『柄谷行人への入り口』
『柄谷行人への入り口』
㈠
学生の頃、柄谷行人をよく読んでいた。特に、夏目漱石、芥川龍之介、についての、論評を読んでいた。当時は、特に芥川の読解などにあたり、どうしても必要な論者だった。ただ、今になって思えば、文學を論じるにあたり、必須の論者であるとは、思わない。
㈡
最近、5冊の、柄谷行人の文庫本を購入した。柄谷行人は既に、経済学である、マルクス論者である。この5冊、読むのは面白い。言葉の運びや、文學だけやっていては知りようのない、言語が、書物を埋め付くしている。5冊とも、会話形式、インタビュー形式であるから、勉強にもなる。
㈢
文學を論じたい自分にとっては、最早、柄谷行人の言葉から、引用したい言葉は見つからない。自分にとっての、柄谷行人への入り口は、文学だったが、今から読む読者にとっては、柄谷行人への入り口は、文学ではないことだけは、確かである。小林秀雄の次を行った文学者は、消えてしまったのだろうか。