レオンとの別れ
屋敷に戻ると、レオンはいつも通りに我が家に上がり込んだ。
媚薬を使うチャンスだわ。
レオンと私が部屋に入ると、ハンナが出迎えてくれる。
「お帰りなさいませ。お茶を淹れて参ります」
私は、ハンナとすれ違いざま、媚薬を手渡す。
「ハンナ、媚薬を手に入れたわ。お願いね」
耳元で囁くと、ハンナはギョッとした顔をしながらも、ウインクした。
レオンは、いつも通りにソファに腰かけた。
「エミリー、肩を揉め」
えー。早速命令―。
「はい。レオン様」
私は、後ろからレオンの両肩に手を置いた。
「何をしている。こっちに来い」
レオンは、私の手をグイッと引っ張ると、膝の上に座らせた。
私を横向きにに抱きかかえる。
えーーー! 今、肩を揉めと……。
「ほら。何をしている?」
私の両手を、両肩に乗せた。
何で前から? 普通は背中からではないの? 私が間違ってるの?
それにしても、顔が近いわ。まともに見られない。
媚薬なんて使って、私、大丈夫? 大丈夫じゃないわ。
ハンナ、取消よ。やっぱり、無理よーーー!
私は、何とか手を動かし始めた。
暫く動かしていると、両手をレオンが掴んで下ろした。
レオンは、私の首輪を外し始めた。
え? なぜ外すの? もしかして、奴隷は今日でお終い?
私は、慌てて首輪を掴んだ。外させてはいけないわ。
「レオン様、これは、奴隷の証です。契約終了まで外すわけにはいきません」
レオンは、胸元から、スズランの花が三つ連なった金色のネックレスを、取り出した。
あのネックレスだわ。
「なぜ、そのネックレスを?」
「揺れを感じて、すぐにアクセサリー店へ行った。エミリーがどこに行ったか尋ねると、これを買えと老婆が。エミリーが気に入っていたと。その後、すぐに歌劇場だと教えてくれた」
お婆さん、すごいわ。ありがとう!
少し見ていただけなのに、私が気に入っていたと分かったのね。
それに、レオンを、歌劇場へと導いてくれた。
私は、奴隷の首輪からスッと手を離した。
レオンが、奴隷の首輪を外し、代わりにスズランのネックレスを着けてくれた。
あっ、でも、おねだりの機会がなくなったわ。一緒にまた出掛けられるかと思ったのに。
でも良いわ。とても素敵なネックレスだもの。
レオンからのプレゼント。というか、無理やり買わされたみたいだけど。嬉しいわ。
レオンが、ネックレスのスズランに触れた。
「よく似合っている」
「ありがとうございます。レオン様」
レオンは、奴隷の首輪を自分の首に着けた。
そうよね。もともとレオンの物だったもの。
ハンナがお茶を運んできた。
あっ、運んできちゃった。違うの、ハンナ、やっぱり中止よ。
ハンナは、紅茶カップをソーサーごと私の目の前に差し出した。
「お嬢様、どうぞレオン殿下に」
えーーー! そんなアシスト、今、要らないからーーー!
どうしよう……。でも、受け取らないと変に思われるわ。
私は、カップをソーサーごと手に取った。レオンに差し出す。
レオンは、カップを手にした。
「ハンナ、今日買ったチョコレートも出してくれ」
「はい。殿下。今日の紅茶は自信作です」
ハンナ、何が自信作よ。そんなこと、言わなくて良いからーーー!
「どう自信作なのだ?」
ほら。墓穴掘ったー。
「東の国の珍しい茶葉が手に入ったと旦那様が。とても芳醇な香りです」
レオンは、香りを嗅いだ。
「確かに、良い香りだ」
頷くと、紅茶を口に運んだ。
飲んだーーー!
私は、レオンの顔をついじーっと見つめた。
「エミリー、どうした?」
「いえ、何でもありません!」
慌てて視線を逸らした。
レオンは、カップを、私の持つソーサーの上に置いた。
「媚薬に似た味がする」
ドッキーン! バレた?
私の手の震えから、カップがカタカタと音を立て始めた。
「エミリー、具合でも悪いのか?」
レオンが私の顔を覗き込む。
「いえ、何でもありません!」
ハンナが私の手から、カップをソーサーごと、すかさず取り上げた。
レオンに尋ねる。
「媚薬……ですか? どういった物なのです?」
ハンナ、心臓強すぎるわ。この状況で、皇太子相手にすっとぼけて、聞き返したー。
「男を惑わし、その気にさせる薬だ」
「媚薬を飲まれたことが、あるのですか?」
「皇族の子をもうけようと近づいて来る女がいる。媚薬でそのような子をもうけないよう、皇族は、訓練されている」
そうなのーーー!? 知らなかったわ。媚薬はレオンに効かないのね。
「東の国の茶葉が、似た味なのかも知れませんね」
ハンナは、しれッと答えた。
誤魔化し方が天才的だわ。卑怯者の鏡はハンナよ。ハンナこそ、その称号に相応しい。
それに、バレた時のために、東の茶葉だと最初から嘘を吐いてたのよ。
何てズル賢いの。尊敬の眼差しが止まらないわ。
「殿下、いつもの紅茶も用意してありますので、こちらに置いておきます」
ハンナは、いつもの紅茶をテーブルに置くと、媚薬入りの紅茶を手に、そそくさと出て行った。
すごいわ、ハンナ。
「エミリー」
レオンが、私の髪を掻き上げた。直後に私を抱き寄せる。
え? 媚薬が効いてるーーー?
「会うのは、これで最後だ。楽しかった」
何で……。どうして……。頭の中が真っ白になる。
「嫌です! 私もカルドランに行きます! まだ奴隷の期限は終了していません。奴隷としてカルドランで仕えます!」
レオンが、切なそうに私を見つめる。
私、今、何て言った……? 焦りのあまり、カルドランへ行くとか言っちゃった? これでは、告白と同じ?
このままでは、金貨一万枚……。言い訳しなきゃ。
「契約は約束事です。ですから、約束は最後まで果たそうと。我が家の家訓です」
お父様、ごめんなさい。我が家の家訓を、勝手に娘が創りました。
レオンは、私をふわりと横に抱きかかえると、床に立たせた。
胸元から奴隷契約書を取り出すと、テーブルの上に、そっと置いた。
レオンが、辛そうな瞳で私を引き寄せる。ギュッと強く抱き締めた。
「もう二度と会うことはない。アンドレと幸せになれ」
そんな……。最初から、今日で最後にするつもりだったんだわ。
奴隷契約は、今日で終わり……。
レオンの温もりから感じられる強い意志。何を言っても、レオンを引き留めることはできないのね……。
私が、カルドランへ行くことも、望んではいない……。
レオンは、そのまま私を振り向きもせず、扉に手を掛けた。
レオンの後ろ姿が、扉の向こうへと消えて行った。
私は、その場に座り込んだ。
そう……よね。相手は、カルドランの皇太子よ。
私なんかを相手にする訳がない。
退屈しのぎの、ほんのお遊びだったんだわ。
それなのに、私、本気になって、バカみたい。
ハンナが、チョコレートの皿を手に持って、部屋に戻って来た。
「お嬢様! どうされました!」
「レオンが、今日で最後だって。見事に振られたわ……」
ハンナは、テーブルにチョコレートを置くと、私をソファに座らせた。
「お嬢様の好きな、チョコレートです。レオン殿下は、随分沢山買って下さったのですね」
「店にあるチョコレートを全部って、レオンが」
「お嬢様、食べましょう」
私は、チョコレートを一つ手に取ると、口に運んだ。
口に広がる甘さとは裏腹に、自然と涙が溢れてきた。
レオンのバカ―――!
私は、涙を拭いながら、チョコレートを食べ続けた。
えー、本当にこのまま別れちゃうの?と思った方は★★★★★ブクマをお願いします!




