気が付くと、時が巻き戻っていた
処刑台に立つ私を、今、貴方――アンドレはどんな顔で見ているだろう。
きっと、微笑んでいるはず。だって、国王となったアンドレが、私をこの場所に立たせたのだから。
聖女であるがゆえに、王太子アンドレの婚約者となった。
聖女であるがゆえに、王太子アンドレに愛されることはなかった。
王室だけが知っていた聖女についての秘密。処女を失えば、聖女の癒しの能力も失われる。
私が知ったのは、アンドレとの結婚の儀を終えた後だったわね。
「生涯、君に触れるつもりはない」
言葉通り、アンドレは、私に一度も触れることはなかった。
私は、人の傷を癒し、病気を治すためだけの、道具でしかなかった。
なのに、アンドレの寵愛を受けた側室の病を治せと? お腹の子を救えと?
「残念ながら私には治せません。私は聖女の力を失いました」
私は嘘を吐いた。
壊れていく私の心は、聖女の力を使わないことを望んだ。
治療を拒否し続ける私の嘘を、アンドレは見抜いていたはず。けれど、アンドレは私に冷たい眼差しを向けた。
「では、用済みだな」
私は、アンドレ、貴方に触れて欲しかった。聖女としてではなく、女として愛されたかった。ただ、それだけだった。
側室は何とか一命を取り留めた。けれど、お腹の子は亡くなった。私は、王家の子を死なせた罪で、死罪を言い渡された。
聖女でなければ、アンドレに愛されただろうか……。
いいえ、聖女でなければ、アンドレと出会うこともなかった。男爵令嬢だった私が、王太子の婚約者となり、王妃となることはなかったでしょう。
今は、ただ、左手首に現れた聖女の印が憎くて堪らない。あれ程誇らしかった、青く美しい百合の印など、消えてしまえばいい。
この願いは、私の命が消えるのと同時に、叶うわね。
振り返ると、鉄仮面を被ったアンドレが、ゆっくりと歩み寄って来る。
「ギロチンではなく、アンドレ、貴方の手で私の命を散らして欲しい」
私の最後の願いを、叶えてくれるのね。
アンドレが、金色に輝く剣を高々と掲げた。剣の中央には、鮮血のような真っ赤な宝石が填め込まれていた。私の命を奪う剣だもの。美しい剣を選んでくれたのね。
最後にアンドレ、貴方の顔を見たかったけれど、残念だわ。
次の瞬間。
私は、胸に鋭い痛みを感じた。
私の胸に突き立てられた剣が、キラキラと輝き始めた。真っ赤な宝石から、光の粒が一斉に放たれたようで、とても綺麗……。光の渦が、まるで私とアンドレを包み込むようだわ。
さようなら。もう二度と、聖女など御免だわ。
瞼の裏にうっすらと光を感じる。
ここはどこ?
目を開けると、見覚えのある天蓋のレースが……。
ここって、私の部屋!?
私は、ガバッと上半身を起こした。
赤茶色で統一された猫脚のキャビネット類、縦長の鏡……男爵家の私の部屋だわ。
どういうこと? 私はたった今、処刑されたはずよ。
私は、慌てて縦長の鏡の前に立った。
ロイヤルミルクティー色の長い髪。エメラルド色の瞳。私だわ。まだ若い。十六か十七歳?
もしかして、時が巻き戻ったの?
そうだわ……聖女の印!
私は、恐る恐る自分の左手首を見た。
聖女の印がない……。良かったわ。
と思った瞬間、青い百合の印が浮かび上がって来た。
嘘でしょ……。どうしよう……。
私は、聖女の印を必死で擦った。
お願い! どうか、現れないで! 消えて!
けれど、私を嘲笑うかのように、青く美しい百合の印は、クッキリとその紋様を表した。
私は、全身から力が抜けるのを感じた。その場にへたり込む。
どうして……。あんな思いは二度としたくないのに。
自然と涙が溢れてくる。
今日は、七年前のあの日だわ。私に聖女の印が現れて、狂喜乱舞した十七歳のあの日。
無邪気にも、聖女の力を、すぐに試したがったわね。身近に怪我人も病気の人もいなくて、がっかりしたのを覚えているわ。
百年に一度現れる聖女は、王太子の婚約者となる決まりだった。この国の法典に記されている。
お父様もお母様も、まさか一人娘の私が聖女だなんて。と、大喜びだった。
夜には、皆から盛大に祝福もされた。
あんな未来が待っているとも知らずに。
その時、ノックの音と共に侍女のハンナの声が聞こえた。
「エミリーお嬢様、お目覚めですか?」
どうしよう。聖女の印が見つかってしまう……。
ハンナとは幼い頃から姉妹のように育った。一つ年上のハンナは、私にとって姉のような存在。けれど、こんな話、信じてもらえない。
見つかれば、また同じ運命を辿る。
その時、キャビネットの上の白いリボンが目に留まった。
あれだわ!
私は、素早くリボンを手に取った。
ガチャッと、扉を開ける音がした。
「お嬢様、入りますね」
見つかる!
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