悪魔との契約①
翌日の昼下がり。
私はハンナと一緒に、奴隷契約書の作成に勤しんでいた。一方的に悪魔に決められて堪るものですか!
1. レオン殿下は、エミリー・ド・アヴェーヌを専属奴隷とする代わりに、エミリー・ド・アヴェーヌの秘密は、絶対に口外しないものとする。
「ハンナ、条文一は、これで問題ないわよね」
「はい。完璧です」
「次は、殿下が秘密をバラした時に、痛い目に遭わせるぞっていう条文ね」
2.上記の内容に違反した場合、レオン殿下は……。
「ハンナ、何が良いかしら?」
「お嬢様が一番恐れているのは、秘密をバラされて、アンドレ殿下の婚約者になることですよね」
「その通りよ」
流石はハンナだわ。良く分かってる。
「では、そのような状況に陥った時、助けていただくのは、どうですか?」
「それだわ! 責任を取ってもらわないとね」
他にも困った状況に陥るかも知れないわよね。例えば、今回みたいに誰かに脅されたり。
どんな状況でも、必ず助けてもらえるようにしないとね。
2.上記の内容に違反した場合、レオン殿下は、状況に応じて適切な責任を取るものとする。
「できたわ!」
私は、同じ内容の契約書を、もう一枚作成し始めた。
ハンナが、不思議そうに文書を覗き込む。
「なぜ、もう一枚作るのですか?」
「契約書は、同じ内容のものを二枚用意するの。一枚ずつ当事者が持つためにね」
ハンナは、驚愕の顔で私を見る。
「お嬢様、時が戻ったという話は本当だったのですね」
え? 疑ってたの?
「契約書について理解しているなんて、以前のお嬢様なら有り得ないことです」
「今? ようやく今、信じたの?」
「疑っていた訳ではないです。ただ、初めて実感が湧いたというか……」
こうなったら、私がどれ程賢くなったか、見せつけてあげるわ。
「この知識は、王妃教育の賜物よ」
私は、二枚目の最後にだけ『レオン殿下は、エミリー・ド・アヴェーヌの意思を尊重すること』と、条文を付け加えた。
「お嬢様、なぜ二枚目だけに?」
「殿下は二枚目の内容を見ないはずよ。二枚を重ねておけば、内容は一枚目と同じだと思っているから。重ねたまま二枚目にサインさせたら、それを素早く折りたたんで殿下に渡すわ。一枚目は私が貰い、後で条文を付け加える。この最後の条文で、私の意に副わない命令は、できなくなるわ」
我ながら、完璧よ!
ハンナの尊敬の眼差しが、止まらない。
「凄いです。お嬢様は、ずるの天才ですね! 卑怯者の鏡です!」
褒められてる気がしないわ。
その時、ノックの音と共に、執事長のオロオロとした声が聞こえてきた。
「エミリーお嬢様、レオン殿下の遣いと言う者がお見えですが……」
もう来たの? 昨日の今日よ。すぐにでも、私をこき使いたいのね。
でも良かったわ。契約書はできてる。
「今、行くわ」
ハンナが、心配そうに私の手を握る。
「お嬢様、お気をつけて」
「大丈夫よ。私には、この契約書があるもの」
悪魔になんて、負けないわ!
我が国と、隣国カルドラン大国とは古くからの同盟国。
カルドランの皇族は、訪れた際に、迎賓宮である城を使う。
城の門を潜ると、庭園が広がっている。
その間の道を、私を乗せた馬車が通って行く。
私は、窓から外を眺めた。
この城へ来るのは、久ぶりだわ。
前世では、来賓への挨拶で何度か訪れたことがある。
相変わらず、綺麗な庭園ね。区画整理された場所ごとに、違う色の花が植えてある。まるで、色とりどりの絨毯みたい。
馬車が城の前に停まった。
私は、遣いの者の手を借り、馬車を降りた。
執事が、にこやかに出迎えてくれた。
「ようこそ、おいで下さいました。私は、レオン殿下の執事をしております。パトリックと申します。以後、お見知りおきを」
「エミリー・ド・アヴェーヌと申します。こちらこそ、よろしくお願い致します」
随分、若い執事なのね。年の頃は、二十代前半かしら?
けれど、流石はカルドラン国皇太子の執事ね。眼鏡の奥の目が、賢そうだわ。
パトリックの案内で、私は、客室へ通された。
「エミリー様、どうぞ、こちらへ」
中へ入ると、私の足はピタリと止まった。
正面の大きな窓の外に、スズランが見える。私の大好きな花、スズランが一面に咲き誇っていた。
まるで、王宮のあの場所みたい……。素敵だわ。
執事のパトリックから、声が掛かった。
「綺麗でしょう? 昨夜から、レオン殿下が、急いで造らせた庭園です。エミリー様にお見せしたかったようです」
レオンが? 私のために? なぜ……?
分かったわ! 私の機嫌を取って、奴隷契約をすんなり進める気だわ。
でも、私がスズランを好きだと、なぜ知っているのかしら?
「エミリー様、レオン殿下はすぐに参ります」
ゆっくりで良いわ。何なら、来なくて良いわ。
その時、背後でガチャッとドアの開く音がした。
振り返ると、レオンがニヤリと微笑んだ。
「良く来たな」
相手は一応皇太子だもの。挨拶はしないとね。
私は、スッと淑女の礼をする。
「殿下、お招きいただき……」
ありがとうと言うべき? これから奴隷契約をさせられるのに? まるで感謝してるみたいだわ。やめた。
「殿下、ご機嫌いかがですか?」
「最高の気分だ。奴隷契約を前にしているからな」
でしょうね。
レオンは、ソファに腰かけると、長い足を組んだ。私の左手首に視線を留める。
「今日は、リボンではなく腕輪か。賢明だな」
私も、テーブルを挟んで、レオンの向かいのソファに腰かけた。
「はい。侍女がお守りとして私に貸してくれました」
「その侍女は知っているのだな。信用できるか?」
ハンナが誰かに話さないか心配なのね。秘密は公になれば秘密ではなくなる。奴隷契約など意味がなくなるもの。
「最も信用できる幼い頃からの友です。私一人で隠しきるには、限界がありますから」
レオンは、納得したように頷いた。
「では、契約の前に一つ聞こう。理由は何だ?」
ん? 何の理由?
「分からないのか? 聖女の印を隠したい理由だ」
分かる訳ないー! まさか、奴隷なら主の考えを察しろと?
「事情がありまして」
「その事情とやらを聞いている」
うっ、強引。
「聖女は、王家に嫁ぐ決まりだからです」
「嫌なのか? 王妃になれるのだぞ。アンドレ殿下は、女どもに人気があるはずだが」
確かに、前世の私は大喜びしたわね。
「私は、男爵家の娘です。王妃など荷が重すぎます。王妃教育など受けたくないのです」
これは本音よ。王妃教育、辛かったー。
毎日、夜遅くまで勉強させられるのよ。できるまで寝られないのよ。
ただでさえ勉強嫌いでバカな私にとって、地獄以外の何物でもなかったわ。
「なるほど。では、お前の望みは何だ?」
望み? 欲しい物ってこと? それとも願い事ってこと?
「分からないのか? お前は将来どうなりたいのか聞いている」
分かりにくいー! 最初からそう聞いて!
「王妃の座を蹴るくらいだ。さぞかし素晴らしい望みがあるのだろう?」
ハードル上がったー! 言いにくいじゃない。
でも良いわ。私にとっては、素晴らしい望みだもの。
「誰かに愛され、誰かを愛し、子供を産んで幸せに暮らす人生です」
「……」
ですよねー。目が点よねー。
さぞ素晴らしい答えを期待していたのでしょう。固まってるわ。絶句から、なかなか解放されない様子ね。
レオンがようやく口を開いた。
「なるほど……。では、契約を」
まだ引きずってるみたいだわ。大丈夫?
執事のパトリックが、書類をレオンに手渡した。
今だわ! 負けて堪るもんですか!
私は、すかさずテーブルの上に作成済みの契約書をバンッと置いた。
良かったわ。綺麗に二枚重なってる。
「私は奴隷となるのですから、契約書は私が作成したものでお願いします!」
「……良いだろう。とりあえず、目を通してやる」
レオンが、契約書を手に取ろうとする。
私は、契約書を押さえつけた。
「殿下、このまま目をお通し下さい!」
「なぜだ?」
「どうか、このままで!」
私は、この手を退かすつもりはないと、目で訴えた。
「まぁ、良いだろう。手を退けろ。読めない」
私は、手を移動させ、捲らせないよう契約書の端を両手で押さえた。
いや、バレるでしょ。と思った方は、★★★★★とブクマをお願いします!