レオンとのお出掛け①
翌日。
レオンの馬車が、屋敷前に停まった。
私は、屋敷を飛び出すと、レオンに駆け寄った。
「レオン様、おはようございます!」
レオンの顔を見られるのは、もう何日もない。
しっかり瞳に焼き付けて、いつでも思い出せるようにしたい。
レオンが、不思議そうに首を傾げる。直後に微笑んだ。
「やけに元気だな。おねだりの準備はできているようだ」
「はい。勿論です!」
「パトリックの隣に乗れ。命令だ」
え? パトリックの?
パトリックは、御者として御者台に座っている。
御者台なんて、子供の頃お父様に乗せてもらって以来よ。
はしたないわ……。でも、命令なら仕方ない。
「はい。レオン様」
私が、御者台に座ると、レオンが私の隣に座った。
良かったわ。レオンも一緒なのね。
「では、エミリー様、お願いしますね」
パトリックは、手綱を私に渡すと、御者台を下りた。
なぜかパトリックが馬車に乗り込む。
えーーー! 私が馬を走らせるの? やったことないわ。
「エミリー、出発だ。両手で軽く手綱を打ち付けろ」
私は、手綱を波立たせた。でも、馬は動かない。
「弱すぎる。今のでは、馬は撫でられたようなものだ。もう少し強く」
レオンの言葉で、私は少し強く手綱を打ち付けた。
馬が歩き出した。
「やったわ! 見ました? 馬が私の言うことを聞いてくれました!」
「走らせるぞ。もう一度、さっきより強く打ち付けろ」
「はい。レオン様!」
私は、張り切って、言われた通りにした。
すると、馬が走り出した。
「きゃー! 凄いわ! 馬が走ってます!」
気分爽快だった。
私が、馬を操っている。初めての体験だった。
できないことなど、この世にない気がした。
「右へ曲がれ」
え?
レオンの言葉に、私は一瞬戸惑った。
「どうやるのです?」
そうよ。道は一本道ではないわ。曲がり方なんて知らない。
「右側の手綱だけを引け。馬の顔が右を向くように」
私は、言われた通り、右側の手綱を引いた。
すると、馬が顔の向いた右の道に入って行った。
「すごいわ! 顔が向いたほうに進むのですね!」
「あぁ。指示しなければ、馬の気分で曲がって行く」
思い通りに馬が言うことを聞いてくれる。何て楽しいの!
頬を撫でる風も心地よいわ。見慣れた道も、いつもより色付いて見える。
そうよ。私は男爵令嬢よ。どうせバカにされるんだもの。はしたないなんて言ってないで、楽しそうなことは、やれば良いんだわ。
「エミリー、やりたいことは何でもできる。忘れるな」
乗馬も、川での鮎の仕留め方も、馬車の走らせ方も、レオンは教えてくれているのかも知れない。型にはまらず、好きなことをして生きて行けば良いと。
「はい! レオン様、ありがとうございます!」
街が見えてきた。
「エミリー、停まる時には、両手で手綱を引け」
私は、言われた通りに手綱を引いた。
馬は、見事に停止した。やったわ! 街までちゃんと馬車を走らせた。
「良くやった」
レオンは私の頭を撫でた。
自分が先に御者台から降りると、私をヒョイと持ち上げた。
キャー、行き交う人々が見ているわ。
ただでさえ、目立つ超絶イケメンに、周囲の視線が集中している。
私を御者台から降ろすと、微笑んだ。
「おねだりの時間だ。何が欲しい?」
え? そうだ……。欲しい物。何も考えてなかったわ。
とりあえず、そうだわ!
「レオン様、チョコレートを買いましょう!」
「チョコレートがおねだりなのか?」
「違います。おねだりは、それ相応な物です。チョコレートは前菜のような物ですわ」
レオンが、フッと微笑んだ。
「全く、奴隷を甘やかすと、これだ」
レオンは、私の手を握ると、歩き出した。
私は、半歩後ろをついて歩く。
斜め後ろからのレオンの姿。レオンの手の温もり……。忘れないわ。
ふいに、涙が溢れそうになる。私は、零れ落ちないように、上を向いた。
綺麗な空―。水色の水彩画のようだわ。所々、薄い白を広げたみたい。雲がたなびいている。
立ち止まった私を、レオンが振り返った。
私の視線を追うように、上を向いた。
「レオン様、綺麗な空です。空は、カルドランへも繋がっていますよね」
「当然だ」
レオンは、不思議そうに私を見つめる。
きっと、空を見上げる度に、レオンを思い出す。
レオンも同じ空の下にいると、思えるわ。
「行きましょう。レオン様。チョコレートが私を呼んでいます」
私は、レオンの手を引き、歩き出した。
「全く。エミリーを呼ぶチョコレートとは。見物だ」
私たちは、一軒のチョコレート専門店のドアを開けた。
棚に、色とりどりのチョコレートがずらりと並んでいる。
「わぁー。レオン様、どれも美味しそうです」
「ここに在る物を全部くれ」
レオンの言葉に、店員が目を剝いている。
はい? 今、全部と言った?
「レオン様、全部でなくて大丈夫です。選ぶのも楽しみの一つですから」
「面倒だ」
一言で済ませたーーー。
店員が笑顔で答える。
「かしこまりました。すぐに、お包み致します」
店員さん、この機を逃がすものかという気持ちは分かるけどー。
動きが機敏すぎるからー。
「後で、そこの馬車に届けてくれ。パトリックという者が代金を払う」
「はい。ありがとうございます」
店員は丁寧に頭を下げた。
レオンは、私を連れて店を出た。
「おねだりと言えば、やはり宝石か」
独り言を呟いた後、向かいのアクセサリー店へ向かった。
宝石? また店の物を全部と言われたら困るわ。おねだりにも程がある。
でも、おねだりと言えばアクセサーだと、レオンは思っているのよね。
私は、斜め向かいのカフェが目に留まった。
「レオン様、私は、欲しいアクセサリーを選んできます。時間がかかると思うので、そこのカフェでお茶をしてて下さい」
「選ぶ必要はない」
やっぱり、全部って言うつもりだったー。
「女性は選ぶのが楽しいのです。その楽しみを奪ってはいけませんわ」
レオンは、首を捻った。そうなのか?とでも言いたげな顔だ。
「では、お茶をしている。決まったら呼びに来い」
レオンは、カフェに入って行った。
良かったわ。これで普通のおねだりができそう。
私は、アクセサリー店に入った。
棚に並んでいるネックレスに目が留まった。
その中に、スズランの花が三つ連なった金色のネックレスがあった。
可愛いわ。
でも、どうせなら、レオンとお揃いの物が欲しいわ。
私を思い出してくれるかも知れない。
店の中を見渡すと、普通のアクセサリー店とは、雰囲気が少し違った。
何ていうか、呪術的な匂いがする。
店員の老婆が、私の腕輪を見て、声を掛けてきた。
「珍しいお守りだね。本当の意味で、お嬢さんの身を守ってくれるものじゃ。お嬢さんが、エネルギーを使い過ぎないように、制御してくれておる。その逆に働く時もあるようじゃ」
ん? どういう意味? さっぱり分からないわ。
「殿方とお揃いで身に着けられる物は、ありますか?」
「お嬢さんには、これが良いね」
老婆は、店の奥から、液体の入った小さな瓶を持ってきた。
「これは?」
アクセサリーをお願いしたのに……。
「媚薬じゃ。お嬢さんには、揃いで身に着けられる物より、媚薬のほうが役に立つ」
媚薬……。本当にそんな物があるの?
これを、ハンナの言う通りレオンに飲ませれば、もしかしたら……。
ダメよ。人としてやってはいけないことがあるわ。言語道断。人の道を外れるわ。
「おいくらですか?」
私は、思わず値段を聞いていた。
だって、諦めかけていた願いが叶うかも知れないのよ。聞かずにはいられないわ。
効果がなくても、試してみるべきだわ。
「お嬢さんは、今まで多くの命を救ってきたようじゃ。お代は要らないよ。持っておいき。今度は、愛する殿方と幸せになりなさい」
嘘ッ……。このお婆さん、普通の人じゃないわ。全部、お見通しって感じだ。
「ありがとうございます!」
私は、腰の内側に巻き留めてある小さなポケットに、小瓶をサッと隠し入れた。
その時だった。
僅かに、地面が揺れた。
え? 何? 神様がもうお怒りに?
老婆が口を開いた。
「すぐにもっと大きな揺れが来るよ」
私は、老婆の言葉でハッとした。
「お婆さん、店にいては危ないわ。奥の部屋で、物が倒れて来ない所にいて下さい」
「お嬢さんは、どこへ行くんだい?」
「私は、歌劇場へ」
「気を付けるんだよ」
老婆は、店の奥へと消えて行った。
あの時の地震だわ……。
大きな地震で歌劇場が崩壊した。私は呼び出され、多くの人の治療に当たった。五歳くらいの女の子の治療を行っていた最中だった。私は、自分のエネルギーを使い果たし、倒れた。
四日後にようやく意識を取り戻したけれど、危うく私が死にかけたと聞かされた。治療には、それ相応の危険が伴うと、初めて知った。
目覚めてすぐに、あの女の子はどうなったのか尋ねた。残念だけど、助からなかったとの答えだった。
あの時の女の子。今でもはっきり覚えている。
ツインテールの髪に、クリクリとした翡翠色の瞳だった。
「お姉ちゃん、私、死ぬの?……」
女の子が、私のスカートを小さな手で掴んだ。
「大丈夫よ。死んだりしないわ。私が必ず助けるから。だって私、聖女なのよ。どんな病気も怪我も、すぐに治せてしまうの」
「そっか。お姉ちゃんは聖女様……。ありがとう」
女の子は、そのまま目を閉じた。
「次に目を開けた時には、すっかり元通りよ」
そう約束して治療を始めたのに……。
本当に、元通りに元気になるはずだった。
私が倒れなければ、助けられた命。
今なら間に合うわ。あの時、助けられなかった命。救ってみせる。
私は、店を飛び出した。
頑張れエミリー。と思った方は★★★★★とブクマをお願いします!




