学園生活が始まった
部屋に戻ると、ハンナが心配そうに駆け寄って来た。
「お嬢様、どうでした?」
私は、奴隷契約書をハンナに手渡した。
「お嬢様が作成した契約書ではないですね」
「レオン様が作成したものよ」
ハンナは、契約書を読み終えると顔を上げた。
「お嬢様にとって、良い条件では?」
「そう思うでしょ! 普通はそう思うわよ。私は悪くない~!」
そのままベッドにダイブした。
「何が問題なのですか?」
私はムクリと起き上がると、全てを話して聞かせた。
ハンナは、納得の顔で頷いた。
「殿下にとって、金貨一万枚など端金ということですね」
「完全に、騙されたわ」
「でも、お嬢様の話を聞いてると、奴隷というより恋人ですよね?」
え? そう言われれば、奴隷らしい命令ってされてない気がするわ……。
「お嬢様、惚れてはダメですよ。金貨一万枚なんて、旦那様にお願いしても、きっと払えないです」
そうよね……。
悪魔の魂胆が分かったわ! まずは、私に惚れさせて、金貨一万枚の借金を負わせる。私のどん底生活を見ながら命令を下し、楽しむ気だわ。
「大丈夫よ。あんな悪魔、好きになるもんですか」
そうよ。絶対に好きにならないんだから。思い通りにはさせないわ。
その時、父が部屋に駆けこんで来た。
「エミリー、アンドレ殿下の命を救ったというのは本当か?」
さすがは商人だわ。耳が早い。
「はい。でもアンドレ殿下とは」
「良くやった! 私は、絹の独占権があると嬉しい」
父は、微笑みながら、私をチラッと見た。
は? おねだり? アンドレにおねだりをしろと?
そう言えば、私に聖女の印が現れた時も、こんな反応だった。
そこへ、母がやって来た。
「あなた、ガッツいてはいけませんわ。今日エミリーが、どこへ行っていたと思います? レオン殿下の所ですのよ」
「レオン殿下? あのカルドラン大国の!?」
父は、驚愕の顔で私を見た。
うん。奴隷だけどね。
母は、嬉しそうに微笑んだ。
「私は、アンドレ殿下でもレオン殿下でも、どちらでも良いわ。うふっ」
は? どういう意味? どっちも嫌よ。地獄に落とす気?
そもそも男爵令嬢ごときが、どっちか選べる立場?
母は、小首を傾げた。
「それにしても、エミリーらしくないわね。アンドレ殿下の命を救ったり、レオン殿下からお招きいただいたのよ。いつものエミリーなら、小躍りしながら、自慢するはずなのに。どうしたの?」
確かに、前世の私は、アンドレを聖女の力で救ったと、小躍りしながら自慢した。
さすがは、母親ね。子供のことを良く分かってるわ。
このままでは、ダメね。何か言い訳しなきゃ。
私は、助けを求めてハンナを見た。
ハンナは、おもむろに視線を逸らした。
逃げたー!
良い言い訳が思いつかないわ。
私は、焦りのあまり、思ってもいないことを口走った。
「お父様、お母様、殿下が何だと言うのです? せいぜい、その先にあるのは王妃の座。そんな物より私は、お父様の後を継いで、世界一の大商人になりたいです!」
右手を、シャキーンと突き挙げた。
その場が一瞬、固まった。
静寂を破って、父が口を開いた。
「エミリー、残念だが、商人は計算ができないとな。私も、アンドレ殿下でもレオン殿下でも、どちらでも良いぞ」
母と父は、嬉しそうに部屋を後にした。
えっと、これは……。バカな私に、商人は無理だと。そんなことより、アンドレかレオンか選べと? 完全に期待されてるわよね。
「お嬢様、早く休みましょう」
ハンナ、何事もなかった振りしないで。
こういう時、何も触れられないのが、一番きついのよ。
「明日は月曜日です。お忘れかも知れませんが、お嬢様は学園生ですよ。朝からちゃんと登校しなくては」
私の願い虚しく、ハンナは、完全にスルーした。
待って。学園……? そうだわ。私、十七歳なのよね。
私は、またベッドに突っ伏した。手足をバタバタさせる。
「嫌だ嫌だー。勉強は嫌いだもの。だって、私、バカなのよ」
「知っています」
そこは、否定するところでしょ。
「さぁ、明日に備えて、早く休みましょう。お嬢様が、大商人になりたかったとは、初めて知りました」
何で今―! 今更いじられるほうが、きついわ。
私は、ハンナに転がされながら、着替えさせられた。
はぁ~、勉強か~。二度目なんだから、そこは免除されても良いのに。
翌朝。
王立学園の門を潜ると、後ろから、誰かに膝ガックンされた。
懐かしいわ。こんな真似をするのは、マルクしかいない。
マルクは、私の前に回り込むと、嬉しそうに笑っている。
「おはよう、エミリー。今日も引っ掛かったな」
「やられたらやり返す。百倍返しよ!」
私は、マルクの首元を羽交い締めにした。
マルクは、笑いながら、私の腕を三回叩く。これが、降参の合図。
私は、パッと手を離した。
マルクは、嬉しそうにアピールする。
「エミリー、僕を見て、何か気付かない?」
ブルネットのフワフワの癖毛と、同色の瞳。あの頃のマルクだわ。
こう見えて、ヴァロワ伯爵家の長男で、学年一位の成績を誇っている。
ヴァロワ伯爵家は、父の仕事の後ろ盾になってくれている。マルクとは、子供の頃から良く一緒に遊んだ。幼なじみね。
マルクが、こんな風にアピールする時は、決まって背のこと。今は、私と同じくらいの身長だもの。気にして当然ね。
「背が縮んだ」
「逆だよ! 伸びた! 二ミリね」
「この先、あと二十センチ伸びるわよ」
「本当に? 何で?」
だって、学園を卒業する頃には、別人のように背が高くなってたもの。
「私には、未来が見えるの」
「はいはい。それよりエミリー、今日の試験、大丈夫そう?」
私の足は、ピタリと止まった。試験?
「もしかして、忘れてた?」
えぇ。七年ぶりに戻って来たの。覚えてるはずないわ。
「だって、激動の週末だったのよ」
私は、とりあえず誤魔化した。
「エミリーが、夜会で王太子様の命を救ったって?」
「知ってるの?」
「既に噂になってるよ。凄いね。王太子様の命の恩人なんて」
「たまたま居合わせて助けただけよ。まさか、私、英雄扱い?」
「そんな訳ないさ。王太子様のベルトを抜き取るなんて、はしたない。お体に勝手に触れるなんて、許せないって」
直球すぎない? もう少し、オブラートに包んで話して欲しいわ。
ちょっとでも英雄扱いされるかと思った私が、恥ずかしいわ。可哀想よ。
まぁ、この学園での男爵令嬢の扱いは、そんなものよね。
それより、今は、試験だわ。
「マルク、今日の試験科目って何だっけ?」
「全部だよ」
嘘でしょ……。終わったわ。また、両親を悲しませる。昨日はあんなに喜んでたのに。
「大丈夫だよ。いつもビリなんだから。今更だよ」
「マルク! 本当のこと言わないで!」
私が手を振り上げると、マルクが私の両耳を引っ張った。
「猿みたいだ」
その時、背後から声が掛かった。
「何をしている? その手を離せ」
振り返ると、そこには、レオンが立っていた。
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