婚約者兼奴隷
私は今、レオンに手を引かれ、スズランの咲き誇る庭を散歩している。
レオンの顔色も良くて、安心したわ。
穏やかな風が気持ちいいわね。またこの場所をレオンと散歩できるなんて、夢のようね。
レオンが、私を引き寄せ、耳共で囁く。
「エミリー、金貨一万枚の用意はできているか?」
はい? 今、すごく素敵なシーンのはずよね。
なぜ、金貨一万枚?
レオンが、私を見つめる。
私の髪を撫でながら、悪魔の微笑みを浮かべた。
「俺に惚れたと告白した。大好きです、と」
聞かれてたーーー! 苦しみながらも聞き逃さないなんて、さすがは獅子王ね。
でも、ちょっと待って。奴隷契約は終わったはずよ。
「レオン様、奴隷契約書は、二枚とも私が持っています。それを破り捨てれば済むことです。ですから、金貨一万枚を用意する必要はないかと」
レオンは、胸元から奴隷契約書をスッと取り出した。
「これのことか? 一枚は俺が持っているが」
何で持ってるのーーー!
ハンナだわ。ハンナが悪魔に寝返ったーーー!
でも、私は婚約者のはず……。
「レオン様、私を婚約者にして下さるのですよね?」
「当然だ。エミリー以外に俺の妃になる女はいない。来週、カルドランへ連れて帰る」
え? そんなに早く?
「来週ですか? 聞いてませんけど」
「今、言った。エミリーは、俺の大事な婚約者兼奴隷だ」
婚約者兼奴隷? 聞いたことないんですけどーーー!
「私は、まだ奴隷なのですか?」
「当然だ。契約書にそうある。一年間は俺の奴隷だ」
レオンにとって、奴隷って何?
「婚約者と奴隷の違いは何ですか?」
「全く違うだろ。婚約者の意志は尊重する。だが、奴隷の意志は尊重しない。俺の好きに可愛がる」
そう言えば、白い霧の中でも、そんなことを言っていたわね。
やっぱり、あの時見た光景は、本当にあった出来事だったんだわ。
「よって、金貨一万枚は、一生懸けて支払ってもらう」
意味が分かりませんけど……。
「例えばだ」
レオンは、私の頬にキスをした。
キャー。急に何するのー。嬉しいけど。
「これで、金貨一枚を払ったことにしてやる。あと九九九九回は俺の好きな場所にキスできる計算だ」
レオンは、嬉しそうに微笑んだ。
金貨一万枚って、キスで払えるの?
だったらもっと早く言ってよー。そしたら、もっと早く告白できたのにー。
そうだわ。白い霧の中でのこと、聞いてみようかしら。
「レオン様、幼い頃、私とどこかでお会いしましたか?」
レオンは、顔を輝かせた。
「覚えていたか? ここで会った」
「ここで、ですか?」
ここへは王妃になって、初めて訪れたと思っていたけど。
「十年前だ。俺は、父の視察に同行し、初めてここを訪れた。その時、俺は父に叱られ泣いていた。そこに、エミリーが現れた。お菓子を差し出し、泣かないでと。優しく涙を拭いてくれた。一目惚れだ」
一目惚れ? 幼い私にレオンが?
そう言えば、幼い頃、父の仕事に良く連れて行かれた。私は、お菓子の籠を持たされ、愛想を振りまきながら、大人たちに配るのだ。
大人たちは、幼い私の愛らしい?姿に、思わず笑みを零す。
すると、父の商談は上手くまとまる。
今思えば、ずる賢い父が考えた、娘さえも商売に使うあくどい戦略。
「すぐに立ち去ったエミリーを、俺は目で追った。途中までは、大人たちに笑顔でお菓子を配っていた。だが」
と、レオンが指差した先には、一本の大木があった。
「急にあの木の陰に隠れた。見に行くと、我慢できなくなったのか、お菓子をむしゃむしゃ食べていた」
えー。私、食いしん坊丸出しー。
「見ていたのですか?」
「勿論だ。何をしてる? と声を掛けた。すると、口の周りにチョコレートをつけたまま、こう言った。もし、このことを誰かに話せば、私、死ぬから! と」
レオンは、クックと笑いを堪えている。
「夜会の時と同じ言葉だ。成長がないとは、このことだ」
レオンは、堪えきれずに、大声で笑い出した。
……確かに、全く成長がないわ。七歳の時と、脅し文句が同じだなんて。
「レオン様、笑い過ぎです」
私が離れようとすると、レオンが引き寄せる。
「あの頃、俺は孤独だった。母は俺には関心がなく、父も忙しく政務をこなしていた。あの時、久しぶりに笑ったのだ。心の底から」
そう言えば、思い出したわ。黒髪の男の子に大笑いされた……。あれは、レオンだったのね。
「あまりに子供らしく、自分の欲望に正直なエミリーが可愛かった」
レオンが、私を抱き締めた。
「前世で、あの夜会の日に、俺は、エミリーに会えるのを楽しみにしていた。だが、エミリーがアンドレを助けてしまった。聖女の力で。エミリーが幸せならと、諦めようとした。だが、幸せそうには見えなかった」
「それで、レオン様が私を助けてくれたのですね」
私を、苦しみから解放してくれた。宝剣を使ってまで。
命を、国を、全てを捨ててまで。私のために。
この先何かあれば、私は、レオンのために何でもしよう。
レオンの深い愛に応えたい。
「お嬢様―!」
その時、ハンナが、手紙を手にやって来た。
「今、屋敷から遣いの者が。王宮からお茶会の誘いが来ていたそうです。今日なのですが」
王宮から? ラシェルが来るわ。
「レオン様。ラシェル様に会って来ます。発つ前にお礼を言わなければ。ラシェル様がいなければ、私はレオン様と今こうして、ここにいることはなかったでしょう」
「そうだな。行くが良い」
レオンは、頷いた。
王宮に着くと、執事が私を出迎えてくれた。
中庭に設けられたお茶の席に、私を案内してくれる。
人々のざわめきが聴こえてくる。既にお茶会が始まっているようだ。
蔦のアーチを潜る前に、後ろから声が掛かった。
「エミリー」
この声……。
振り返ると、アンドレだった。
アンドレに会ったら、きちんと謝りたいと思っていた。
宝剣を使ったのはレオン。アンドレではなかった。
アンドレは、純粋に聖女ではない私に心を寄せてくれていたのよね。
男爵令嬢である私との婚約まで、考えてくれた。
私は、淑女の礼をする。
「殿下、先日は大変失礼いたしました。陛下の御前で、殿下に恥をかかせることになり、誠に申し訳ございませんでした」
深く頭を下げた。
「レオンと婚約するそうだね。悔しいよ。僕は本当に、心から君を想っていた」
アンドレ……。前世で私の愛した人……。
だからこそ、幸せになって欲しい。
「殿下の近くに、幼き頃より殿下に想いを寄せている女性をご存じでしょう? 私への想いは殿下の気の迷いです。私との出会いが、少し印象的だっただけです。殿下の望む幸せを与えてくれるのは、私ではなく、ラシェル様です。ラシェル様こそ、殿下に相応しい方です」
その時、アンドレの後ろからラシェルが現れた。
「ラシェル様」
私は、礼をすると、深く頭を下げた。
「ラシェル様、先日はありがとうございました。何もかも全て、ラシェル様のおかげです。ラシェル様がいなければ、私は……」
涙が込み上げてくる。
「エミリー、私たち友達でしょう? 友達として当然のことを、したまでです」
ラシェルが私の手を握った。
ありがとう、ラシェル……。私は、かけがえのない友を得たのね。
ラシェルの手を、私は、そのままアンドレに差し出した。
ラシェルは戸惑いの視線を私に向ける。
アンドレ、お願いよ。どうかラシェルの手を取って。
アンドレは、フッと微笑むと、ラシェルの手を取った。
「ラシェル、行こう」
ラシェルが嬉しそうに微笑む。
「はい。アンドレ様」
二人の後ろ姿が、お茶会の席へと戻って行った。
良かったわ。これで心残りはないわ。
二人はきっと、前世のように愛し合えるわ。
私は、王宮を見上げた。
ここで暮らした年月は、辛いこともあったけれど、楽しいこともあった。
前世の自分から解放され、ようやく新たな人生を始めることができそうだわ。
さようなら。前世の私。
私は、クルリと向きを変え、王宮に背を向けた。
私は走り出した。愛しい人が待つ場所へ。
門前に、私を待つレオンの姿が見えた。
黒髪が陽の光を受けてキラキラと輝いている。吸い込まれそうに美しい銀色の瞳が、私を捉えた。相変わらずの悪魔の微笑みで、私を迎えてくれた。
レオンが両手を広げた。
私は、レオンの胸に飛び込んだ。
レオンがしっかりと受け止めてくれた。
「エミリー、そろそろツケを払ってもらおう」
ツケ? そんな物あったかしら?
「お仕置きのツケだ」
レオンが、私の頬に触れる。私の頬から首元へと手を滑らせた。
黒髪が、斜めになびく。陽の光が、レオンの瞳を怪しく浮かび上がらせた。
レオンの唇が、私の唇へとゆっくり降りて、重なった。
キャーーー! 今、心臓がキュン死しそうです。
ファーストキスは、愛する人へ捧げたい。
私の願いが、一つ叶ったわ。
レオンの唇が、フッと離れた。
「ツケには利息が付く」
再び、レオンの唇が私の唇に重なった。
レオンは、何度も私の唇を求めた。
利息が多すぎませんか? 嬉しいですけど。
「エミリー、まだ聖女であることが知られると厄介だ。この国から、聖女を連れ去ったとなれば、外交問題になる。よって、覚悟しておけ」
レオンは、また唇を重ねた。
これは……、まさか。
そうだわ……。ダメよ。
私は、レオンの胸を押した。
「レオン様、七年後、ラシェル様の病を治し、子を助けるまでは、聖女でいなければ」
「何? 七年も待てと言うのか?」
「ラシェル様は、私の、いえ、私たちを結び付けてくれた恩人です」
レオンは、再び私を抱き締めた。耳元で囁く。
「ラシェルと子は他の方法で救えば良い。婚約の許しを得たら、すぐにエミリーを抱く。これは命令だ。こんな時のために奴隷契約はある」
何ですってーーー!
神様、私はどうすれば良いのですかーーー?
ラシェルは本当に他の方法で救えるのですか? もし救えなかったら?
やっぱり、聖女でいるべきですよね?
また、レオンの唇が降りてきた。
私の思考を奪っていく。
神様、今は大人しく、この幸せに包まれていることにします。
レオン様、愛しています。
この後、カルドランで巻き起こる騒動は、また別のお話し。
エミリー、幸せにね。と思った方は★★★★★とブクマをお願いします!
最後までお読みいただきありがとうございました!




