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楽園追放  作者: 石川零
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四 十二幅の肖像画

 ジュハン伯爵の高地別邸は、その三階部分にある回廊が特に特徴的と言われていた。建築構造としてもだが、もうひとつ、主の集めたコレクションの中でもとくに珍しい価値のある一揃えが回廊には飾られていた。リトゥを治めたという歴代双子星の肖像画十二幅だ。

 ごくわずかな照明の合間に浮かび上がる、古びて寂びた色合いの顔料画。

 壁掛けのガラス覆いに収められたそれぞれの絵を、イシニエムは飽かずに調べた。

 十二代二十四人の男女はみな、およそ十代から二十歳代の姿を描かれ、巫女姫は床あるいは椅子に座し、守護者が横に立つ。写実的技法によって描かれたものでないとはいえ、若者たちの顔つきは特徴を捉えて巧みに写され、どれにも高貴なる者の品がかよっていた。絵師の手の違いは多少、あるにしろ。

 代々が生まれ変わりの同一人物であるとされる双子星であるが、二十四人の男女はそれぞれ別の個性を持っていた。リトゥでは魂と肉体は別であると考えられていたので、その個性は教義を否定しないであろうが……。

 でもしかし一方では、やはりどことなく代々の双子星は同質の何かを持っているような気もする。

 何かとは何だろうか、と見比べると、……強いて言うなら眼差し、か。

 双子星としての教育を受けることで植えつけられた共通思想が、彼らの眼差しに現れているせい、と考えれば、転生を信じなくても説明はつく。

 トスト・カル・イベカの教義には生まれ変わりの概念はない。リトゥにあった信仰の教義においても、魂が繰り返し別のかたちに生まれ変わるのは、ただ双子星のみとされていたようだ。リトゥの双子星は、海峡を挟んだ新大陸の先住民文化に神話型の源流があるのだろうか、イシニエムは仮説を立ててみたことがあるが、根拠を文献に見つけられず白紙に返した。

(ここはひとまずリトゥ人になりきって……)

 仮定として、あくまで仮定として。

 イシニエムは生まれ変わりを信じるつもりになりきってみて、純粋なまなざして、十二幅の肖像を端から順に眺めながら歩いてみた。

 純愛を語りかける十二対の瞳が、彼を追いかけた。

 ——イシニエムの首は、しかし十二幅目の絵の前で傾げられる。

(何だろうか)

 首をひねったからには自分は違和感を覚えたのであろうが、はっきりと自覚まではいかない種類のもののようで、何が引っ掛かったのかがわからない。

 穏やかな双子星の男女である。

 ほかの代と何ら変わりない、神人の肖像だ。

 伝統の衣装にも違いはない。

 違和感のもとは型や形の部分ではない。

 であれば、質の部分か。

 絵師の質、ということも有り得るかもしれない。

(うーん)

 いずれにせよ十二幅目の絵が、見れば見るほどに何度もイシニエムの足を釘づけさせる。

 十二代目、リトゥ最後の双子星になったと言われる二人の眼差しのみは、何か違うことを伝えたがっているようであった。

 リトゥ語による記録は今に残らず、当時の周辺国の文献だけがリトゥという国の教義や様相を断片的に教えてくれる。イシニエムは絵に描かれた彼らの名前を知らない。双子星に名があったのかすらわからない。

 周辺国の文書にそれが書かれていないということは、あったとしても公には使われないものだった可能性が高い。双子星は神に準じた高貴な位であり、国の象徴だった。政治に直接かかわらない象徴に、個人の人格は要らない。

 イシニエムは、スケッチブックをひらき、筆を滑らせる。

 肖像画の四辺を縁取る紋様を、写し取った。

 元はきらびやかな色合いだったかもしれない。紙質の変化が輪郭をぼやかせた、黄土色のしみのようなその紋様は、何かの生き物を一体一体つらねて意匠化したものか。四重の羽と、小さな頭、長い脚、触覚のようなものもある。虫のようであり鳥のようでもある。平面に抽象化された姿は、実物の大きさを伝えない。リトゥ宗教の伝承上の生き物、といったものかも知れないが、ならばなおのこと体長などの生物学的な類推が難しくなる。

 一匹一匹が互い違いを向いて、肖像を取り囲み、羽の意匠の軽やかさはまるで、絵姿の二人を祝福する天の使いを表したいようだった。

 回廊にはほかにも、リトゥの息遣いを伝える遺品が会している。神殿のものと見られる木の支柱や、地方社殿の神体であったと推察される香木など。

 リトゥは木と紙の文化を持った。

 崩壊後に跡形なく国家の痕跡が消えた理由として、最も大きい要因だ。

 リトゥ崩壊からの千年、大陸に満ち引きしためまぐるしい歴史の攻防を思いながら、イシニエムは回廊を巡った。

 邸宅の裏がわにあたるところでは、縦長の窓が等間隔に並んで自然光を取り入れている。窓硝子の隅に、あの生き物の意匠がひとつずつ、洒落た削り模様となっていた。伯爵の遊び心だろう。

 窓の外を見下ろすと、ちょうど人影が目に入った。

 長身の男と、こちらを向いた二人の女。後頭部を見せる男はシクム・ダシェーキ士爵で、彼はたった今、エシィル・ジュハン嬢を呼び止めたようだった。

 身振り手振りして庭の散策へ誘おうとするシクムだが、エシィルの前に一歩出た侍女が彼女をかばった。

 早朝から伯爵邸へ推参してめげない士爵が少々哀れにもなる。しかしシクムは困惑の様子もなく、開き直って腕を広げた。それならば三人で歩こうじゃないですか、窓硝子と距離の隔たりを越えて彼の言い草が聞こえるようだ。

 生まれながらの貴族ではないのに今は親が財力で買った身分を与えられている彼である。だからこそ彼は、望みさえすれば何を手に入れることもできると信じて疑わないのだ。

 それが高嶺のエシィル嬢であろうと。

 それは行動の末に辿り着ける結果だと、彼は思っている。

 シクムはさらにエシィルの誇りを煽るような何かを言って、二人の女を連れ立つのに成功したようだった。裏の木立へと三人は消えた。

 コツコツと足音が大理石に反響して聞こえてくる。

 回廊の入口からジュハン伯爵の姿が現れた。

「こちらでしたね。どうでしょうか、自慢のコレクションです」

「ええ、とても僕は感動してしまって、昨日の夕に拝見してからというもの、いてもたってもいられず、朝からまたここに来てしまったわけなんです」

 イシニエムは心からの感嘆を込めて言った。

「でしょう、そうでしょう。館はこの回廊のために建てたと言って過言ではありません。この土地はとくに相応しい場所なのですよ」

「由縁があるのですか」

「カーミィアルには、双子星の別殿があったと古くからの伝えで言われています。〈カドミシュ〉、とトレアクの情報文書に記述されている地がここではないかと私は思います。トレアク文書はご存じですね」

「ええ、リトゥ政治の動向を追った諜報記録ですから、もっとも信頼性が高く、連続性も確実な資料ですね。カドミシュへの行幸を最後に、十二代〈守護者〉の記録が途絶えるのでしたね」

「そうなのですな」

「ではここが……」

 言葉をなくしたイシニエムと共に窓から広大に広がる森を眺めて、伯爵は茶目っ気まじりの流し目を送った。

「まずご覧にいれてから、教えて差し上げようと思ったのですよ」 

「この地にリトゥの歴史が生きていたのですね。何とも言えないな……。感慨の大きさに頭が追いつきません。伯爵」

「私も嬉しいですよ、まったく」

 研究者たちは破顔した。

 彼らはそれから回廊を一巡りし、私見を交わし合うと、今度は資料のそろった伯爵の書斎へ行き、また尽きることのない歴史談義に時間を忘れた。

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