表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元女王の幸福はきっとすぐそこに咲いている  作者: 花一華
第一章 邂逅
3/6

3 二つの縁談

 その日、リラは朝から頭を抱えていた。なぜなら店もまだ開いていないような朝っぱらから、迷惑な来客があったからだ。


 迷惑な来客というのはアルナウトと入れ替わるようにして常連となった男で、いわゆる新興貴族らしかった。彼の父親が数年前の戦争で功績をあげたらしい。年は二十歳くらいで、いつだったか親が功績をあげたから俺も偉いんだと意味の分からない理屈を周りに吹いていたのを覚えている。いつも恐らく無自覚にではあるが他の客にも迷惑をかけるので早くよそへ行ってくれないかとアスタも嘆くほどだった。

 しかし、一番悩まされていたのは意味の分からない理屈で息巻くことでも、迷惑な態度のことでもなかった。なぜなら、店に来ると給仕中だろうがなんだろうがリラにしつこく言い寄っていたからだ。店で言い寄るだけの時はまだ良かった。それどころか、何度やめてくれと言っても肩や腰に手を回してきたり、しまいには店の外にいる時でも周囲への迷惑も省みずに付きまとってくるのには困り果ててしまった。最近ではいつやって来るか分からないのでお店に出ることもままならない。


 話を戻して、リラがなぜ朝から頭を抱える羽目になったかというと、その男が店に来るなり甘ったるい声色でこう言い放ったからだ。


「リラちゃん、僕と結婚しよう。」


 ご丁寧に右手には花束を抱え、左手には指輪のケースらしきものまで確認できた。いつもより頬を紅潮させている気がするし、今までのことを思えばただの気まぐれという訳でもないのだろう。

 実際のところ、嫌な予感はしていた。この男がリラの好きな花や身の上について周囲の住人達に探りを入れているという情報を小耳にはさんでいたからだ。突然の望んでもいない求婚というのは、身構えているのといないのではやはりしていた方が落ち着いていられる。リラを心配して情報提供をしてくれた青果店の店主には感謝の念しかない。

 そして身構えていたからこそ、リラはその男の目を正面から見据えてはっきりと答えを告げる。


「お気持ちは嬉しいのですが、お断りさせて頂きます。」


 ちなみに危機管理のために店の外でこの問答をしているので、リラと同じように開店準備をしていた者たちが異変を感じたのかちらほらと店の外に出てこちらを見守っている。いつもより大きな声で話しているため後々この会話の証人になるわけであり、明らかにプライドの高そうなこの迷惑男は人前で断られたら最後、もう二度とリラに会いに来ようと思わないだろう。もちろん、大きな声で話しているのは意図的なものである。

 しかしこの断り文句を人前で行ってしまえば帰ってくれるのでは、というリラの目論見は外れることになった。


「もしかして平民であることを気にしているのかい?それなら元は僕だってそうだったのだから大丈夫さ!」


 本当に、こういう時だけ自分は誰に対しても平等だという正義を振りかざさないでもらいたい。リラが迷惑だと思っていることに微塵も気づいていないのがこれほどたちが悪いとは思わなかった。ここまでくると彼を見誤ったリラの落ち度だとすら思えてくる。

 一方で、やたらとキラキラしい笑顔を向けてくる目の前の男はリラがそんなことを考えている間もお構いなしだ。全く的外れなフォローでも、これでリラの気持ちも決まるだろうと信じて疑う様子はない。まずは親に紹介するやら結婚式はどうするやら、一人で先走った未来を描いている。

 するとそこで、周りで見ていた者たちの我慢の限界を超えたのか、誰かが仲裁に入ってきたのをきっかけにかなりの人数がリラと男のもとに集まって来た。


「あんた貴族だか何だか知らねえが、この娘が迷惑してんのが分かんねえのかよ!」

「そうだぞ、リラちゃん嫌がってんじゃねえか。そういう時は黙って引くのが男だぞ、兄ちゃん。」


 その声に周りもそうだそうだと続く。集まってきたのは大体が力に自信のありそうな男たちだ。流石に迫力に圧倒されたのか、男は一瞬ひるんだように見えた。しかし、それで納得するような男ならここまで粘着質にリラに付きまとわないというのが現実だ。


「君たちに口出しされることじゃない。これは僕とリラちゃんの問題だ。」


 そう言ってまるで聞く耳を持たない。盛大な勘違いを押し付けることをやめてくれる気配もあるわけがない。


「リラちゃん、恥ずかしがらないで答えて欲しい。本当に僕との結婚は嫌かい?」


 そう自信満々に聞かれリラはいよいよ寒気がするほどだったが、無碍にしてあとでこちらの非を糾弾されるのは勘弁してほしいところだ。何か根本的な解決法を考えなければならないと、リラは思った。

 そして、まずできることはリラからの返答を先延ばしにすることだ。先延ばしにすれば、今日のところは一旦引き取ってもらえるし、対処法を考える時間も確保できる。


「あの、少し時間をくださいませんか。いきなりのことで、まだ混乱しているのです。」


 決して好意を認めることのないリラの言い様に、男はあまり納得がいかないようだったが、さすがにこの申し出は受け入れて引き返していった。いや、引き返していったはずだったと言うべきか。




 リラに求婚した男が引き返していって数時間、今度は昼過ぎに再び店を訪れたのだ。なんというか、この男ほど唖然という言葉に相応しい人間はいないだろうといった感じだった。朝の出来事について事情を話していたアスタの視線からは、並々ならぬ怒りが見て取れた。


「あの、時間をくださるのではなかったのですか?」


 そう素直に疑問をぶつけると、男はきょとんとした顔をしていた。

 ちなみにリラはというと、今日はもう来ないだろうと思っていたので目の前の男のせいで店に出られなかった分を取り返すように働いていたのだ。求婚の答えはもちろん否だが、どう対処するのかなど考える暇など当然無かったわけである。


「時間なら今日一日与えたでしょ?本当は明日にしようと思ったんだけど、待ちきれなくてね。」


 満面の笑みでそういう男は、本当に断られる可能性など微塵も感じていないし、答えをこれ以上待つ気もなさそうだった。

 とりあえず、この男をもう一度やり過ごさなければならない、リラがそう考えた時だったと思う。

 急に男の手の平がリラの頬を撫でて、距離が近づいたのだ。近づいてみて分かったのは、意外にも顔の造作は悪くないということである。いや、顔だけならアルナウトにも匹敵するほどかもしれない。基本的に気色悪い男だと思って顔をまじまじ見たことなどなかったのだが、その顔が男をよりたちの悪いものにしているのだと妙に納得してしまった。


 とはいえ、好きでもない男に触られている状況というのは不快極まりない。リラはその手を振りほどく。そして男に向き直り、もう一度求婚を断る旨を伝えようと思った。今の状況ではもう真正面から否定するしか方法はない。


「朝も申し上げましたが、あなたと結婚するつもりはありません。決して身分差を気にしているわけでも、恥ずかしがっているわけでもありません。いつか私などより相応しい方との幸せを心よりお祈りしております。」


 リラがそう一息に言い終わると、視界の端の方でアスタがよく言ったと褒めてくれているのが分かった。

 男の方はというと、今度は今にもリラに掴みかかりそうな勢いだった。つまりは、激怒というやつだ。肩も分かりやすく小刻みに揺れている。


「ど、どうして、、、じゃああの思わせぶりな態度は!何だったんだよ!」


 男は愕然とし、感情の昂りに身を任せるつもりのようだった。


「思わせぶりなんて、、、お客様として接していただけではありませんか。」


 流石のリラも男の身勝手な言い分に言い返す。けれど決して苛立ちを気取らせることはしない。そんなことをすれば相手に付け入る隙を与えるだけだからだ。

 しかしそんなリラの態度がより一層男の神経を逆なでしてしまったようで、男はとうとう拳を振り上げてしまった。

 リラは思わず目を瞑ったが、予想されていた衝撃はいつまで経っても感じることはなかった。拳一つで事が収まるならと覚悟していたために、頭上に疑問符が浮かでいく。

 そして次の瞬間、覚悟した衝撃の代わりに、リラのものでも、殴り掛かってきた男のものでも、もちろんアスタのものでもない声が頭上に響いたのである。


「おい、お前何をしている。」


 その声の主は、その状況下では到底信じられない、それこそ衝撃の人物のものだった。なんと、アルナウトだったのである。実にいつぶりの来店だろうか、シャツ越しでもわかる逞しいその腕の先には、しっかりともう一人の男の拳が握られていた。


「フィ、フィーレンス侯爵様、どうしてここに、、、」


「どうしてなんてこと今はどうでもいいだろう。怪我は。」


 リラが無いと答えると心底安心したようだった。しかしその顔をすぐに険しくして拳の持ち主の方に向き直る。


「状況が分からずにしばらく様子を見させてもらったが、嫌がる相手に求婚し、挙句断られたら手を上げるとは恥ずかしくないのか?確かお前は、ファン子爵の息子だったな。」


 今更ではあるが、リラは男の名前を知らなかったのでファン子爵という名前を知ってなんとなくの相槌を打つ。知らなかったのは男が自らの知名度を過剰評価して一度も名乗らなかったからであり、知る必要性も無いと思っていたのでこのタイミングで認識するとは思わなかった。

 ファン子爵の息子という男の方を見ると、突然はるか格上の侯爵家の人間の登場に驚きを隠せない様子だった。アルナウトの気迫に腰も引けてしまっている。


「な、なぜ僕のことを、、、」

「人の名前と顔を覚えるのは得意なんだ、悪いか?」

「い、いや、、、」


 ファン子爵の息子は一言返すのがやっとといった様子で、今にも泣きだしそうだった。どうしてあんたが、と消え入りそうな声で繰り返し呟いている。

 対してアルナウトはというと、半べその約一名はそっちのけでリラと目を合わせる。


「助けるのが遅れて悪かったな。もう大丈夫だ。」


 アルナウトはそう言ってリラの頭を優しく撫でた。ファン子爵の息子に触れられるのがあれほど不快だったのに、アルナウトに撫でられるのは不思議と嫌ではないのだなぁと、あまりの急展開にぼんやりとした頭でリラは気づいた。


「知らなかったのですから気になさらないで下さい。それにフィーレンス侯爵様のおかげで上手く断れそうですし、、、。本当にありがとうございます。このお礼はいつか必ず。」


「俺が勝手に割り込んだんだ、気にしないでくれ。」


 リラが案外平気そうだったのが不思議なのか、アルナウトはそう言いながら苦笑していた。またこの男に関してあとはこちらで受け持とうと言ってくれたのでそこは甘えることにした。アルナウトの従者が既に立ち上がる気力すら失ってしまった男を引きずるようにして店を出ていく姿を見て、リラは悩みから解放された実感を得た。


 そして少し状況が落ち着いたので、素朴な疑問をアルナウトにぶつけてみる。


「それにしてもお久しぶりですね。それに今は昼間ですし、どうかされたのですか?」


 そう、アルナウトが姿を見せることなど最近はめっきりなかったし、アルナウトを虎視眈々と狙っているご令嬢がいるような昼間に来ることは一度だってなかったのだ。当然今日のアルナウトの行動は普段と違うと言わざるを得ない。今だって周りにはそのご令嬢たちがいるのだ。もっとも、ファン子爵の息子のおかげで通常アルナウトに寄っていくはずの令嬢たちもおとなしいというのが今の状況である。震えて壁に張り付いていたり、関わりたくないと沈黙を貫くものであったりとその姿は三者三様だ。

 そしてリラに問われたアルナウトはというと、何やら考えごとをしているようだった。リラの質問は彼にとって難しいものだったらしい。

 そして、リラが質問の答えを諦めようかとしたときアルナウトは床のどこかしらを見つめていた顔を上げてリラの目を見た。その時の彼の眼差しはとても真剣で、目を逸らすことが許されないような気がした。


 それから、アルナウトは視線を逸らすことなく静かに、それでいて熱を孕んだ声でこう言った。





「リラ、俺と結婚してくれないか。」



 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ