い、大丈夫ですと返事をした。

「俺も今上がりなんだ。すぐに着替えてくるからちょっと待ってて!」

矢口さんは急いでロッカールームに入っていった。

(今度は何だろう)


すぐに私服姿の矢口さんは出てきた。

「ご飯おごるから!この前変なこと言ったお詫びに。」

「お詫びだなんて、気にしてませんよ!」

私はそう言ったが矢口さんは引かなかった。

私たちは病院から歩いてすぐの所にある喫茶店に入った。


「ここ、何でも美味しいんだよ。好きなもの選んで。」

メニューを見ると定番のナポリタンやカレーにハンバーグとフードメニューが豊富だった。

私はオムライスを選んだ。


矢口さんはまたカレーを食べていた。

よっぽどカレーが好きなんだろう。

「友達が他の病院の小児科にいるんだけどさ。」

矢口さんは食べながら友達の話をした。

「うちの病院と雰囲気が全然違うんだよね。なんかこうもっと薄暗いイメージなんだよ。業務的だし。完治率が高いのはそういうところの違いもあると思うんだよね。」


さすがに私のことをシャーマン扱いするのはやめたようだった。

「スタッフが優秀なのが大きいと思いますよ。」

私はにこやかにそう言った。

「確かにブラックなイメージがある病院だけど全然そんなことないよね。看護師さんたちもうまく回ってるし。」

病院の看護師は出入りが多いイメージがある。

過酷な仕事だからだ。

その点あの病院の看護師さんたちはみんな楽しそうに働いている。


矢口さんは小児科医になりたいと熱く語っていた。

あまり人気のある分野ではないと聞いていたがこの人ならきっと良い小児科医になってくれると思う。

「色野さんも小児科医を目指すの?」

私はそう聞かれてそういえば希望の科とか考えたことがなかったことに気がついた。

「まだ幅広い勉強しかしてなくて、専門医がどうなのかとか考えてませんでした。」

「まだ2年生だもんね。4年くらいになると実習も始まるからぼちぼち考えることになるかな。」

「まだまだ先ですね。」

「でも小児科に向いてると思うよ。子供たちの色野さんに対する態度が他の人とは違う気がするんだよね。」

「そうですか?気にしたことなかったです。」

「うん。なんていうか子供って大人の態度に敏感なんだよね。いい顔してても裏を見透かしてくるみたいなところがあって。俺はすでにバカにされてるよ。頼りないのがバレちゃったみたい。」

「矢口さんは親しみやすいから、お兄ちゃんみたいに見られてるんだと思いますよ。」

「ちゃんと先生に見られたいのになぁ〜。色野さんに対しては慕っているというか尊敬しているというか、とにかく信用されてるよね。裏表がない感じがするからかな。」

私は初めてそんなことを言われてびっくりした。

そんなふうに私のことを評価してくれる人なんていなかったからだ。

「褒めすぎですよ!」

矢口さんは爽やかな笑顔を見せた。

「俺もそんな医者になりたいと思ってる。患者さんが思っていることを話してくれるような医者に。」

「そういうのスルーしがちなご時世ですけど、治療するにあたってはとても大事なことですよね。何気ない話にも情報は含まれていることが多いですもんね。」

矢口さんは私を見て感心したように頷いていた。


「色野さんはきっと名医になるよ。予言しておく。」

そう言ってカレーを食べ終わった矢口さんはプリンアラモードを追加していた。

その後も医学に対する真面目な話から失敗談までいろいろとおしゃべりをした。

気がつくと店内には蛍の光が流れていた。

「ごめん!もう9時だ。」

私たちは4時間近くここにいたことになる。


矢口さんは急いで会計を済ませてマスターに「ごちそうさまでした」と言って店を出てきた。

「ごちそうさまでした。」

矢口さんにそう言うと、

「また誘っていいかな?」

と聞かれた。

「はい。ぜひ。」

私はこんなふうに人と食事をしたことがない。

思いのほか楽しかった。


遅くなったので家まで送ると言われたが「自転車なので」と断った。

矢口さんは自転車置き場まで送ると言った。

「久しぶりにたくさん喋ったから口の筋肉がおかしくなったかも。」

「研修医って大変なイメージです。」

「確かに大変だよ。でも学ぶことがたくさんあってやりがいがあるよ。」

私も似たような気持ちで毎日を過ごしている。


「気をつけて帰ってね!」

矢口さんは自転車置き場で手を振っている。

私は一礼して自転車をこいだ。


後ろを振り返るとまだこちらを見ていた。

矢口さんは爽やかなイケメンで紳士で勉強熱心でまさに完璧な人だった。

私も見習うべきところを見習おうと思った。

(爽やかなイケメンにはなれないけど)


────


私は帰ってからお弁当になった夕食を手に取りどうしたものかと考えた。

お腹はいっぱいだけど捨てるのはもったいない。

冷蔵庫に入れておけば明日の昼ごはんになるだろうか。

私は部屋で皿に移して冷蔵庫に入れた。

友達の多い人はいつもどうしているんだろう。

私はお弁当箱を洗って片付けた。

まだ食べていない人が2人いる。

遅くまでバイトお疲れ様です。


────


私は部屋の狭いお風呂に浸かりながら矢口さんの言葉を思い出していた。

『完治率が高い』と言っていた。

私が念じてから死亡者は出ていない。

難しい症例の子も回復の兆しをみせている。


やりすぎだろうか?


大学の偉い人や政府の何かの機関の人に目をつけられて研究対象なんかになってしまったらどうしよう。

私は急に不安になった。

しかし今さら子供たちの病気が悪化しろとも言えない。

疑われる前にボランティアを辞めるべきなのかもしれない。

関わってる以上は助けたくなってしまう。

誰にも死んでほしくない。


私はベッドに入ってからも考えた。

永遠にあの小児科で子供たちを見守ることはできない。

かと言って(みんな治れ)みたいな大雑把なことを念じるわけにもいかないだろう。


私はやめる決断はできなかった。

理由もなく辞めることに躊躇いがあった。

何か理由ができたらすぐに辞めようと心に決めた。


────


授業が終わると私は教授に呼び止められて捕まった。

論文を出すからその手伝いをしてほしいと言われた。

簡単な実験とそのデータをまとめることを頼まれた。

ちゃんと給料も払うという。

期間を聞くと最低でも3ヶ月くらいは続けてほしいということだった。

私はこれを承諾した。

ボランティアをやめるいい機会になる。


その日私は奥野さんに会いに病棟へ向かった。

5時を過ぎていたので休憩室にいた。

私は教授の手伝いの話をした。

「急で申し訳ないのですがそちらを優先させたいと思います。」

奥野さんは残念そうにしたが「学生の本分はそっちにあるよね。」

と言ってくれた。

お別れ会はしないからいつでも戻ってきてと言われた。

私は別れの挨拶が苦手なのでこっそりと病院を出た。

やめるとなるとなんだか寂しく感じる。


そうして私は教授の実験助手となった。

毎日数時間、簡単な実験をしてレポートを書いた。

マキトくんの家庭教師だけは続けられるようにしてもらった。


小児科のことは心配だった。

ときどき生霊となって病棟内を見て回った。

私がいなくてもみんなは元気だった。

私は安心して意識を戻した。


私一人いなくてもちゃんと地球は回るんだ。


────

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