アンドレの暴走
「殿下、上着をマルクの頭に掛けて下さい!」
アンドレは、一瞬、驚いた様子を見せた。直後に上着を脱ぎ、マルクの頭に素早く掛けた。
私は、マルクの頭と上着の間に、左手を差し入れた。まずは、頭の出血を止めなきゃ。
上着で隠しながら、マルクの怪我の近くに左手を翳す。
ポワァと白い光が広がった。
血が止まったわ。次は上半身よ。
私は、上着を胸の辺りにズラすと、同様に手当てをしていった。
こうして、マルクの全身を全て治癒させた。
あの頃より、聖女の力が弱まっている気がするわ。何かに力を抑制されてるみたいに……。久しぶりだからかしら……。
その時、マルクがパチッと目を開けた。ムクっと上半身を起こす。
周囲をキョロキョロ見渡している。
「あれ? 何で?」
「三階から落ちたのよ」
私の言葉に、マルクは目を剝いた。校舎を見上げる。
「そうだ……。僕、あそこから落ちて。え?」
ちょうどマルクの友人たちが、駆け付けて来た。
「マルク、大丈夫か!」
マルクは、立ち上がると、自分の身体を確認している。ついには、飛び跳ねている。
「何ともない……」
「マルクは、不死身ね。三階から落ちて掠り傷一つないなんて」
私の言葉に、友人たちが「おーーー!」とどよめいた。
『すごいな、マルク』
『驚かせるなよ。死んだと思った』
マルクは友人たちと共に、その場から遠くなって行った。
私は、ホッと胸を撫で下ろした。良かったわ。
何とか聖女であることがバレずに、治せたわ。
三階から落ちて無傷なんて、奇跡みたいだけど。
アンドレにも、聖女であることは、バレてないはずよ。
私は立ち上がると、アンドレに上着を差し出した。
「殿下、ありがとうございました」
アンドレは、上着をバッと掴むと、険しい瞳で私を見据えた。
え? 何この感じ。もしかしてバレたの?
いくら何でも無傷はやりすぎだった……? せめて、どこか一カ所ぐらい、骨折を残しておくべきだった?
アンドレは、荒々しく私の手を掴んだ。
「来て」
その後は無言で、私を、校舎の最上階まで連れて上がった。
ここは、レオンの視察用の部屋の隣だわ。
アンドレは、その部屋に私を引っ張り込んだ。
「安心して。ここは王家専用の部屋。今は僕しか使っていない」
私の手を引いたまま、丸いテーブルの椅子に座らせた。
視察用の部屋と良く似ているわ。
紺色のキャビネット類に、窓辺には、豪華な花が飾られている。
ベッドもしっかり完備されている。
視察用の部屋の隣が、王家専用の部屋だったなんて、知らなかったわ。
アンドレは、私の後ろに立った。左肩に手を置く。
「この部屋は、王家の者以外、立ち入りできない。だけど、絶対に他の者に聞かれる訳にはいかない。だから、連れて来た」
何だか、怖いわ……。
でも、大丈夫よ。きっとバレてないわ。だって、上着でちゃんと隠したし、見られていないはずよ。
次の瞬間。
アンドレが、私の左腕を掴んだ。
「君の弱みはここにある」
腕輪をバッと勢い良く外した。
聖女の印が、青く美しい百合の印が、顕わになった。
嘘でしょ……。バレてた……。どうしよう……。
「僕が気付かないとでも? 地面には血が残っていた。あの高さから落ちて無傷など有り得ない」
私は、咄嗟に立ち上がった。
「殿下、どうか、お許し下さい!」
「なぜ、黙っていた?」
「私には、聖女であることが重荷なのです。私の願いを殿下もご存じでしょう? どうか、見なかったことに。お願い致します!」
私は、深く頭を下げた。
バレた以上、アンドレに黙っていてもらう以外、方法がない。
「誰かに愛され、誰かを愛し、子供を産んで幸せに暮らす人生……か」
「はい。殿下、どうか、私の願いをお聞き入れ下さい」
「聖女は、王家に嫁ぐ決まりだ。知ってるだろう?」
「はい。ですが、私は聖女として生きたくはないのです」
アンドレは、私の左手をスッと取ると、腕輪を填めてくれた。
「聖女であることは、このまま隠すと良い」
え? 本当に? 黙っていてくれるの……?
「殿下、ありがとうございます」
私は、さらに深く頭を下げた。
良かったわ。こんなことなら、アンドレには、必死に隠さなくても良かったのね。
アンドレも私との婚約を望んでいない。王妃にしたくないんだわ。
なぜ気付かなかったのかしら。前世でも、アンドレに嫌われていたのに。
「エミリー、君に正式に婚約を申し込むつもりだ」
はい? 今、婚約と言った? なぜ、そうなるの? 黙っていてくれると言ったのに。
「殿下、私が聖女であることを黙っていて下さるのでは、ないのですか?」
「勿論、誰にも言うつもりはない。僕は、聖女ではないエミリーに、婚約を申し込む。僕の気持ちを分かって欲しい」
何ですって……。聖女ではない私と婚約……。意味が分からないわ。
「殿下、なぜ、そのようなことを仰るのですか?」
「君は、未来の王妃に相応しい。自らを犠牲にし、僕やラシェルの命を救った。勉学では学年トップだ」
私を誤解してる。何とかしなきゃ。
「殿下、命を救ったのは自分のためです。後で、助けなかったことを後悔したくなかっただけです。ただの私のエゴなのです。それに、勉学は、ずっと学年ビリでした。それが私の実力です」
「そういう謙虚なところも、王妃に相応しい」
何でそうなるの?
私は、足元から崩れ落ちそうな感覚に襲われた。
アンドレから、我が家に正式に婚約の申し込みがあれば、絶対に断れない。断れば、王室を侮辱した罪、不敬罪だ。
私だけじゃない。お父様もお母様も罪に問われる。死罪だって有り得るわ。
「殿下、私は男爵家の娘です。殿下の婚約者など、とても務まりません。私は、男爵家の娘として、身分相応に普通の暮らしがしたいのです」
「身分など、どうでも良い。僕が君を婚約者にと望んでいる。君は僕の隣こそ、相応しい」
アンドレは、私に一歩近づいた。私の髪にスッと右手で触れた。
「君は、聖女として僕の婚約者になってはならない。これは王家の秘密だが、君には打ち明けよう。男女の交わりで、聖女は力を失う。聖女として君を妃に迎えれば、僕は、君に触れられなくなる。それは、耐えられない。君が聖女であることは、絶対に隠すんだ。分かったかい?」
真剣な視線が、私の瞳に向けられた。
アンドレには、本当に前世の記憶がないの?
それとも、何か企みがあるの?
「殿下、お待ちください。私は」
アンドレは、私の言葉を遮った。
「いや、安心できないな。今日のようなことがまた起きれば、君は誰かを助けるために、聖女の力を必ず使ってしまう」
困ったように私を見つめた。
「そんなつもりではなかったが、仕方がない」
アンドレは、私を引き寄せると、横にフワリと抱きかかられた。
きゃーーー! な、何? 何する気?
「殿下、何をなさるのです? 下ろしてください」
私は、そのままベッドに押し倒された。
こ、これは、まさか……。
「君は、聖女であることを理由に、レオンに脅されていた。そうだろ? エミリー、僕が君を抱けば、君は聖女ではなくなる。これで君の弱みはなくなり、レオンからも解放される。僕たちは、君の希望通り、愛し愛され、子供をもうけて幸せになれる」
アンドレが、私の両手を、抑え込んだ。
首筋に、アンドレの唇が触れた。
嘘でしょ……。
「殿下、おやめください!」
「エミリー、君はとても美しい。レオンには、絶対に渡さない」
アンドレの瞳が、雰囲気が、いつもとは別人のようだ。
絶対に私を離すつもりはない。そんな強い意志が感じられた。
アンドレの唇が、私の唇へと降りて来る。
嫌……。ファーストキスも初めての相手も、愛する人でなきゃ、レオンでなきゃ、嫌よ!
「レオン様! 助けて!」
エミリー、どうなっちゃうの? と思った方は★★★★★とブクマをお願いします!




