殿下、私と結婚いたしましょう(ハンマーを構えながら)
「殿下、ごきげんよう。先ほど妃殿下にお会いしました。皆さん私達の結婚を心待ちにされてましたよ。期日を伸ばしに伸ばして、何故予定を定めてはくださらないのですか?」
この国の王子キヤトが、窓から入り込む心地のいい風に短い銀髪を揺らし茶を嗜んでいる時のことだ。
相も変わらずその訪問客―――キヤトの婚約者である令嬢ローズは、片手にハンマーを握りしめ、殺意満々の形相で現れた。
キヤトの顔から一瞬で血の気が引く。
「い、嫌だぁ!! 殺される!!」
彼は情けない声を上げて窓から飛び出していった。ここは一階だ。高さ的には何の問題もない。
ローズもそれを追い、ひらりと窓を飛び越えた。
「お、お前私を殺す気だろ!? そんな奴と誰が結婚するか!! お父様もなぜ私の言葉に耳を貸してくれないのだ!! 大体その手のハンマーいつから握っていた! ここへ来るまで誰も突っ込まなかったのか!?」
「あら、まあ私ったらこんなものを……。すみません。先ほどまで皆さんとお茶をしていたもので」
ローズは走りながらぽいっとそのハンマーを捨てた。重々しい音が後方から聞こえた。多分道を補装していたであろうタイルが割れただろうなとキヤトは思った。
「の、『ので』ってなんだ!? 茶会とハンマーに何の関係がある! 頭おかしいんじゃないのか!! あとその背のおぞましい武器はなんだ!?」
「あら、チェーンソーですわよ殿下。ご存じありませんか? 今ご令嬢達の間で護身用に流行っているのです」
「嘘つけ!!」
「起動もとても簡単で、魔力で、ほら! 走りながらでも簡単」
―――ドッ、ドッ、ドッドッドッドッドッドドドドドドド ブィィィィィィィィィィィィィィィン……
「こ―――にしっかり動く―――。魔石一個―――どんな大木―――殿下―――これでイチコロですわ」
令嬢の声がチェーンソーの音で掻き消されていた。
それを後方から追って来ていた、ローズの従者マリンが止める。
「お嬢様、音がうるさくて何て言っているか聞こえませんよ」
表情薄く、彼女は「お嬢様ってばおっちょこちょい」と棒読みで注意する。
「あら、そうね。有難うマリン」
走るペースを緩めもせず、二人は「あはは」「おほほ」と笑い合う。
(あ、あいつ、私がイチコロと言ったな? その魔石一個で大木も大岩もまっぷたつにできるチェーンソーで私もイチコロだと言ったな??)
キヤトは「今日こそ本当に人生が終わる日かもしれない」と必死に走った。
***
「うわああああああ!!!」
「おほほほほほほほ! お待ちをぉぉぉ、でんかぁぁぁぁぁぁ!」
ローズがキヤト王子を追いかけまわすという、城でよく見る光景にこの国の王と王妃はほほ笑んでいた。
「あらあら。あの子ったら相変わらず照れ屋なんだから」と王妃。
「本当にまったく、どちらに似たんだろうなぁ」と国王。
「まあ。照れ屋度合いで言ったら私たちどちらも負けて無かったではありませんか」
「なるほど確かに」
執務合間の休息のひと時。
彼等は和やかに二人の追いかけっこを空中庭園から眺め、「早く孫の顔が見たいわね」等と笑い合っていた。
***
あれからたったの数分。
キヤト王子はあっさりと行き止まりに追い詰められていた。
―――ぜぇ、ぜぇ……
「で、でんかぁぁぁ、絶対にワタクシ、結婚いたしますわよ……」
―――ぜぇ、ぜぇ……
「ひぃぃぃぃぃ……! 殺されるぅぅぅぅぅ!!!!」
互いに息を切らせて見つめ合う。
ドレスだというのに、チェーンソーを抱えているというのに、令嬢の身のこなしは王子である青年のそれと大して変わらないでいた。
それどころか最近は、こうも容易く追いつかれ追い詰められてしまう。
自分の命も残りわずかなのではと、キヤトは唾を飲んだ。
「わ、悪かった!!! あの時勝手に君の書斎に入った事は心から謝る!! 神に誓って言う、私は本当にあの時何も見ていないんだ!! だから、だからその恐ろしい道具をどうにか―――」
「いいえ。物の位置がズレてました。そんな嘘は通用しないと何度も仰いましたよね? さあ、あの時殿下は何を見たのでしょう? 試しに私に聞かせてくださいませ……」
「いや、だから私は……私は何も……」
顔が赤くなっていく王子様の様子に、ローズは目を細めて心の中で「今か!」と声を上げた。
彼女はチェーンソーを振り上げ、キヤトは壁に背をあて「ひぃ!」と叫んでしゃがみ込む。
「あ、殿下ー! そろそろ時間なのでお迎えに上がりました!」
頭上から落ちてきた声にキヤトとローズは顔を上げた。
王子の側近で友人の公爵嫡子、タチだ。
タチは二階の窓から二人を見下ろしており、「よっ」と言い二階の窓から飛び降りて二人の元へと駆けて行った。
キヤトは「タチィィィィ!」と半泣きで友を呼ぶ。
「午後の訓練の時間なのでお迎えに参りましたよ。もう……。何で勝手に部屋から居なくなるんですか。煩いから見つけるのも容易いですが。―――ご機嫌よう、ローズ嬢」
「タチ様、御機嫌よう」
「このヘタレを回収しに参ったのですがよろしいでしょうか? ご希望であれば時間をみて出直しますが」
「ばっか!! お前本当ばっか!! 空気読め! ここは私を連れ出すところだろうが!!! どう見ても追い詰められているだろう! あいつは私を殺す気だぞ!!」
「こんなか弱いご令嬢に殺られてしまう命であればいっそここで死んでください」
タチの言葉に、ローズは「本当にそうですわよね……」と悩まし気なため息をつく。
―――グルルン……!
「か弱いだと!? お前目が腐ってるのか! ローズ嬢は意味深にエンジン音を上げるの止めてくれ怖いんだよ!」
必死な友にタチはため息をつく。
「―――分かりましたよ王子様。では訓練に参りましょう。邪魔をしてしまい申し訳ありません、ローズ嬢」
「いいえ。機会ならいつでもありますから」とローズはご令嬢らしく頬に手を当て美しく笑む。
「何の機会だぁ!」とキヤトはタチの影に隠れ声を上げた。
二人はローズを通り過ぎ、訓練へと去っていった。
その背を見送りながら、ローズは「はぁ……」と深い息をついた。
(恐怖で記憶を飛ばす……これはなかなか、難しいわね……)
マリンが「お嬢様」と手を差し出す。ローズは彼女にチェーンソーを預け、悲し気に両手で顔を覆った。
「もう……。私はどうしたらいいのか……」
「素直に言ってしまえばいいではありませんか。私はお嬢様のファンなので、あれを否定する輩なら結婚する価値はないと考えます」
「いまそれを言われても嬉しくないの! 分かるでしょ!? 私はアレの良し悪しなんてどうでもいい……」
「そうでしたね。けどこのままでは、お嬢様が殿下を言葉の通り物理的に射止めてしまう日も近いのでは? 今までの追いかけっこの成果が出て、だんだんと殿下を追い詰める時間が短くなっていらっしゃいます。お嬢様には狩りの才能もおありなようですね」
「煩いわね、気づいてたわよ……! 最近殿下を追い詰めるのが容易くなってきてたことくらい……!」
「明日は重りでもつけてきます?」
「本格的に鍛える気?」
ローズは悩まし気にまたため息をついた。
***
タチは訓練場へ向かう道すがら友へと尋ねた。
「十二の頃までは仲が良かったと思うんだけどなぁ。俺もお茶に誘って貰って、三人で楽しく話した記憶あるし……。一体どうしたんだ? ローズ嬢の事はお前だってあんなに―――」
「もう五年も前の話だ! 五年もあれば人は変わる。ローズだってきっと、私の事が憎くて……恐ろしくて仕方がない筈なんだ……。―――大体、私は別に何とも思ってなかったのに。なのに彼女があの日から隙があれば私を消そうと……」
キヤトの言葉は後半に行くにつれて独り言となっていた。ブツブツと言葉を零す彼に、タチは二人に何があったのか全くつかめず首を傾げる。
「だからお前何の話をしてるんだって。聞いても全然話してくれないじゃないか。なのにそうやって一人で悩んで。―――話してくれれば俺も力になれるかもだろ?」
「……」
キヤトはその言葉を聞き、ゆっくりと足を止めた。彼はじっとタチを見つめる。彼を見つめ、幼い頃からのこの友を信じていいか考える―――。
『あいつはな……あのローズは……俺やお前や、他にも城勤めの騎士達を……―――』と、話した自分を想像すると、口の中が苦くなった気がした。
そしてタチの反応も全く想像できず、何より悲しむ彼女の姿が思い浮かび、キヤトは口を閉じた。
「いや。やっぱりだめだ。お前の事は信頼してる。だとしても、人の大事な秘密を―――」
「―――殿下」
「うわあああああああああ! ……あ、ああ? マリン殿か」
突如、目の前に「ぬっ」と現れた女にキヤトは腰を抜かしそうになった。
「驚かせてしまい申し訳ございません。こちら、先ほど落としていかれましたので、お嬢様が届けるようにと」
彼女はハンカチを差し出した。
「そ、そうか……ありがとう」とキヤトはそれを受け取る。
「あとこちら、お嬢様からのお手紙です」
封筒に納める事も、折りたたむこともしてない剥き出しの紙をマリンは差し出した。
「……誰の血だ!?」キヤトは文字を読む前にそう叫んでいた。
「ではこれで。タチ様も失礼いたしました」
「おう!」とタチは爽やかな笑顔とともに手をふる。
「んで、血ってなんだ? 手紙だろ?」
タチは友人の手元を覗き見た。真っ赤な血文字……に見えるがよく見るとトマトケチャップのようだ。
―――イッタラ コロス
体を小さく震わせ怯える友のため、タチはそのケチャップらしきものを試しに指に付けて、匂いを嗅ぎ舐めてみる。
「安心しろって、やっぱケチャップだよ」
「お前よく口にできたな!」
キヤトは半泣きで手紙を丸め、そこら辺に捨てるのもなんなのでポケットに突っ込んだ。彼は友人のタチと言葉を交えながら、また訓練場へと足を動かし始めた。
その様子を、ローズは近くの屋根から眺めていた。
彼女は顔を真っ赤にし、恥ずかしさに両手に埋めていた。
「わ、わたくしったら、早合点を……殿下が、殿下が女性の秘密を人に言うはずなんてないのに、なのに私……早とちりであんな手紙を……」
(ああ! けどキヤト様ってば、やっぱり、相変わらず、何時もの如く……ヘタレな癖になんて紳士なの、なんて優しいの……! あああああああああああああ―――――――――好きっ!)
「お嬢様、ちゃんと渡して……って、え?」
戻ってきたマリンが見たのは、ゴリゴリと額を屋根に擦り付けて肩を震わすお嬢様の姿だ。
従者の帰りに彼女は顔を上げ、誤魔化すような笑みを浮かべた。
「あらマリン、お帰りなさい。ちょっと……早とちりであの手紙を送ってしまった事に後悔していたところでね」
「はぁ……。とりあえず額の手当てを致しましょう。侯爵家のお嬢様が顔に傷は問題です……」
「ええそうね。じゃあ馬車でお願い」
二人は屋根から飛び降り、シュタッと見事な着地をして何事もなかったように城の正門へと歩いていった。
***
あれから数日後。キヤトとローズは侯爵邸の一室でテーブルを挟み対面していた。
それぞれの後ろには従者であるタチとマリンが控えている。
予告もなく突然に、「客人が来たからと」身支度をされ部屋に通されたローズは顔を真っ赤にしていた。
(ど、どどどどうしましょう……。私としたことが急に来た客人が殿下だとは知れず、何の武器も準備せずに……。もう皆何で殿下が来た事隠すのよ馬鹿!!)
わなわなと震える彼女の先手を打って、キヤトがナイフやフォーク類など武器になりそうなものは置かないでくれとメイドたちに頼んでいた。さらには「お茶やケーキやクッキー等、菓子類もどう使われるか分からない。だからテーブルには何も乗せるな」と。
「ローズ嬢……いや、『ローズ』。今日はちゃんと話したくて来た」
(ロ、『ローズ』……!?)
ボンっとローズの頭の中で爆発音が上がる。
「いいか。君が何を気にして私を消そうとしているかは分かる。だが大丈夫だ。私は口が堅い。絶対に誰にも言わない」
(だからキヤトの奴何をしたんだ)と、控えるタチは気になったが我慢した。
(今日は筋肉浪漫先生の新刊の発売日だったわね。お嬢様には早くこの茶会を切り上げで頂かないと)と、マリンは全く別の事を考えていた。
「し、知ってます。殿下の口が堅いことくらい。けど、けど貴方の記憶にアレがあると思うと、思うと―――」
「お、思うと?」
「その頭その体からひっぺがしてあの部分が書き込まれている脳みそだけ抉り取ることできないかななんて思って夜も眠れなくて……」
「怖い怖い怖い! だから大丈夫だといっているだろ! 君がそんなにも、私を殺したくなるほどに不安ならお互いの平和のためにも教会へ行こう!」
(きょう、かい―――?)
ローズの脳内では挙式の鐘が鳴り響いていた。
「―――も、ももももしかして結婚ですか? 遂にその覚悟が?」
「違う!! 契約だ。絶対に私が君の秘密をばらさないと神の前で誓い神聖な力で縛ってもらうのだ」
(縛る……キヤトが縛られ……、あ、いや、駄目よローズ。今はそんな想像をしている場合じゃ……)
「で、殿下っ! 前々から思っていたのですが秘密秘密と言われると余計やましく聞こえるのでやめてくださいませ!!」
「じゃあ何と言えと?」
「―――……れ、『例のアレ』と……」
「余計やましく聞こえないか?」
「いえ、そちらで……」
「わ、わかった……。―――よし、では早速行くぞ。例のアレについて他言をしないと誓おう」
キヤトは立ち上がり、ローズの手を取った。
ローズは突然のことに驚きつつ、彼に倣って立ち上がる。腕を引かれるまま廊下へと歩く。
「なっ! なんでこんな事には行動が素早いのに私との結婚への腰は重いのですか!?」
「お前が怖いからだ! 挙式の最中に隙を突いて殺されるかもと怯える私の気持ちが分かるか!?」
「じょ、状況が状況なので正常な判断が出来なくなりそうですし否定はしきれませんね!!」
「否定してくれ!」
「あっ―――」
―――ドサッ
ローズが足を絡ませ躓いた。
キヤトがそれを片手で受け止め、申し訳なさそうに彼女を覗き込む。
「すまない、私が引っ張ったせいで」
自分を見つめる真摯な青い瞳。さらりと揺れる美しい銀髪。
ローズは本日二度目の脳内爆発を起こした。顔はゆでだこのように赤面し、彼の瞳から目が離せないでいる。
後ろに控えるマリンには、お嬢様の頭の上に「ぼふっ」と湯気が吹き出たように見えていた。
彼女を受け止め見下ろしたキヤトも、その吸い込まれてしまいそうなバラ色の瞳と、簡単に包み込めてしまいそうな、自分より小さな彼女の体に「はっ」として顔を逸らした。彼の耳は真っ赤だ。
「す、すまない。ローズ、大丈夫か」
「は、はい……!」
(ああああああああああ優しいいいいいいいいいい―――――――――――――――――――――ほんっと好きっ!!!!!!)
ローズは心の中じたばたと悶える。
***
教会に向かう馬車の中、ローズとキヤトは互いに何も言わず窓の外を見ていた。
正面の彼をちらりと見て、膝の上にのせていたローズの拳には自然と力が籠る。
(やっぱりだめ。やっぱり駄目だわ私! あの日の私の詰めが甘かったせいで、戸締りがなっていなかったせいで―――。別に私の趣味が露呈する事は良いのよ。あんなどこにでもあるような腐った趣味が露呈するくらい別になんてことは……いや、良くないけど……死ぬほど恥ずかしいけど……!! きっと身の回りの人に知れたら勢いのまま部屋に火をつけて自害するわ!! ―――けど何より、臆病でお人好しで紳士で優しくて穢れなくてこんなに……こんなに最高で最高で最高な『キヤト』の綺麗な脳内にあんな卑俗で汚らしい私の妄想が焼き付けられているだなんて……いるだなんて……)
馬車の中、ローズはふらりと立ち上がる。
「……やっぱり、ダメ。綺麗にしなきゃ」
「ど、どうしたローズ……?」
「キヤト……ちゃんと、消してアゲル」
キヤトの頬がひくっと引きつる。美しい令嬢がにたりと笑む図を俯瞰から眺めるというのは、なかなかの迫力があった。
その数秒後、「うわああああああああ!」と馬車の中から情けない王子の悲鳴が上がった。
「殿下、やはり一度、一度その後頭部殴らせてください……大丈夫です、絶対に傷は残しませんから゛ぁ゛! あと絶対あなたと結婚します!!」
「タチ! タチぃぃぃ! 早く来い私を助けろぉぉぉ!!!!」
命からがらキヤトは教会へたどり着き、ロープで拘束されたローズと共に彼女の恥ずかしい秘密を口外しないと契約を立てる事は叶ったのだった。
だがそれでも隙を見ては自分を殴り殺そうとでもしている様子の彼女の視線に、彼は生涯怯える事となる。
仲睦まじい夫婦となった後も―――