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記憶の箱  作者: yamico
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ハムスターと執事

春が来た。


別れと出会いの季節。

何かが終わって何かが始まる季節。


私はこの春から大学生になる。

理由があって同級生たちより2歳年上になる。

高校を中退せざるをえなかった私は高卒認定を取って大学を受験した。

そして見事に第1志望に合格できたのである。

ここまでの1年半は死ぬほど勉強をした。

理由があって筋肉が衰えていた私の体にはリハビリも必要だった。

勉強してリハビリして勉強して…

目まぐるしく過ぎていく月日に焦りを感じながらも私は充実した日々をおくった。


私は地元を離れ、北海道にある大学に通うことになっている。

大学の近くにある学生会館を借りてもらった。

朝晩の食事のついている素晴らしいところだ。


両親と妹は私の引越を手伝うと行って北海道にみんなで来ていたが、段ボール数箱を開封するのにそんなに人手がいるわけではない。

家族たちは北海道旅行を楽しんで笑顔で地元に帰っていった。


そして私は一人になった。

とても寂しい。

学生会館には似たような子がたくさんいた。

出身はいろいろだったけどみんな初めてのひとり暮らしだった。

私はなんとなく自分だけ年上なのを気にしていた。

食事のときになるとすでにグループのようなものができていて私にはなかなか入って行きにくいものがあった。

(そのうちお友達を作ることにしよう)

私は積極的に話しかけていくことができずにいた。


夕食が終わり私は部屋に戻った。

備え付けの机やベッドがある。

風呂とトイレ、小さな台所までついている。

(自炊は…そのうちやることにしよう)


私はベッドでゴロゴロしながらスマホで探しものを始めた。

アルバイトをするように言われているのである。

お小遣いは自分で稼がないといけない。

(コミュ障でもできるバイトはないかな)


時間的に接客業ばかりだった。

キッチン担当を募集しているところもあるが料理は得意ではない。

時給がよくて、時間もちょうどいいバイト先があった。

『家庭教師』である。

相手は小学生か中学生だ。

その子とその親をクリアしたら他に人付き合いはしなくていいだろう。


私はさんざん迷った挙句に家庭教師に応募してみることにした。

webサイトから応募できる。

私はドキドキしながら必要事項を入力した。


(家庭教師の心得とか学んでおくかな)


私は家庭教師関係のサイトを読みあさった。

どれも似たようなことが書かれている。

見れば見るほど不安が襲ってくる。

(私にはできないかもしれない)


そんなときに『不安解消』という文字が目に入った。

『あなたの執事があなたに助言いたします』

執事が助言してくるなんて主人としてはどうなんだろうか。

しかし今の私には必要かもしれない。

私はそのアプリをダウンロードすることにした。


私のスマホのホーム画面にハムスターの絵がついたアイコンができた。

(このアイコンの絵、なんだか懐かしく感じるなぁ)


早速アプリを開くと名前を入れるところがあった。

私は『さち』と打ち込んだが反映されなかった。

アプリは私が操作していないのに勝手に名前も決めてハムスターがストーリーを進行していった。


『ボクの名前はアリだよ!わからないことはなんでもボクに聞いてね!』

ハムスターはどうやらナビゲーターのようだった。

『執事を紹介するね!』

黒髪短髪で黒いスーツを着たきれいな男の人が出てきた。

『私はムイです。あなたが困ったらお助けいたします。』

男はにっこりと笑って頭を下げた。


私はなんだか不思議な気持ちになった。

この変な名前の男の人…知ってるような気がする。

私は首を傾げてどこで見たのかを思い出そうとした。


思い出そうとすると頭が痛くなった。

私は中学生から高校生までの数年間の記憶がない。

高校生のときに学校の階段を落ちて頭を打った。

その時にほとんど植物状態になってしまいもう少しで死ぬところだった。

その事故に遭うまでの数年間の記憶がぽっかり抜け落ちているのである。

記憶を思い出そうとすると頭が痛くなる。

病院の先生は無理に思い出そうとしなくていいだろうと言っていた。


私は思い出すのを諦めてスマホをみた。

ムイという名の執事はこちらを向いてニコニコと笑っていた。

さっきまでナビゲーターをしていたハムスターもその執事の肩に乗ってこちらに手を振っている。

(かわいい)


私は何をするわけでもなくその画面をただ眺めた。

なんだか不思議と癒やされる。


「そうだった、家庭教師になろうと思ってたんだ。」

私がそう独り言を言うとアプリの中の執事が、

「家庭教師とは人に何かを教える職業ですね!」

と、こちらに向かって話しかけてきた。

(すごい…こっちの音声に反応するんだ)


「これから面接なんだけど、何か助言はありますか?」

私は執事に質問してみた。

「ありのままのあなたでいれば大丈夫です。自信を持って自分のいいところを伝えてみてください。」

執事はそう言って微笑んだ。


助言になってるのかなっていないのかよくわからない答えだった。

もっとこう具体的なことを言ってくれるのかと思ったのだが、スマホのアプリにそこまで求めてはいけないな。


私は気持ちを切り替えて面接に向かった。


────


面接はうまくいったと思う。

ハキハキと面接官からの質問に答えられたし、何よりも笑顔でいられた。

子供相手の仕事だけど大丈夫かと聞かれて、自然と小さい子は好きですと答えていた。

そんなこと考えたこともなかったのに。


私はスマホの例のアプリを開いた。

「こんにちは、シアさん。ご機嫌いかがですか?」

この執事は私のことを『シアさん』と呼ぶ。

『幸』という名前だから入力ミスでそうなったのかとも思ったけどそういうわけでもない。

変更もできないし、なんだかしっくりくるのでそのまま使っている。


私は暇があればこのアプリを開くようになった。

私が何かを話しかけるというよりもハムスターと執事が会話をしているのを見ていることのほうが多い。

アプリの中で『今日は何をした』とか『今日は何を食べた』という会話をしている。

このハムスターは甘党らしく好物は角砂糖だという。

アプリの中でもカリカリとおいしそうに食べていた。

見ているだけでなんだか癒やされる。


私がぼーっとスマホを眺めていると電話が鳴った。

先日面接をしてくれた面接官だった。

ぜひ採用したいので明日にでも事務所に来てほしいと言うことだった。

私は電話越しにペコペコと頭を下げて「ありがとうございます」と伝えた。


電話を切るとアプリを立ち上げていないのに執事が出てきた。

「シアさん、おめでとう!」

「ありがとう。」

私は自然と返事をしてしまった。

「きっとシアさんならいい先生になりますよ。」

執事はそう言って笑ってくれた。

「がんばるよ。」


大学ではまだ友達らしい友達ができていなかった。

まわりの人たちがキラキラと輝いて見えて自分とは違う生き物のように感じてしまっていた。


────


翌日の放課後、私は家庭教師の事務所を訪れた。

「さっそくだけどすぐに来てほしいと言われているお家があるんだけど、行ってもらえるかな?」

私が登録の書類を書き終わると職員の女性が生徒の情報が書かれたカードを見せてきた。

「私は大丈夫ですが、先方は私で大丈夫でしょうかね?」

「とりあえず行ってみてくれるかな?」

生徒側は気に入らなかったらチェンジしてくれと言えるらしい。


私はさっそく自転車でカードに書かれた住所に向かった。

少し大きな一軒家で古そうだったが手入れされていてきれいな家だった。


「家庭教師の事務所から派遣されてきた者です。」

私はインターホンに向かってペコリと頭を下げた。

感じのいい女の人がすぐに出てきてくれて家の中に通してくれた。


「娘のリンなんですが…実は3ヶ月くらい不登校でして…」

リンちゃんは小学5年生の女の子でいじめが原因で学校にいけなくなってしまったのだという。

「最近は部屋からもなかなか出てきてくれなくなってしまって。」

リンちゃんのお母さんは勉強の心配もそうだが、精神的な面の心配をかなりしていた。

「何か話をしてくれるといいんだけど…無理に何かをさせようとはしなくていいので…」


私は初めての生徒が不登校児だと言うことにプレッシャーを感じながらもリンちゃんの部屋のドアをノックした。

「リンちゃん、こんにちは!私は家庭教師の色野です。部屋に入ってもいいかな?」


返事はない。

私は声を潜めてドアの向こうの気配を感じ取ろうとした。

ドアはゆっくりと開いた。

「どうぞ」

リンちゃんはそう言うと私を部屋に入れてくれた。


部屋はピンク色を基調とした可愛らしい感じだった。

そこにいたリンちゃんは髪の毛がボサボサで前髪が伸びて前が見えているのかもわからなかった。

ぽっちゃり体型の背の低いその姿は私の昔の姿を思い出させた。

消えた記憶を呼び戻そうと昔の写真を何度も見た。

太っていて無愛想な顔をして写っていた私にそっくりだ。


「はじめまして。色野 幸って言います。大学1年生です。どうぞよろしくね。」

「中島リンです。」

リンちゃんはニコリともせずにそう言った。

お母さんが言うには家庭教師は私で3人目だという。

リンちゃんの希望で呼んでみるが、合わなくて辞めたのだという。


「実は私、家庭教師というか…バイトも初めてなんだ。だから正直に言うとうまくできるかわからないの。」

私は申し訳なさそうに笑ってそう言った。

「親の金でぬくぬく過ごしてきたんだね。」

「そうなの。ぬくぬくしすぎてブクブクに太ってたんだけどね。」

「痩せてるじゃん。」

「事故にあってね。入院してたの。」

「そしたら痩せたの?」

リンちゃんは食い気味で聞いてきた。

やっぱり容姿のことを気にしていそうだ。


「うん。もう少しで死ぬところだったみたいでね。」

「いいな。リンも入院したら痩せるかな…」

「入院なんてするものじゃないよ。私は家族をたくさん泣かせてしまった親不孝な娘だよ。」

「私は…今でも親不孝だよ…」

リンちゃんは泣きそうになってしまった。


「学校は怖い?」

「うん。」

「そっか。じゃあここで勉強しよっか。学校行かなくても勉強はできるよ!」

リンちゃんは私の顔を見た。

「学校に行けって言わないの?」

「だって行きたくないんでしょ?無理に行っても楽しくないでしょ。」

リンちゃんはそこで初めて笑った。

「変な先生。他の人はみんながんばって学校に行こう!って言ったよ。」


私は少し考えてこう言った。

「がんばらないと行けないような学校なら行かなくてもいいんじゃない?」

リンちゃんは声を出して笑った。

「さち先生、私は勉強は得意なんだよ。」

そう言うと5年生の教科書を持ってきてくれた。


「好きなのはね、算数かな。」

「リンちゃんは理数系なんだね。私と一緒だね!」

リンちゃんはさっきまでのふてぶてしい感じが嘘のようによく喋った。

私はいつの間にか先生という立場を忘れて友達のようにおしゃべりに付き合っていた。


「リンちゃんごめん!私は家庭教師だった!お勉強もしないと。」

そう私が言うと、二人で顔を見合わせて笑ってしまった。

ドアをノックする音が聞こえた。

リンちゃんのお母さんがお茶とお菓子を持ってきてくれた。

「楽しそうね。少し休憩してくださいね。」

「あ、すみません。まだそんなに勉強できてなくて…」

「そんなにっていうか、全然してなかったよ!」

リンちゃんはそう言ってポリポリとお菓子を食べだした。

「リン!先生の分まで食べないでね!」

「はーい。」

お母さんはそう言いながらも笑顔だった。

私に一礼して部屋を出ていった。


「食べたら勉強もしましょう。」

「分数の分からないところがあるんだった。」

休憩後はおしゃべりしながらも算数の問題を一緒に解いた。

リンちゃんはかなり頭のいい子だった。

説明するとすぐに理解してくれた。


スマホのアラームが鳴った。

6時半だった。

家庭教師の事務所からはとりあえず1時間か1時間半くらいと言われていたのにもう2時間を超えていた。

「ごめんねリンちゃん。私そろそろ帰らないと寮の晩御飯に間に合わないや。」

私は手を合わせてごめんねをした。

「また来てくれる?」

「リンちゃんがそう思ってくれるなら喜んで来るよ!」

リンちゃんは笑顔で下まで見送ってくれた。

「色野さん、本当にありがとうございます。色野さんが良ければまた同じ時間にお願いできますか?」

「週1くらいでと聞いてましたが何曜日にしますか?」

「明日も来てほしい!」

リンちゃんは母親の腕を掴んでそう言った。

「私は大丈夫ですが…」

「では明日また…今後のことをお話することに…よろしいですか?」

私は「よろしくお願いします。」と言って二人に手を振って家を出てきた。

急いで自転車を漕いだ。

7時までに帰らないと晩御飯がなくなる。


────


学生会館につくと私の晩御飯はお弁当になっていた。

「あら、色野さん。遅いからお弁当にしておいたわよ。」

「すみません…バイトを始めまして…」

「そういう子も多いからみんなお弁当にしておくのよ。」

食堂のカウンターには名前のついたお弁当が並んでいた。

「食べたらお弁当箱を洗っておいてね。」

食堂のおばさんは笑顔でそう言うと帰っていった。

お弁当にしてくれるなんて素晴らしいシステムだ。

私はありがたくそれをいただいて洗い物も終わらせた。


部屋に戻りスマホを見た。

また立ち上げてもいないのに執事が出てきた。

「シアさんお疲れ様でした。うまくいってよかったてすね。」

このアプリのAIはかなり頭がいいようだ。

この執事はまるで私のスマホに住んでいて見守っていてくれているような受け答えをしてくる。


しばらく私はスマホを眺めた。やっぱりこの執事のことを知っている気がする。

このハムスターのことも。


私は目を閉じて思い出そうとしてみた。

何かを思い出せそうになるがやはりダメだった。

しかし手にはもふもふなハムスターを撫でた感触がした。

(撫でたことがある)


その日、私は珍しく執事に今日の出来事を話した。

執事もハムスターも嬉しそうにその話を聞いてくれた。


なんだか懐かしく幸せな気持ちになった。


────

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