王太子アンドレとの再会
私は、咄嗟にドアに背を向けた。聖女の印を隠すように、リボンを左手首に巻いた。けど、片手では上手く結び目が作れない。
ハンナは、入って来るなり、怪訝な顔を声で私に話し掛ける。
「エミリーお嬢様、何かあったのですか? 様子が変ですが……」
私は、振り返り、左手を後ろにサッと隠した。
「何でもないわ」
ハンナの視線が、私の手首から垂れるリボンに向けられた。
ダメだわ。リボンが長すぎて隠し切れない。
「お嬢様、なぜリボンを手首に? まさか、お怪我をなさったのですか?」
ハンナの手が、私の左手に伸びてくる。
私は、一歩、後退った。
こうなったら、甘えんぼ作戦発動よ。
「違うの。可愛いかなと思って巻いてみたけど、蝶々結びができなくて。ハンナ、結んで」
ハンナは、少し間をおくと、パッと顔を輝かせた。
「明日の夜会ですね。手首にリボンは斬新です! 凄く素敵! 王太子様の目に留まるかも!」
夜会……?
そうだ。聖女の印が現れた翌日は、王太子主催の夜会が開かれた日だった。
ハンナは、私の左手首のリボンを結ぼうとして、手を止めた。
「お嬢様、左右でリボンの長さが違います。一度解いて、結び直しますね」
それはダメ! 見つかっちゃう!
「良いの!」
私は、咄嗟に手を引っ込めた。
ハンナは、驚いた顔で私を見ている。
何か言い訳しなきゃ。
「左右違う長さのほうが、可愛いわ」
「……分かりました。では、このまま結びますね」
ハンナは、腑に落ちない顔をしながらも、そのまま蝶々結びをしてくれた。
良かったわ。バレずに済んだ。
夜会だなんて……。王太子アンドレには関わりたくない。もし、聖女の印がバレたら、お終いよ。
「ハンナ……。明日の夜会は欠席するわ」
「なぜです? あれ程楽しみになさっていたのに」
前世の私は、確かに浮かれていた。王太子様に見初められるかもと。
聖女の印が現れた後は、どうやってこの事実を知ってもらうかに心を砕いた。王太子様の前で、誰かを治癒するのが一番印象的よね、などと考えた。本当にバカだったわ。
「体調が優れないの」
「すぐにお薬をお持ちします。お休みになっててください」
私は、ハンナに促され、ベッドに横になった。
「お嬢様、早く治さないと。明日の夜会の欠席は難しいのでは? 事実上、王太子様の婚約者選びの夜会です。旦那様は必ず出席されるようにと」
そうだった……。どれほど体調が悪くても、出席させられる。
そうだわ。とても怖くて嫌だけど、これしか方法がない。
「ハンナ。蝋燭に火を灯して持って来てくれる? 落ち着いて眠れると思うの。きっと体調も良くなるわ。それと、お水を多めに用意してくれる?」
「はい。薬と一緒にお持ちしますね」
ハンナは、急ぎ足で部屋を出て行った。
聖女の印さえなくなれば良い。今度こそ、私は誰かに愛され、子供を産んで幸せに暮らす。皆が普通に手に入れている幸せを、私も手に入れるわ。
ハンナは戻ってくると、サイドテーブルに、薬と水の入ったグラス、火の灯った蝋燭を置いた。
「お嬢様、薬を飲みましょう」
「大丈夫よ。自分で飲めるわ。少し一人になって眠りたいの」
「分かりました。では、ゆっくり休んでくださいね」
ハンナは、部屋を後にした。
私は、ゆっくりと起き上がった。ベッドに腰かけると、揺らめく蝋燭の炎を見つめた。
やらなきゃ……。聖女の印を火で消すのよ!
私は、震える手で蝋燭を掴んだ。
聖女の印に近づける。熱が肌へと伝わってくる。
痛みは一瞬よ。頑張れ、私!
炎を手首に一気に当てようとした瞬間、ガチャッとドアが開いた。
振り返ると、ハンナが水の入ったタンブラーを手に、入って来た。
「お水を多めにと言われていたのを、忘れてました」
ハンナは、私を見ると、目を見開いた。
「お嬢様! 何をなさっているのです!」
ハンナが、タンブラーを放り出して、駆け寄って来た。
バレる! 早くしなきゃ。私は、蝋燭の炎を聖女の印に当てた。強烈な熱さと痛みが手首に走った。
蝋燭を持つ私の手を、ハンナが掴んだ。
「お嬢様!」
ハンナが、蝋燭を取り上げようとして、揉み合いになった。
「熱ッ!」
ハンナが、顔を顰める。
見ると、ハンナの手の甲が火傷をしていた。
「ハンナ!」
私は、咄嗟にハンナの火傷に手を翳した。
ポワァと白い光が広がると、見る見る火傷の跡が消えていく。
ハンナは、驚愕の顔で、その場に座り込んだ。
「お嬢様。今のは……? 綺麗に治ってる……。もう痛くないです」
私は、ハッと自分の左手首を見た。
火傷の跡がない。痛みは確かに感じた。聖女の印は消え、醜い火傷の跡が残っているはずなのに。美しく青い百合の印は、元の姿のまま、そこにあった。
なぜ? 聖女は、自分の身体だけは治せないはずよ。
どうして……。消せないの……?
抗えない運命だと、教えているの?
「お嬢様。聖女の印が……」
ハンナの震える声に、私は我に返った。思わずハンナの両肩を強く掴んだ。
「ハンナ、お願い。私の話を聞いて」
話を全て聞いたハンナの目に、涙が浮かんだ。
「お嬢様、辛い思いをされたのですね」
ハンナが、私を抱き締めてくれた。
「信じて……くれるの?」
ハンナは、涙を拭いながら、笑顔を作る。
「もちろんです。お嬢様が夜会を欠席したいなんて、おかしいです。お嬢様なら、這ってでも行こうとするはずです。それに、聖女の印が現れたら、狂喜乱舞するはずですから」
私って、そんな風に思われていたのね。確かに、前世では、狂喜乱舞したわ……。踊り狂った。
「安心してください。私は決して誰にも言いません。とにかく、手首を隠さないと」
そうだわ。これからは、聖女の印を隠して生活しないと。
「暫く白い布を巻いて、怪我をしてる振りをするわ」
「それはダメです。旦那様も奥様も心配なさって、必ず見せてと言います。医師を呼ばれてしまいます」
そうだったー。両親は、私を溺愛してる。
ハンナは、先程の白いリボンを手に取ると、私の手首に巻き留め始めた。
「とりあえず、今日はこれで隠しましょう」
「でも、リボンなんか巻いて、皆に頭がおかしいと思われないかしら?」
「大丈夫です。例えば」
ハンナはコホンと咳払いをすると、なぜか私の物真似を始めた。
「どう? 明日の夜会では、手首にリボンを巻こうと思うの。素敵でしょ? キャハハハハ」
物真似の精度が、半端なく高いわ。ハンナ、なかなかやるじゃない。
「お嬢様は、明日の夜会で浮かれていると、皆、思いますから」
なるほどね。私って、そういう子だったわ。
バカだけど、屈託なく笑い、天真爛漫だった。
王宮暮らしで忘れていた。
男爵令嬢だとバカにされないように、アンドレに認められるように、必死で自分を押し殺していた。
私は、王妃であり、聖女であることに縛られ、徐々に笑顔を失っていったのね。
せっかくやり直せるんだもの。今度は私らしく過ごそう!
聖女の印を消そうと痛い思いをしたけど、ハンナにバレて、かえって良かったのかも。今後のことを考えると、きっと、一人じゃ隠し切れなかったわ。
「ありがとう、ハンナ!」
私は、ハンナに抱きついた。
こうして翌日、夜会の日を迎えた。
私は、真っ赤なフリフリのドレスを前に絶句した。
何、このドレス……。派手過ぎる。品の欠片もない……。一体だれがこんなドレスを選んだの!って、私だよ! 前世の私、バカすぎる。
五年間の王宮暮らしで、私には、それなりに物を見る目が養われたようだ。
このドレスは、悪趣味すぎる。
ハンナは、苦渋の顔を私に向ける。
「お嬢様、今日は、なるべく地味に目立たないように……。努力はしますね」
報われない努力をさせて申し訳ないわ。
悪目立ち選手権があれば、間違いなくぶっちぎりで優勝だもの。
それでもハンナは、化粧を薄めにし、ハーフアップの髪に私のお気に入りのスズランの髪飾りを付けてくれた。
ハンナは、私の全身を眺めると、う~んと唸った。
「やっぱり、ドレスと化粧が合いませんね」
派手なドレスに薄化粧だもの。仕方がないわ。
「いいのよ。今日はチグハグなくらいでちょうど良いわ」
「ダメです。成り上がりの男爵令嬢は、センスがないとバカにされるかも知れません」
今、サラっと悪口言ったよね。確かに、我がアヴェーヌ家は、貿易で富を築いて爵位を貰った。正真正銘の「ザ・成り上がり」だけど。
ハンナは、少し濃いめの口紅を引くと、納得の顔で頷いた。
最後に、ドレスと同じ赤いサテンのリボンを手に取った。
「大丈夫です。しっかり隠しますから」
ハンナは、リボンを私の左手首に巻き留めた。手首から靡くリボンの足は、膝下ほどもある。手を動かすと、優雅に揺れて綺麗だわ。
「やっぱり素敵です。共布のリボンなら、ドレスと一体化して素敵だろうなって思ったんです」
最後に、ハンナは私に真剣な眼差しを向けた。
「今日は、何があっても王太子様に近づいてはなりません。エミリーお嬢様は美しいのですから、万一、見初められでもしたら終わりです。今日は、壁の華に徹してください」
「そうするわ。ありがとう、ハンナ」
私は、笑顔とは裏腹に、憂鬱な気分で部屋を出た。
王宮の大広間に入ると、懐かしささえ感じる眩しさだった。
シャンデリアに反射する光と参加者の煌びやかな衣装が、光の洪水のように渦巻いている。
まだアンドレは現れていないようね。
賑わう大広間から、私は、そっと抜け出した。
ハンナは、壁の華に徹するようにと言っていたけど、壁の華もこのドレスだと目立つわ。
中庭に出ると、私はお気に入りの場所へと向かった。
そこは、大好きな真っ白いスズランが一面に咲き誇る場所。
王宮暮らしで、何かあると、私はここへ来た。スズランを見ていると、その愛らしさに心が和んだ。
その時、後ろでザッと足音が聞こえた。
振り返ると、そこには、王太子アンドレが立っていた……。
サラサラの銀色の髪を靡かせながら、美しいブルーの瞳を私に向けている。
アンドレが、なぜ、ここへ……。
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