悪魔との出会い②
心臓の鼓動が、早鐘のように鳴っている。
どうしよう……。こうなったら、脅すしかない。黙っていてと懇願すれば、つけ込まれる。
礼儀などに構っていられない。
私は、リボンの端をグッと握り締めた。力を込めて引っ張りながら、一歩進んだ。
「もしも、このことを誰かに話せば」
私は、力強く、もう一歩進んだ。青年の前に、顔をズイッと寄せる。
うっ。イケメン。眩しいわ。けど耐えるのよ。惑わされちゃダメ!
私は、大きく息を吸った。
「私、死ぬから!」
「は?」
何よ。きょっとん顔して。理解していないのね。
「だから、貴方の目の前で死ぬって言ってるの。寝覚めが悪いでしょ? 自分のせいで誰かが死んだなんて。一生、後悔するわよ」
最後にダメ押ししなきゃ。
「それだけじゃないわ。死んだ後も、ずーっとずーっと呪ってやる! 毎日、貴方の眠りの邪魔をするわ。貴方が死ぬまでね。辛いわよ。そのうち精神を病むわ」
「まさかとは思うが、俺を脅しているのか?」
何ですって? バカにしてるの?
私は、力任せにリボンをグイッと引っ張った。
青年は、握っていたリボンの端をパッと離した。
えっ?
私は、その反動で見事な尻餅をついた。
痛いっ! 何なの。急に手を離すなんて酷いわ。
青年は、プッと吹き出した。
笑ったわね。何て失礼なの!
青年が、嬉しそうに私を見下ろす。
「要するに、俺は、お前の弱みを握った訳だ」
えっ? 何でそうなるの?
青年は、しゃがみ込むと、落ちていたリボンを拾った。
私の左手を取ると、手首にリボンを巻き始めた。
「誰にも見られないようにしろ。今日からお前は、俺だけの専属奴隷だからな」
は? 専属……奴隷?
青年は、リボンをキュッと結ぶと、悪魔の顔で微笑んだ。
嘘でしょ……。全身から力が抜けていく。奴隷など冗談じゃない。でも断れば、聖女であることをバラされてしまう。
その時、私はハッと思い出した。
目の前の男は、隣国の大国、カルドランの、レオン国王陛下だ! 今はまだ皇太子だわ。
どんな相手もねじ伏せて服従させる、まるで悪魔のようだと有名だった。誰も逆らえない。悪名高き王……獅子王とも呼ばれていた。
私は、レオンが視察に来た時に、何度か言葉を交わしたことがある。
周囲の者は皆、奴隷のようにレオンに付き従ってた。
確か、私より一つ年上だったはず。アンドレと同じ歳ね。
レオンも、この夜会に招待されていたなんて、前世では気付かなかったわ。
だけど、瞳の色は綺麗な銀色だったはず。……光の加減で、銀にも金にも見える瞳だったのね。
あの獅子王が、今、目の前で笑っている。悪魔の微笑みを浮かべて。
よりによって、レオンに知られてしまうなんて……。
レオンは、私の手を取ると、立ち上がらせた。
「怪我はないか?」
んっ? 意外に優しい?
「怪我をすると、奴隷として、こき使えなくなるからな」
やっぱり悪魔――――!
まずいわ。このままじゃ、何とかしなきゃ。
「レオン殿下、それでは契約を交わしましょう」
これも王宮で学んだ知恵。キチンと書面で契約を交わさなきゃ、何をさせられるか分からない。
「前向きなのは嬉しいが、なぜ俺の名を知っている?」
しまったー!
レオンと初めて会ったのは、アンドレとの婚約の儀だった。
二度目の人生、むずい~。
「す、数年前、お父様と隣国に行った際、殿下をお見掛けいたしました」
「そうか。お前、名は何という?」
そうだわ。ここで嘘を吐けば良いんだわ。
どんな名前が良いかしら?
「嘘を吐けば、不敬罪に問うぞ」
出たー! 伝家の宝刀、抜いたわね。これだから王族は嫌いよ。
仕方がないわ。調べられれば、どうせバレてしまうもの。
「エミリー・ド・アヴェーヌと申します」
「では、近いうちに遣いの者をやる」
まさか、私をカルドランに連れて行く気?
「あの……、私を娶る気ですか?」
「お前を俺が? なぜだ」
「カルドラン大国でも、聖女は貴重な存在でしょう?」
「怪我や病気が治れば確かに便利だが、俺には聖女など必要ない。人の生き死には神の領域だ。聖女だからと言って、人間が左右すべきではない。怪我や病気から学ぶこともある」
レオンは、悪魔の微笑みだけを残して、立ち去った。
聖女を必要としてないのね。っていうか全否定ね。
でも、良かったわ。聖女を特別視していない。
レオンといえば、女を一切寄せ付けないことでも有名だった。婚約者を持たず、ずっと独身を貫いていたはずよ。なのに、何で……。
それにしても、専属奴隷だなんて……。
私は、深いため息を吐いた。
部屋に戻った私を、ハンナは心配そうに出迎えた。
「お嬢様、大丈夫でしたか?」
「全然大丈夫じゃなかったよー」
半泣きでハンナに抱きついた。
私は、ハンナに一通り、事の成り行きを話した。
「つまり、お嬢様はアンドレ殿下と、有り得ない程の関りを持った。さらに、隣国の皇太子に聖女であることがバレて、奴隷にされた。と?」
改めて聞かされると、相当やらかしてるわね。
ハンナは、腰に両手を当てた。
「なぜ、そうなるのです? あれほど、壁の華に徹するように言いましたよね?」
怖い怖い。ハンナの瞳の中に、怒りの炎が見える。
「でも、リボンが解けたのは、ハンナがちゃんと結んでくれなかったから」
私は、ハンナを上目で見た。
「奴隷にされたのは、私のせいだと言いたいのですか? サテンのリボンは、ツルツル滑るのです。ドレスに合わせて共布のリボンを徹夜で縫った私が悪いと? サテンのドレスを選んだのはお嬢様ですよ」
ハンナの全身から、怒りの炎がゴーッと燃え上がったかに見えた。
徹夜で縫ってくれたの? 知らなかった。これは、まずいわ。逃げなきゃ。
殺気を感じた私は、部屋の中を逃げ回った。
「嘘嘘。ハンナは悪くないわ。私のせいよ」
逃げながら、何だか楽しくなってきた。あの頃に戻ったみたいだわ。ハンナとまた、追いかけっこができるなんて。
途中から笑い出した私に、ハンナは呆れ顔で足を止めた。手首から、蔦の模様が彫られたシルバーの太い腕輪を外す。
「これは、母から貰った故郷のお守りです。きっと、お嬢様を守ってくれます」
ハンナは、私に歩み寄り、左手首に腕輪を填めてくれた。
聖女の印がしっかり隠れてる。ピッタリだわ。
でも、この腕輪……。
「ダメよ。いつも身に着けてる大事なものでしょ? 受け取れないわ」
外そうとする私の手を、ハンナが押さえる。
「差し上げるとは言ってませんよ。お貸しするだけです。今は、私よりもお嬢様のほうが緊急事態ですから。このお守りが、お嬢様の望む人生を、きっと歩ませてくれます」
ハンナは、可愛くウインクした。
「ありがとう。ハンナ……」
「いつか、その腕輪が必要なくなった時、ちゃんと返してくださいね」
この腕輪を外せる日など、来るのかしら……。
でも今は、ハンナの気持ちが嬉しい。
「分かったわ。ありがとう!」
私は、ハンナに再び抱きついた。
ハンナは本当にお姉さんみたい。と思った方は、★★★★★とブクマをお願いします!