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楽園追放  作者: 石川零
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∬一の夢∬

 差し込む陽光を反射する真白の装束と、廻る糸車のからからという音。

 小さなせせらぎが涼しさを呼ぶ大社の中庭で、毛氈の上に十人ほどが車座を組む年若い巫女たちは、ときおり誰かの他愛ない話に密やかな笑い声をさざめかせながら、糸を紡いでいる。

 木々の芽吹く頃。

 リトゥの宮城は光芒祭の季節を迎えていた。

 神より遣われし双子星が生活する宮城。その一画に建てられた大社にて、年に一度、春を待って行なわれる光芒祭は、聖域の中だけの厳かな式事であってけして派手なものではない。だが、日頃から神職に就くものとして厳粛を守って暮らす少女たちにとっては、貴重な晴れの舞台となる。

 彼女たち巫女は、国のまつりごとを担う〈主族〉と対を成して神事を司る〈宮族〉の——すなわち神人である双子星を転生させる血統の娘たちだ。

 リトゥを守る神々に、光芒虫という、つややかな光沢のある糸を吐く虫の繭をもとに、布を織って奉納する神事が光芒祭である。

 糸を紡ぐのは巫女たち。糸から布を織るのは双子星の片割れ——。

「あっ、……ミケシュさまだわ」

 彼がこの中庭を訪れたのは午前の半ば、巫女たちにとっては早朝からつづく作業に集中も途切れはじめたころだった。

 目聡く大社の廊下に人影をみとめた年少の巫女の言葉に、からからと響いていた糸車の音が一斉に止まる。

——ミケシュさまよ

——まあ、ほんとうに! こんなに近くに拝見するのははじめて……

 彼。双子星の一人である〈守護者〉ミケシュは、廊下から真っ直ぐに中庭に下りて、彼を迎えるために正式な礼をとった巫女頭の前で足を止めた。

「ラタルゥ殿はどちらでしょう?」

 巫女たちの辞儀を待って問うたミケシュに、巫女頭は戸惑いの表情を浮かべる。

「巫女姫様に御座いますれば只今御支度の最中かと……。もうすぐこちらに——あ、御なりあそばしましたわ!」

 遠く、先触れの鈴の響きが聴こえてくる。ほっとしたように巫女頭は、中庭の東側に据えられた東屋を示してミケシュにすすめた。

「巫女姫様はあちらで紡ぎを御見守りなさいます。どうぞ、御座りになってお待ちくださいまし」

 ミケシュは礼を言って、東屋のほうへ歩き出した。後ろで従者が、ミケシュからの籠一杯の檸檬の差し入れを巫女頭に渡す。

 鈴の音が近づいてくる。

 ミケシュは大社の建物と同じ、飴色に磨かれた東屋の柱を背にして、再開された巫女たちの糸紡ぎを眺めた。

(それほどに私の姿が珍しい、と……)

 先ほどの巫女頭の表情を思い出し、ミケシュは薄く自戒を覚えた。

 今年で齢十九になるミケシュと、十六になる巫女姫のラタルゥは、共に双子星としての徴を持って生まれた、天の定める許婚だった。

——しゃらん

 ひときわ高く鈴が鳴って、俯いていたミケシュは上目遣いで顔を上げた。

 先ほどミケシュが通ってきた廊下に、六人の付き人に囲まれて巫女姫が姿を現していた。四方から竹の柄で支える薄布の日除が、その顔を隠している。

 段を降りたところで、鈴持ちにつづいてラタルゥを先導していた侍従長がこちらに気付いたようだった。ミケシュは〈守護者〉らしく、腰に帯びた剣の鍔に手を置き、〈巫女姫〉を迎える。作業を止めて平伏する巫女たち。その横をゆっくりと通った巫女姫が、東屋の前に日除けを解き、姿を現す。

「まあ! ミケシュさま?」

 ミケシュをみとめたラタルゥは顔を輝かせて近寄った。

 今日はどうなさいましたの? 幼く愛らしく首を傾げて問うラタルゥに、手を貸して東屋の階段を昇らせながら、ミケシュは、

「しばらく宮城を留守にします」

 と、告げた。

「あら、また御巡幸ですの?」

「ええ」

 悲しげな顔をするラタルゥに、ミケシュは伏目がちに言を継いだ。

「一ヶ月と少し掛かります。奉納の儀までには戻りますが」

「此度はどちらへいかれます?」

 ラタルゥは、侍従の促す椅子には座らずにミケシュを見上げたまま話した。彼女は育った環境のせいか、まだその性格に年相応よりも少し幼さを残している。

「カドミシュと聞いています。……ラタルゥ」

 巡幸は、長い不在。巫女姫はなによりミケシュのこの公務を嫌った。近年の国の乱れがいっそう、巫女姫の不安を強くした。宮城から殆ど出ることがないラタルゥにとって、外の世界はいかにも恐ろしいところに思えるのだ。

 ミケシュはラタルゥの目を見つめた。

——あのように一生消えることのない深い愛は見たことがございませぬ。天上の愛とは、天界とは、けして言の葉だけのものではないのだと……

 幼いころに聞いたしゃがれた声が、耳にこだまする。

「何か欲しいものはある? カドミシュは確か……」

 ミケシュは共に育った子供時代の言葉遣いで、愛おしい少女に土産の希望を訊ねた。

「たしか、草木染めが有名。……そうだわ! ミケシュさま?」

「なに?」

「それでは懐巾を二揃い、お願いしたく存じますの。わたくしが刺繍をして、一つはミケシュさまにお持ちいただきたいの」

 一つ手を打って声を弾ませるラタルゥに、優しく「わかった」と頷いた。気丈に振る舞うラタルゥの健気さが胸に刺さる。彼はだんだん心の裡にある鈍い重みを無視することが出来なくなってくる。

 自分ではどうしようもない感情の波がある。

 ミケシュは旅の支度を口実にして、早々に退出を決めた。眉根を寄せて寂しがる巫女姫をなだめるように別れの挨拶を交わす。ラタルゥはミケシュの手を握って離さずに何度も、何度も、「御無事で……」と繰り返す。彼はその手を強く握り返す。ひとつも嘘のない心で無事の帰還を約束した。「必ず戻るよ、ラタルゥ。〈巫女姫〉」

 一礼して、来た道を引き返す。

 大社の渡殿に架かる階に足をかけたところで胸を圧した何か。

 彼の心中は、けして外に出すことを許されない。

 糸を紡ぐ巫女たちの視界から完全に外れたところまでくると、少し糸車の軋む音が大きくなった気がしてミケシュは歩みを早めた。


              ◇


 リトゥという国に、生まれ変わりを繰り返して結ばれつづける双子星という神人の男女。

 代々の双子星は誰の目にも、仲睦まじく、深く尊い愛に結ばれていたという。

 双子星の転生の間隔は三、四年と短い。宮城に住まう仕人の中には先代の二人を知る者も多いが、彼等の口も揃って言い伝えを踏襲する。

——あのように一生消えることのない深い愛は見たことがない。天上の愛とは、天界とは、けして言の葉だけのものではないのだと知った、と。

 だがミケシュにはわからない。自分が神人である実感がない。

 言い伝えにあるような愛を自分は持っていない。



              ◆

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