エミリーの覚悟
レオンが宝剣を使ったなら、レオンと私が、時を遡ったことになる。
レオンには、全ての記憶があったの?
私が、聖女であり、王妃であったことも初めから知っていたの?
もしかして、夜会で会ったのは偶然ではなかった……。
私を奴隷にしたのは、なぜ?
混乱する私の思考を、老婆の声が遮った。
「これは、あまり知られておらんことじゃが。刺された者の怪我や病気で、刺した者は、その分体調が良くなるそうじゃ。身体に巣食う宝剣の作用が、弱まる」
刺された者の怪我や病気……。
私は、ハッとした。
私が足を怪我した時、母も気付かなかったのに、レオンだけが気付いた。
もしかして、宝剣の作用が弱まったから気付いたの?
でも、なぜそんなことが起こるの?
「刺した者と刺された者との関係は、そういうものじゃ。刺した者が助かる唯一の方法にも、関係する」
刺した者が助かる方法が、あるのね……。そうだわ。書物にもそうあった。詳細は、分かっていないと。
でも、このお婆さんは、知ってる!
「教えて下さい! 助かる唯一の方法を!」
「刺された者の命を奪うことじゃ。そのため国王は、忠実な臣下を刺す者として選ぶのじゃ。刺された国王の命を、決して奪うことのない忠実な臣下をな」
刺された者の……命を奪う。
それって、レオンが私の命を奪えば良いってこと?
自分が助かる方法を、レオンが知らなかったとは思えない。
それなのに、レオンは、私の命を奪おうとはしなかった……。
それどころか、レオンは、何も言わず自分の命を散らすつもりだったんだわ。
ラシェルがレオンを追わなければ、レオンの死を、私が知ることはなかった。
「刺された者が、殿方に命を捧げれば、殿方は助かる」
老婆の声が、心に静かに響く。
刺された私が、レオンに命を捧げれば、レオンは助かる。
私の命で、レオンが助かる……。
ハンナが、声を上げた。
「なりません! お嬢様が命を捧げるなど、絶対にダメです!」
ハンナは、目に涙を溜めている。
死んだら、もうハンナとは会えないのね。お父様とお母様とも……。
だけど、私はあの時、あの処刑場で命を落とすはずだった。
その私の命を救ったのは、レオンだった。
私に、やり直しの人生を与えてくれようとした。
自分の命と引き換えに。
なぜ、レオンがそんなことをしたのかは、分からない。
でも、私がやるべきことは決まっている!
「ハンナ、レオンに会いに行くわ」
「ダメです! お嬢様、お願いです。レオン様は、お嬢様の死を望まないはずです!」
分かっている。でも、行かなきゃ!
私は、店を飛び出した。
「お嬢様!」
ハンナが、後ろから追って来る。
ごめんね、ハンナ。
馬車が、見えてきた。
私は御者に叫ぶ。
「すぐに出して!」
私は馬車に飛び乗った。直後に馬車は走り出した。
ハンナの姿が遠ざかる。
許して……ハンナ。
だけど、私、レオンを救わなきゃ。
私は、そのまま迎賓宮である城へと向かった。
窓から外を眺めた。
行き交う人々も、空も、木々も、全てが色褪せて見える。
レオンのいない世界も、きっと同じ。
私にとっては、色褪せた世界になってしまう。
お父様とお母様の顔が浮かんだ。
最後まで親不孝で、ごめんなさい。
だけど、レオンにもらった命なら、レオンに返さなきゃ。
レオンが生きるはずだった人生を、返してあげたいの。
馬車が城の前に停まった。
私は、馬車を降りた。
パトリックが、驚いた顔で出迎えた。
「エミリー様……」
「レオン様のお見舞いに来ました。お会いできますか?」
私は、微笑んだ。
今から私のやることを、悟られてはいけない。レオンに会うまでは、止められる訳にはいかない。
パトリックは、戸惑いの表情を浮かべた。
「殿下は、今、横になっておられますが……」
「少しで良いのです。レオン様のお顔を拝見したら、すぐに帰りますから」
パトリックは、納得したのか、私を手で促した。
「では、こちらへ」
パトリックは、全てを知っているのよね。
レオンが宝剣を使ったことも。前世で私が王妃だったことも。
部屋の扉の前で、パトリックが私を振り返った。
「殿下に確認して参りますので、ここで少しお待ちください」
扉の中に、消えて行った。
レオン、お願いよ。追い返さないで。
暫くして、扉が開いた。
「エミリー様、どうぞ中へ」
良かったわ……。レオンに会える。
「お茶を淹れて参ります」
パトリックが、部屋を出て行った。
私は、部屋の中へと足を踏み入れた。
目の前のテーブルには、手つかずの食事が残されていた。
レオンは、ベッドの背もたれに寄り掛かっていた。
「エミリー、見舞いなど必要ない」
顔色が悪い。瞳は、ほとんど金色に変わっている。
一年……。きっと、皇族に伝わる書物か何かによって、一年の命だと思っていたはず。これ程に早く、命を奪われるとは、思っていなかったのよね。
だから、あの契約書には、期限を一年と書いた。
「レオン様、時を戻す宝剣の話をご存知ですか?」
私を見るレオンの瞳が、僅かに揺れた。
「突然、何の話だ?」
「ハンナが好きな伝説の話です。体調を崩し、退屈でしょう。本の代わりに、お話ししようかと」
レオンの表情には、硬さが感じられる。
「どこかの国の王家に、代々受け継がれているらしいのです。もしかして、カルドラン王国の皇族に受け継がれていませんか?」
「ありもしない伝説を、信じているのか?」
「金色に輝く宝剣で、剣の腹に真っ赤な宝石が填め込まれているそうです。本当に、ご存じありませんか?」
「伝説の剣など、知るはずがない」
レオンは、視線を逸らした。
刺された者の怪我や病気で、刺した者は、その分体調が良くなる。
試してみるわ。私の怪我で、レオンの体調が良くなるのか。
もし、良くなれば、私の命でレオンが助かるという話は、嘘じゃない。
私は、立ち上がった。後ろのテーブルへと歩く。
食事用のナイフを手に取った。
私は、レオンを振り返り、ベッド脇まで戻った。
「実は私、その宝剣で刺されたことがあるのです」
同時に、ナイフで自分の右手首を切り付けた。
薄っすらと、鮮血が浮かび上がってくる。
「エミリー!」
レオンが、声を上げる。慌てて私の右手首を押さえた。
「何の真似だ!」
金色の瞳が、僅かに銀色に傾いた。
嘘じゃない。私の命でレオンが助かる!
レオンがなぜ宝剣を使ったのか、その答えを、最後に教えて欲しい!
「レオン様、なぜです? なぜ宝剣を使ったのですか!?」
レオンは、私の右手首を必死に押さえている。
「レオン様! 答えて下さい! なぜですか!」
宝剣を使い、命を削ってまで叶えたかった願い、それは何?
「何の話だ! パトリック!」
レオンは、扉に向かって叫んだ。
そうよね。レオンが言うはずがない。
仕方がないわ。パトリックが来る前に、やるべきことをやらなきゃ!
私は、弱っているレオンを、渾身の力でベッドに押さえ込んだ。
左手をレオンの心臓に翳した。
ポワッと白い光が広がった。
全てのエネルギーをレオンに注ぎ込めば、私は死ぬ。
レオンが、私の命を奪ったことになる。
これで、レオンは助かる!
まただわ。この感覚。何かが邪魔をする。私のエネルギーを抑制する力を感じる。
一体何が……。このままでは、倒れることすらないわ。
その時、私はハッとした。お婆さんの言葉を思い出した。
「珍しいお守りだね。本当の意味で、お嬢さんの身を守ってくれるものじゃ。お嬢さんが、エネルギーを使い過ぎないように、制御してくれておる」
ハンナのお守りの腕輪……。
腕輪は、私の身を守るもの。だとしたら、腕輪が、私の身を守るために、力をセーブしている。
そうよ。この腕輪が、私のエネルギーを抑制しているんだわ。
私は、ハンナのお守りを左手首からバッと外した。
同時に、レオンが私の左手首を掴んだ。
「やめろ!」
私は、左手首を掴まれたまま、もう一度レオンの胸に向けて、エネルギーを解き放った。
レオンの顔が、突然、苦痛に歪んだ。
「うおぁあー」
呻き声を上げながら、掴んでいた私の左手を離した。
大丈夫よ。酷い病の場合に一時的に起こる苦痛、好転反応だわ。
これを乗り越えれば、治癒する。
私は、レオンの胸に直接左手を当てた。
行くわよ。全エネルギーを、注ぎ込むわ!
体中のエネルギーが急激に巡り始めるのを感じた。
凄まじいエネルギーが私の左手へと集まってくる。
レオンは、私を救ってくれた。やり直しの人生を、二度目の人生を私にくれた。
私は、レオンのためなら命を捨てられる。
レオンが宝剣を使ってまで叶えたかった願い。それが、何かは分からない。
でも、そうまでして叶えたかった願いを、レオンは、生きて叶えて!
「最後だから、告白するわ! 私は、レオン様に惚れました! 大好きです! だからお願い! 貴方は生きて!」
今よ!
私は、全身全霊を懸けて、一気にレオンの心臓へとエネルギーを注ぎ込んだ。
次の刹那ーー。
私の意識が暗闇へと落ちる瞬間、金色の眩いばかりの光を見た。
レオンの身体の上で、光の粒子が集まり、宝剣の形を浮かび上がらせた。
あの時の宝剣だわ。
とても綺麗……。
さようなら。そして、ありがとう。私の愛した人――レオン。
全身から力が抜けてゆく。私は、暗闇へと落ちていく。
最後に、「エミリー」と叫ぶレオンの声を聴いたような気がした。
エミリー、死んじゃうの? と思った方は★★★★★とブクマをお願いします!




