第5話『蛇竜の仲』
「訊きたいことがある」
街の陰。誰にも気づかれぬであろう場所で、ブリザーデは一人のマントを羽織った少女に尋ねた。
「情報屋に話を訊くなら、対価を払って」
少女はマントから手を出し、ヒョイヒョイと何かを強請るように手招きをしてみせた。
「対価は話を聞いてからの方がいいだろう。後で釣り合わないと駄々をこねられても困る」
すると、少女は出していた手をマントの中に引っ込め、耳を傾けた。
「フロスティア大陸にアンデッドが出現したという情報は、過去にあったかどうかを訊きたい」
「銅貨十枚。銀貨五枚で追加情報」
ブリザーデは迷うことなく銀貨五枚を、マントから伸びたその手の上に置いた。
受け取った銀貨を握り、自分の巾着へとしまうと、少女は語った。
「フロスティアでアンデッドが出現した情報は一件ある。凍死して倒れていた一人の冒険者を出来心で操って、遊んでた事例。その後、死体で遊んだ冒険者は、広まった悪評を理由に冒険者を辞めた。アンデッド出現情報はそれだけ」
情報を聞いたブリザーデは、違和感を覚えていた。
あの時現れたアンデッドたちは、遊びとして操られていたようには見えなかった。もっと統率が取れており、もっと目的意識がハッキリとしているように見えた。
そう、マゼンタを捕獲するという目的が・・・。
「解った。追加情報はなんだ?」
「別の大陸から流れてきた情報。依頼で出発した神官が、恩恵の力を得られなくなったという事件があったらしい。その神官含め、同行した他の冒険者も、当時の記憶を失っていると聞いた」
「神官が、恩恵を受けられなくなる?」
不可解な事件に、ブリザーデは少し考え込んだ。
しかし、情報がない今考えても仕方がないと思考を止めた。
「情報、確かに受け取った」
そう告げると、マントの少女に背を向け、立ち去ろうと歩き出した。
向けられた背中に、少女は声を掛けた。
「何故、私に訊いた?その程度の情報、私から買わなくても訊けたはず」
「情報屋とは友好的にしたい。それに、オマエから貰える追加情報は有益だ」
背を向けたまま答えると、そのまま街へと去って行った。
朝の森、ワタシとブリザーデの修行場でもある森の中腹。そこでワタシは、日課のトレーニングを行っていた。
バシッ、バシッ、ワタシは重い吊り袋を相手に、拳を打ち付けながら、以前は全く揺れることのなかったソレを揺らしていた。
「よしっ、揺れる。前より力が乗ってる!」
打ち込みのトレーニングの他、腹筋や背筋、腕立て伏せにスクワット、走り込みなどの基礎を三時間ほど続け、終了とした。
そして汗と疲労で満ちた体を洗う為、街の浴場に浸かり、全身の汚れを流し終えれば、浴場から上がり、朝食の為に酒場へと向かった。
酒場は、以前にイールフォード地方から新しいクエストが来て以来、冒険者で賑わっていた。
それに伴い、冒険に出た冒険者が持ち帰った様々な食材が、酒場の厨房に届き、食事を待っている冒険者たちも含め、ほぼ満席状態だった。
「アイツ、だよな。雪守熊を単独で倒したって半蛇人って・・・」
「なんでも、恩恵を一切使わずに勝ったとか。そんな実力者だとしたら、今のうちに俺たちのギルドに誘っといた方が・・・」
「バカッ、どうせ目撃者に恩か金払って情報流して貰ってるだけだろ。大したことないって、あんな蛮族・・・」
入店するなり、酒場のあちこちから、ワタシへの視線が感じられた。
そうだ、ワタシは雪守熊から冒険者を守った功績があったんだと思い返した。
しかし、そんな話に気を向けるよりも、今は席を確保することを優先した。
「ど、どこに座りましょうか・・・」
座れそうな席を探していると、一つのテーブル席にブリザーデが座って、巨大な骨付き肉を食べているのが見えた。
他にも椅子は空いており、ワタシは手を振りながら、その席に近づいた。
「ブリザーデさーん!この席座っていいですか?」
「構わない」
いつも通りの素っ気ない返事に、ペコリと頭を下げると、ワタシは彼女の真正面の席に座った。
「食いたいなら食え」
ブリザーデは、自分の注文したもう一つの骨付き肉を皿ごとワタシの前に差し出した。
丁度お腹が空いていたワタシは、前世の習慣に習い、両手を合掌させ「いただきます」と口にした。
モグモグと肉を食べながら、ワタシは尋ねた。
「今日も何か依頼を受けるんですか?」
「あぁ。だがワタシは同行しない。別件がある」
その言葉に、ピタッと食べる手を止めた。
「えっと、つまり一人で冒険ということでしょうか?」
「オマエ一人では達成できない。だから同行者を呼んでいる。もうそろそろ来る頃だ」
「ワタシ一人では、無理、ですか・・・」
ワタシは、自分の気持ちが落ち込むのを感じた。
自分なりに成長の手応えを感じていたし、アンブラッセに来た頃から比較すれば、見違えるほど強くなっていた。
今のワタシでも、まだ依頼一つロクにこなせないのかと、心が沈んだのだ。
「一人で成し遂げることだけで強さを証明できると思うな。協力できる強さもまた、冒険者には必要だ」
「わ、わかりました。それで、同行者というのは、どんな方なんですか?」
そう尋ねると、ブリザーデは、顎に指を添え悩んだ。
「どんな奴、か。豪快で、酒好きで、肉好きな・・・。竜人族だな」
彼女から出た特徴で思い当たる人物が、ワタシには一人いた。
「あっと、おーい!ブリザーデ、今そっちに行くから待ってろ!」
そう、ガレアだ。
二メートルを越える巨漢の竜人族。巨大な大剣を背負い、彼は人で賑わう酒場の入り口から、こちらに手を上げて見せた。
人込みを避け、ワタシたちの座るテーブル席にやって来るなり、ガレアは明らかに嫌な顔をした。それも、ワタシの顔を見てだ。
「座れ。オマエたちにどんな因縁があるかは知らんが、話を聞かずに断れば互いにとって損だろう」
ワタシたち二人の嫌な雰囲気を感じ取ってか、ブリザーデはガレアを自分の隣に座らせた。
渋々、ガレアは椅子に腰を下ろすと、頬杖を突きながら深いため息を漏らした。
「同行してやって欲しい奴がいるって話だったよな?まさかマゼンタのことか?」
「そうだ。受けて貰う依頼は、“グロウツリー森林”にある『リキュールナッツ』『清浄草』の回収だ。ガレア、オマエを呼んだ理由がわかったか?」
「グロウツリー森林には亜竜族がいる。竜人族のオレなら対処はできる。それに、余ったリキュールナッツを貰ってもいいってことなら、確かに受ける理由は十分かもな?ありゃあ美味ぇ酒が詰まった木の実だしな」
「ブリザーデさん、ワタシは・・・ッ」
ワタシがガレアを横目で睨むと、ガレアは机をドンッと強く叩いた。
「だが、こんなへなちょこと行くのは御免だ。神官から拳闘士になって、アンタが鍛えて、ほんのちょっと実力はついてるかもしれねぇがな、オレからすればまだまだひよっこですらねぇ。こんな弱い奴に興味はねぇし、手を貸す気もない。他をあたってくれ」
「ワタシも、反対です。ガレアさんもこう言ってます。それに、ワタシはワタシの夢や覚悟を笑ったこの人が嫌いです。その依頼をどうしても達成しなければいけないなら、ワタシは一人で行きます。無理かどうかなんて、やってみなければわかりませんし」
ボキリッ、ボリッ、ボリッ、骨付き肉の骨が噛み砕かれる音が響いた。
鳴らしたのは目の前の彼女だった。苛立っているのか、呆れているのか、細くなったそのまぶたから見える鋭く冷たい視線は、ワタシとガレアを交互に睨んだ。
ゾクリッ、ワタシもガレアも、その視線に恐怖を感じ、思わず硬直した。
「二人でこの依頼を受けろ。出来なければ、アタシはオマエの師匠を辞める」
「え・・・ッ!?」
「オマエもだ、ガレア。もしできないようなら、オマエへの肉と酒の供給を止める」
「な・・・ッ!?」
「わかったら準備をして行け。アタシもそろそろ別件に出向く。言っておくが、偽りの報告をしてもわかるからな」
テーブルに丸められた地図と依頼書を置くと、ブリザーデは立ち上がり、ガレアの横を通り過ぎようとしていた。
すると立ち止まり、ガレアに一つの水袋を渡した。
「任せたぞ」
そう告げ、彼女は酒場を後にした。
ギスギスとした食事を終えたワタシとガレアは、必要になる道具を準備する為に、店を巡っていた。
キャンプ道具、採取に必要な最低限の道具、それらを一言も喋ることなく、各々で購入していった。
最後に食糧を選んでいるとき、揉め事は起こった。
「食糧はやはり魚類と野菜の保存食ですね。栄養のバランスもいいですし」
ワタシが手に取った保存食を、ガレアは強引に奪い取りながら、鼻で笑った。
「な、なにするんですか!」
「だからオマエは未熟なんだよ。解ってんのか?飯食ってるときだって襲われる可能性はあるんだ。んな状況で一々小骨を取りながら魚なんか食ってられんのか?だとしたら余程器用な半蛇人だな。家で編み物でもしてたらどうだ?」
「なんですって・・・!なら安全地帯を探して食事をすればいいだけじゃないですか!どうしてそう人を煽るようなことしか・・・」
「それにだ。現場での食事なら栄養バランスよりカロリーを優先して考えろ。万が一のとき、力が出なくて動けませんじゃ話にならねぇんだぞ。わかるか?おバカちゃんよぉ?」
偉そうに、それもワタシを煽るように語るガレアに、腹が立ったワタシはまた口を開いて反発を始めようとした。
そのときだった。ワタシを背後からぎゅっと抱き締める一人の女の子がいた。
「今の選択はガレアが正しいよぉ。素直じゃないのも可愛いけど、素直になれるのはそれ以上の美徳だと思うなぁ!」
それは、前回の冒険でお世話になったアデリアだった。
「あ、アデリアさん!?どうして、ここに?」
「クエスト受注してね。もうすぐ出発するからご飯を買って行こうと思ってねぇ!」
なるほどと、彼女の頭を優しく撫でると、心地よさそうに微笑み、ワタシから離れた。
「ベテランのアデリアさんもこう言ってんだ!わかったかアホ!」
「ああは言ったけどガレア、キミも言い方が悪いよぉ?新人には優しくしないと、新人は古参を見て育つんだからねっ?」
「し、しかしだなアデリアさん!コイツ、オレにやたら睨み利かせてくんだぜ!先輩としてリードしてやってんのにそういう目を向けられたんじゃ・・・!」
「ともかく!お互いに治すところはあるんだから治しなよぉ!準備してるところを見ると、これから二人で冒険なんでしょ?現場でそんな風に突っぱね合ってるようじゃダメだからね?新人は学ぶこと、古参は直すことが大事なんだから!」
ぐうの音も出ないアデリアからの指摘に、ワタシとガレアは不服そうに互いを睨んでは、そっぽを向いた。
その様子にやれやれと首を振りながら、アデリアは大量の干し肉を購入しては、店の外へ出た。
「オマエも外で待ってろ。オレが必要なもん全部買ってくる。オマエに任せちゃ時間と金の無駄だ!」
「あぁあぁ!ベテランに言われた言葉をもう忘れてますね!じゃあ勝手にしてください!ふんっ!」
ガレアから背を向け、ワタシも店の外へと出た。
すると、アデリアは店の前でワタシを待っていた。
「やっほー、マゼンタ。ちょっとお話があって、待っちゃった」
「お話、ですか?一体、どんな?」
アデリアは、店内のガレアを見ながら続けた。
「マゼンタは、ガレアのことどう思うの?やっぱり、嫌い?」
「はい、嫌いです。人の夢を馬鹿にしますし、すぐ煽るようなことを言ってきます。確かに冒険者としての実力はありそうですけど、ワタシは彼の内面が気に食わないんです」
「ガレアの内面、かぁ」
なにかが引っ掛かったのか、アデリアは少し言いよどんだ。
しかし、ワタシの目を真っ直ぐ見ながら、彼女は語った。
「実はね?ガレアがあんな風に強く当たるの、マゼンタが初めてなんだよねぇ」
「えっ、それってどういう・・・?」
ワタシが尋ねるより早く、少し遠くから声が響いた。
どうやらアデリアのパーティメンバーのようだった。同時に馬車の準備完了を知らせる大きなベルの音が鳴り響いた。
「こらぁ!アデリア!なにグズグズしてんの!馬車出ちゃうよー!ご飯買ったら早く来なさーい!」
アデリアは大量の干し肉の一切れをハムッ、と咥えると、その仲間に手を振った。
「ごめんなしゃぁぁい!今行くから待っててー!!マイハニーッ!!マイダーリンたちぃぃッ!!中途半端でごめんね!ウチは行ってくるから、キミたちも頑張りなよ!!」
「あっ、はい!わかりました。お気をつけて!」
その場を去るアデリアに、ワタシは大きく手を振りながら見送った。
「ワタシが初めて、ですか・・・。何か、気に障ることをしてしまったのでしょうか」
青空を眺めながら、ボーッと考えた。
今までワタシが、ガレアにした言動を振り返るように。少しして、思い当たったのは二件だった。
「いつまでボケーッと空眺めてんだ。オラ、馬車に行くぞ。オレとしては、その調子で戦場ではいい肉壁になってくれると助かるんだがな」
ハッと我に返ったワタシは、「どこまで失礼な方なんですか!」と怒鳴り、ガレアと共に馬車へと向かった。
二人だけの貸切の馬車で、一日と数時間。到着したこの場所が此処“グロウツリー森林”の目の前だった。
気候や環境に恵まれ、人の手を一切加えることなく育った樹木たちがうっそうと生い茂る。それは確かに底の知れない森林のようだった。
動物の生きやすい環境が故に、ここに集う動物たちは、見て解る弱肉強食の像を描いていた。
植物を食べる小動物を、肉食獣が喰らう。前世のワタシからすれば、映像越しに見られる光景でしかなかったものが、今は肉眼で視認できるこの距離で起こっていた。
そんな危険な獣道を、ワタシとガレアは歩いていた。
「いいか、獣を見つけても絶対に目を合わせるな。面倒なことになる。同行した新人を殺したとあっちゃ、オレの株が下がっちまうからな。死ぬんじゃねぇぞ」
「そのぐらいわかってます。馬鹿にしないでください」
「相応の警戒だろうが。言ったろ、オマエはまだひよっこですらねぇって」
「ワタシだってもう一度冒険を終えた冒険者です!フロスティア大陸の危険な環境にも、雪守熊にも勝って来たんです!もう認めてくれてもいいんじゃないですか?それとも、アナタのちっぽけなプライドが良しとしないんですか?」
ワタシの言葉を聞くと、ガレアは立ち止まり、ワタシの胸倉を掴み上げた。
驚き、見開いたワタシの目を睨みながら、ガレアは語った。
「たった一匹の獣に勝ったのがそんなに嬉しいのか!意思も無ぇ、欲も無ぇ、ただの現象に勝ったのがそんなに嬉しいのか!おめでてぇのも大概にしろよッ!自分に足りねぇモンから目を逸らして!“できること”より“やりたいこと”を優先して!たかが一回の成功を自慢するだけ!いいか!オマエは成長したんじゃない!拳闘士として戦えるように変化しただけだ!ただの変化と成長を履き違えてるだけの未熟者が、調子乗ってんじゃねぇ!」
「ッ・・・!?」
投げ捨てられたワタシは、土に尻もちをついた。
睨み付けるガレアを、ワタシも睨み返すつもりでいた。
しかし、できなかった。
その瞳には、潤みが見えたからだ。
涙として流すことはなかった。しかし、ガレアはいつもの調子で挑発することもせず、ただ拳を握り込んでいた。
「・・・今のはやり過ぎた。行くぞ」
意外にも差し出されたガレアの手を、ワタシは掴んで起き上がると、小さくペコリと頭を下げた。
宛ても伝えられず、訊く度胸もなく、ただワタシはガレアの背中を追って歩いた。
様々な獣がこちらを睨む森林の中で、一匹としてこちらを襲う者はいなかった。
それは、竜人族であるガレアを怖れてのこと。意識していなかっただけで、ワタシは既に、幾度となく彼に救われているのだ。
伝わってくる。彼は本当は優しい人なのだ。なのに、なんでこんなにも強く当たってくるのだろうか、それだけが不思議だった。
やがて辿り着いたのは、グロウツリー森林を一望できるほど高い崖岩だった。
青々とした大きな森林地帯は、フロスティア大陸で眺めた景色とは別の絶景をワタシに魅せた。
鳥の群れが脚を羽を休める木、小動物が暮らす木、風になびく草木の音。修行場のような下からの視点では決して見られない。自然を客観視点から覗いた景色に、ワタシは少し微笑むほどには感動した。
「ここも眺めがいいですね。絵の才能があれば、この景色を筆写して飾るんですが・・・」
そんな呑気な独り言に、ガレアは当然口を挟んだ。
「観光しに来たわけじゃねぇんだ。この崖岩に来たのは、リキュールナッツを探すためだ。まぁ、オマエがここで絵を描いてるってんなら、オレは一人で回収して報酬を独占するだけだし、勝手に描いててもらって構わねぇぜ?」
「その才能はないから描かないって言ってるんです。ワタシは画家じゃなく、一流の拳闘士になるために冒険をしてるんですから」
ガレアは地図を広げ、周囲に広がる森林を見渡しながらも、ワタシに鋭く当たった。
「才能にかまけない自分をかっこいいとでも思ってんのか?ハッキリ言って今のオマエ、できることを御座なりにして、できないことだけに挑戦する自分に自惚れてるようにしか見えねぇ」
「自惚れてなど、いません・・・。神官の道を捨てたのはワタシなりの覚悟です。何も捨てられない者が、何かを得ることはできないと思ったので」
「・・・だからオマエはひよっこ以下なんだ」
ボソリと一言呟くと、ガレアは森林地帯の東側と南側を順番に指差しては、地図を丸めて片付けた。
「やや東、あの地点にリキュールナッツの実る木が密集してるみてぇだな。南にある洞窟はグロウツリー森林に流れる川の中継地点になってる。洞窟の中に生えた清浄草が、川の水を清めて、この森林の成長を手助けしてんだろうな。となるとだ、リキュールナッツを確保して、一晩明かしてから洞窟の清浄草を採りに行くのが一番危険が少ねぇな」
独り言のように語りながら、しかしワタシにも聞こえる声で情報は伝達された。
ガレアは言葉にはせず、指で「来い」と合図をすると、目の前の崖岩を飛び降りた。
「えっ、ちょっ・・・!?」
慌ててワタシも、尾を地面に叩きつけ、崖岩を飛び降りた。
しかし、落下のことを考えていなかった。
落下速度を考えて、森林地帯に落ちた場合、最悪木々に刺さって息絶えるだろう。慌てていたワタシは、そんなことも考えず飛び降りてしまったのだ。
物凄いスピードで近づく木々。せめてダメージを最小限に抑えようと、ワタシは空中で仰向けになった。
「双雷神様、ワタシはここまでかもしれません・・・っ!」
もう数メートルで木々に体を貫かれる、そんな瞬間だった。
「だぁぁあああらぁぁぁぁあああッ!!!」
けたたましいガレアの声が響いた。
ドスンッ、ドスンッ、ドスンッ、周囲の何十本という木々が、彼の大剣による横薙ぎの一撃によって斬り倒された。
阻みが消え、地面へと向かうばかりとなった落下中のワタシの襟をグイッと掴み、ガレアは地面にそっと置いた。
「世話が焼ける拳闘士だな!ったくよ」
「な、なんで、助けたんですか・・・?」
「オマエが死んだらオレの株が下がるからだ。次からは焦って行動すんな。目の前で死なれると迷惑なんだよ」
大剣を担ぎ直しながら、ガレアは決して表情は見せずそう告げた。
「あ、ありがとう、ございます・・・」
どんなに腹が立つ相手であろうと、命を救われたことに変わりはない。
だからワタシも、渋々感謝を伝えた。
返事が返されることはなかったが、感謝の言葉を聞いた彼が一瞬動きを止めたところから、伝わっていることはわかった。
「長話してる時間は無ぇな。日が傾き始めてる。リキュールナッツの木までたどり着いて夕方だ。夜には獣が徘徊する。急ぐぞ」
「わかりました。やや東、でしたね」
ガレアが東へと駆け出すと、ワタシも置いて行かれないように尾を使って走った。
学んだ走法のお陰もあり、ガレアさんの速い足にも振り切られることなく、後を追うことができた。
日が暮れ出した頃にたどり着いた。リキュールナッツを実らせる木々の群生地。そこに踏み込んだ瞬間、ここがそうなのだと“ひと嗅ぎ”で気づいた。
柔らかで、しかし確かな酒類の香りが漂っていたのだ。
お酒に弱い者や、耐性のない種族はここに訪れただけで影響を受けるだろう。しっかりとアルコール臭さも紛れているのだ。
「こ、ここがそうみたいですね・・・。しかし、なんですかこのお酒臭い群生地は。居るだけで酔いそうな・・・」
鼻と口を手で隠しながら、険しい表情を浮かべるワタシとは裏腹に、ガレアはニィッと笑みを浮かべながらスンスンと鼻を鳴らしていた。
「ガッハッハッ!上質な!それも新鮮なリキュールナッツが実ってやがるな!臭ってくるぜ!晩酌のためにも絶対確保すんぞ!」
やたらと張り切ったガレアは、鼻を鳴らしながらナッツの実る木々を一本一本嗅いで歩いていた。
「お酒好きだと知ってはいましたが、ここまでとは・・・。ま、待ってください!一つは依頼のために納品しなきゃいけないんですからね!」
「こんだけ大量に実ってんのが見えねぇのかよ!どれ納品しようが、依頼品は依頼品だ!上質なヤツを一個嗜んでも、普通のを一個持ってきゃあ文句は無ぇだろうよ!」
臭いによる査定を繰り返し、しばらく尾を進めると、ガレアがピタリと足を止めた。
二度三度、スンスンと一つの木の臭いを確認すると、自分の身の丈から数十メートルは上に実った四つの大きなナッツを見つめながら、ニィッと再び笑った。
「これだ、この木に実ったリキュールナッツが上等品だ!」
「このナッツも他と一緒で、高い位置に実ってますね。どう採るんですか?リキュールナッツの実る貴重な木ですし、伐採はしない方がいいと思いますが」
「だからブリザーデは絶対に二人で行くように言ったんだよ。一人じゃ無理、だが二人なら可能性はある。やり方次第だ」
「ほ、ほう。して、そのやり方というのは?」
手首の関節をバキバキと鳴らし、ウォームアップを終えたガレアは、ワタシを掴み上げた。
「こうすんだよぉぉおおおッ!!」
次の瞬間、ガレアはワタシを投げ飛ばした。リキュールナッツの実が成った数十メートル地点まで。
「最低ですぅぅうううううううううううううッ!!!」
辛うじてナッツの実にギュッとしがみつき、衝突を防いだ。
しかし、下を見ても受け止める様子の無いガレアが立っているだけだった。
しがみつく手も痺れ、限界が近づいてきた。
落ちるも地獄、落ちぬも地獄。そんな状況で、ワタシはガレアの言葉を思い出した。
“焦って行動すんな”。その言葉を起点に、いくつもの下り方を思考した。
思いついたのは、蛇の尾を木に絡ませ、ゆっくりと降下する方法だった。
「もう、これで下りるしかない!」
ワタシは重たいナッツを抱え、数十メートルの木に尾を絡ませ、下った。
木の幹に立った沢山のささくれが、ワタシの尾をジグジグと傷つける。木片が刺さり、地味な痛みが尻尾を責めた。
数秒経って、木から下りると、ガレアはワタシからリキュールナッツを取り上げた。
「まだナッツはある。次だ、急ぐぞ!夕日ももうすぐ完全に落ちちまう!」
「し、仕方ないですね!もうッ!」
四つ全てのナッツを手に入れるまで、残り三回も同じように投げてはもぎ取り、下りてを繰り返した。
全て取り終える頃には、もう日は落ち、森林は暗闇に包まれていた。
木々の密集地から離れ、川岸までやってくると、ガレアは自分の荷物をドシンッと置いた。
「回収完了だな。ったく、オマエは重いな。肉付きがいい女は嫌いじゃねぇが、反抗的な性格が傷なんだよな。ちったぁ素直になったらどうなんだ」
「アナタに襲われなくて済むなら、反抗的な自分もいいものだと思えますよっ!」
獣が徘徊し出す前に、ワタシとガレアは早速野営の準備を始めた。
当然、ガレアとは別々のテントを使用する。ガレアも勝手にテントを張っていたので、ワタシの勝手にテントを張った。
焚火の準備だけは、二人で作業を進めた方がいいと意見が一致し、ワタシが枝や枯葉を集め、ガレアが火を囲うための大きな石を集めた。
「マゼンタ、オレのバッグから食糧と火打石、それから水袋を取って来い」
「偉そうですね・・・。わかりました。戻るまでに石を並べておいてくださいよ?」
返事はせず、黙って焚火のために石を並べるガレアを他所に、ワタシは少し離れた場所に設置されたガレアのテントに入った。
そこには大きなカバンと、既に寝袋が置かれていた。
「お酒飲んだらすぐに寝れるというわけですか・・・」
ハァッとため息を一つ漏らし、ガレアの大きなカバンを開けた。
店でも言っていた通り、カロリーの高い干し肉などが袋に詰められており、彼が持参した水袋にはお酒が入っていた。また、ブリザーデが手渡していた水袋もあった。
干し肉と全部の水袋をカバンの外へ出し、あとは火打石だけだと探しているときだった。
カラン、カラン、心地の良い木製の何かがカバンの中で鳴った。
「なんでしょう?お守りとかでしょうか?」
奥に手を入れ、ワタシはソレを引っ張り出した。
ソレは、木製の小さなネームタグだった。
“オーガン”と彫られたネームタグの縁には、誰かが血が出るまで握り込んだ跡が残っていた。
「オーガン、誰なんでしょうか・・・?」
ネームプレートを手に持ち、考え込んでいると、ガバッとテントの入り口が開いた。
「おい、こっちはもう組み終わったぞ!いつまでもグダグダ探してんじゃ・・・」
ガレアは、ワタシの手にしている木製のネームプレートを見るなり、文句を止めた。
そして、ネームプレートをワタシの手からそっと奪い取ると、彫られた名前を見つめた。
「ガレアさん、そこに彫られた名前の方とは、お知り合いなんですか?」
「・・・あぁ、知り合いだ。コイツはオレの、弟子だったヤツの名前だからな」
ネームプレートをカバンに押し込むと、代わりに火打石を取り出し、ガレアは焚火の場所まで帰って行った。
テントから去って行くガレアの背中からは、哀愁に近い気持ちが感じられた。
干し肉と水袋を持って焚火まで戻ると、既に火が点いており、夜の川岸を明るく照らしていた。
「言われた物は全部持ってきましたよ」
「おう、そしたら飲むか。おらよ、オマエの分だ」
ガレアは一つ、ワタシにリキュールナッツを投げ渡した。
「えっ、え?」
「なんだよ。下戸ってわけでもないだろ」
「い、いえ、飲めるんですけど・・・。てっきり、全部オレのだーって独占するものとばかり」
「オレをなんだと思ってやがんだ。オレ一人で採取したんならそう言うが、オマエにも手柄の一端はある。報酬として分け与えんのが当然だろうが」
干し肉を齧り、リキュールナッツの中に溜まった上質な酒を、開けた穴からゴキュッ、ゴキュッ、と飲んでは、密かに満足そうな表情を浮かべた。
そんな様子を見ながら、ワタシは受け取ったリキュールナッツをガレアに差し出した。
「では交渉です。ワタシのリキュールナッツを差し上げる代わりに、アナタのお弟子さん・・・、オーガンさんとガレアさんのお話を聞かせてください」
ガレアの食事の手が止まる。差し出されたリキュールナッツを見た後、ワタシの眼を不思議そうに見つめた。
「なんでそんなもん聞きたがる。オレの過去から笑いのネタでも探そうってんならやめとめ。笑い話にゃならねぇよ」
「ずっと気になってたんです。ガレアさんが、ワタシにだけ強く当たる理由。もしかして、お弟子さんと歩んだ過去にあるんじゃないかと思いまして・・・」
コポコポッ、とナッツに詰まった酒を口に流し込むと、ワタシが差し出すリキュールナッツを押し返した。
「ならこっちからも条件だ。オレの酒に付き合え。素面相手に語りたくねぇからよ。ナッツのヘタをねじって抜けば、穴が開く。そこから飲めるぜ」
「そういうことなら、いただきましょう」
ペコリと頭を下げると、指示通り、ナッツのヘタをねじって抜いた。すると、丁度飲み口になる程度の穴が開いた。
コポコポッ、とワタシもナッツから流れ出る酒を口へ運んだ。アルコール臭さがあまりなく、さっぱりとした柑橘系の風味と甘味が広がる。飲みやすいお酒だった。
程よく酔いが回ったのか、火照りによって体が温まった。
共に酒を交わしたところで、ガレアは語り始めた。
「数年前、オレの下に一人の男が弟子入りしてきた。生まれつき体力無くて、ただ勉強ができるヤツだったみたいで、賢者の才能を大勢に認められてた。なのにオレの下にやってきて、“賢者という才能に甘えず、貴方みたいな強い重戦士になりたい”と告げてきた。大きな依頼を達成した後だったから、そういうヤツもいるだろうと思った。憧れに真っ直ぐ、それが苦手な分野でも全力で追いかけるアイツの姿勢をオレは勇敢だと感じて、弟子にした」
「苦手でも無茶でも、夢を追いかける立派な志を持ったお弟子さんだったんですね」
「オレもそう思ってた。立派だと、かっこいいとさえ思った。だからこそ一緒に苦楽を共にした。厳しい修行や冒険を乗り越えたら、美味い酒を飲みながら笑い合った。自分で言うのもあれだが、理想の師弟関係だったと思ってる。だがな、自分が間違ってると気づいたんだよ」
ガレアは飲み終わったリキュールナッツを片手で砕くと、虚ろな目で焚火を眺めた。
「その日、冒険者たちは大掛かりな蛮族討伐に向けて準備をしていた。だが、街には魔法職がほとんどいなかった。だから、野伏や賢者といった後衛職を求めるパーティが多かった。オレは弟子を後衛職として向かわせるべきか悩んだ。そんな時、アイツは言ったんだ。“ガレアさんの隣で戦いたい”ってよ。だからオレは、弟子を重戦士として連れて行った」
「・・・その後、蛮族討伐は、お弟子さんはどうなったんですか?」
「蛮族討伐は成功に終わった。だが、オーガンは死んだ。オレの目の前でな・・・。その時、オレは気づいた。『才能』『得意分野』そんなやれること、できること、誇れることがありながら、それを『かまけ』だの『甘え』だの理由を付けて、やりたいことのために捨てる行いが、どれだけ馬鹿馬鹿しいことか・・・」
彼の語る弟子の像と、ワタシは重なる部分が多かった。
不得手な憧れのために、才能にかまけることを捨て、師匠と共に走り続けたがる。まるで、ワタシの未来まで語られているような感覚があった。
しかし、もしこれがワタシの未来でもあるとするなら、憧れを追えば滅びることを示していることになる。いつの間にか、ワタシの視線も落ち込んでいた。
「オレが、あの時・・・無理やりにでも後衛職に回してればよぉ・・・。あの頃にもっと、守れる力があればよぉ・・・っ。クソ・・・・ッ!クソッ!!」
ポタリ、ポタリ、ガレアの目から雫が溢れては、土に染み込む。
その涙には、怒りや悲しみ、後悔、色々な気持ちが詰まっているように思えた。
嗚呼、そうだったのか。
ワタシにキツく当たったのも、ワタシの拳闘士という夢を貶したのも、全ては、自分の弟子と同じ轍を踏ませないためだったのだ。
全ては、ワタシを思ってのことだったのだ。
それからワタシは、どんな言葉を掛けていいのかわからず、食事を終えると、互いに黙ったまま寝袋の中へと入った。
「・・・きろ!・・・ぉきろ!・・・起きろ馬鹿ッ!!」
ゴチンッ、鈍い痛みが額に響く。ゆっくり目を開けると、目の前には今にも触れ合いそうな距離にガレアの顔があった。
「~~~ッ!!が、ガレアさん!?なにしてるんですか!?ここワタシのテントですよ!?」
「んなこと言ってられる状況じゃなくなってんだ!オラ、外覗いてみろ!」
ガレアが僅かにめくったテントの入り口から、外を覗き込んだ。
そこには、ワタシたちのテントを取り囲むように並ぶ肉食の“恐竜”たちが居た。
「な、なんなんですか・・・!?もしかしてアレが、お話していた!?」
「あぁ、アレが“亜竜族”だ」
グァァァァアアアアアアアアッ!!威嚇するように咆える亜竜族たち。きっと、ワタシたちが飛び出そうものなら、即座に襲い掛かってくることだろうと察しがついた。
「・・・こういう状況で冷静に・・・っ。ガレアさん、亜竜族の強さとか特徴とか、知ってる限り教えてください!」
「単体の凶暴性は雪守熊と同等。しかもアイツらは常に統率され、群れで行動する。指示を出している長を叩ければ、何とかなるとは思うんだが・・・」
「どうかしたんですか!?」
ガレアは、テントにナイフで切れ込みを入れ、できた穴から今まで死角だった範囲を覗き見た。
「長らしき亜竜族が居ねぇんだ・・・っ。少なくとも、取り囲んでる連中の中に!」
対策の打ちようがない状況、それでもワタシは教えられたことを実行していた。
焦らず、冷静に行動する。そのためには考える。そのためには得られる情報も全て得よう。連鎖的に思考が巡った。
「なんで亜竜族たち、襲って来ないんですか・・・?」
「襲われる寸前、先手を取って技を仕掛けた。それを警戒してんだろうぜ。だが、しばらく使ってねぇところから、殺傷能力が無い技だって気づかれる頃だ。そうなったら喜んで飛びついてくるだろうぜ」
「ガレアさんの技って、どういったモノなんですか!?」
「・・・『竜咆哮』。オレの咆哮によって、聴こえた全ての対象を怯ませ、鈍重にする。だが、弱点がある。一つは、格下にしか効果が出ねぇ。二つは、使えて三回までってことだ。さっき一回使ったから、残りは二回だ。それ以上は喉が持たねぇ」
彼の使える技、ワタシができること、今持っている物、全てを計算した。
敵一匹が雪守熊並みの強さと考えるなら、真っ向勝負は絶対に回避しなければいけない。そこでワタシはテントの隅に並べて置いた二つのリキュールナッツに目を付けた。
「一個は納品用です!持っていてください!」
「オマエ、何する気だ!」
「“死なないための悪足掻き”ですよ!」
ビリビリビリッ、ワタシは自分の修道服の裾を破り取ると、リキュールナッツに巻き付けた。
「ワタシが合図をした瞬間に、ここから全力でこのナッツを北方へと投げてください!」
「わかった。投擲なら任せやがれ!」
ザクッ、ブチブチッ、調理用に持参していた小型ナイフで、ワタシはテントの横に大きな音を立てながら裂け目を作った。
そして、テントが裂かれる音に気づき、亜竜族たちがこちらを睨んだ瞬間、ワタシは合図した。
豪速球を思わせる速さで投げられた裾を纏ったリキュールナッツ。取り囲んでいた全ての亜竜族たちはソレを必死に追いかけ、森の中へと走って行った。
その隙に乗じ、ワタシとガレアは南方へと向かうべく亜竜族たちとは逆の森林地帯へと駆け出した。
「竜系統の嗅覚が鋭いのは、上質なナッツを探し当てたガレアさんを見て学びました!一晩ワタシたちが滞在したあの川岸には、間違いなく臭いが残っていたはず、当然リキュールナッツの臭いも!だったら、臭いの染みた衣服をナッツに巻けば囮に使えると思ったんです!」
「オマエ、咄嗟にその判断を?しかも、戦うための策じゃなく、生き残るための・・・?」
「今回の戦いでは、逃げることと止まることは良しとして、諦めることだけは絶対にしないと決めたので!あぁでも、もしナッツの方を追ってくれなかったり、半分以上が残るような状況になったら、ガレアさんの竜咆哮で相手の動きが鈍っている間に強行突破するつもりでした!」
森林を駆けながら語るワタシの言葉に、ガレアはニィッと笑みを浮かべた。
「セカンドプランの危険度が高ぇ。ブリザーデやアデリアさんならもう数段上手い作戦を練るぜ」
「うっ、また馬鹿にするんですか!?そのおかげで無傷で勝てたという・・・のに・・・っ?」
すると、ガレアはワタシの頭を三度優しく撫でた。
「殻にヒビが入ったってところじゃねぇか?粗はあるが、そりゃあ経験っていうヤスリで研磨してくもんだ。怠んなよ」
「・・・はいっ!」
清浄草のある洞窟が小さく視界に映るほど近づいてきた頃、ワタシは一つの不安要素を尋ねた。
「そういえば、依頼達成のことばかり考えて洞窟に向かっちゃいましたが、大丈夫でしょうか?きっとさっきの亜竜族たち、偽物に気づいたら臭いを追ってこっちに向かってくると思いますし・・・」
「馬鹿が!無策でオレがオマエについていくわけねぇだろ。洞窟の入り口は小さい。亜竜族が群れで襲ってくるなら、精々二匹ずつが限界。なら、一人一殺で相手はできる。つまり、洞窟へ向かうのが最適解だったわけだ」
「な、なるほど。理由はわかりました。でも馬鹿は言い過ぎじゃないですか!?」
ハッ、と鼻で笑うと、ガレアは足を速めた。
置いて行かれないように、ワタシも尾を速めた。
やがて、洞窟の前へとたどり着いた。
ガレアが言っていた通り、入り口は倒れた大木によって小さくなっていた。
中へと入ると、そこは暗く、灯りが無ければ先には進めないほどの闇が広がっていた。
ワタシとガレアは松明を持ちながら、水の流れる音が響く奥へと進んだ。
「清浄草には水を清める効果がある。まぁそれ以前に植物だ。水の近くに生えてるだろうな」
警戒を怠ることなく、奥へ奥へと尾を進めていると、広い空間に出た。
日の当たらないこの環境に、青々とした緑が多い茂り、自然にか人工的にかできた大きな溝を伝って、浄化された川の水が外へと流れ出ていた。
奥に松明を向ければ、そこにはガラスのように透明で、輝く草が生えていた。
「アレが、清浄草ですか・・・?」
「そうだ。アレで間違いない。採取してとっとと逃げるぜ。一人一殺とは言ったが、やり合わねぇのが一番だからな」
「わかりました!では、採取を・・・」
ワタシが清浄草に手を伸ばした瞬間だった。
バキリッ、バキリッ、洞窟の入り口から、木が折れる音が響いた。
グァァァアアアアアアアアアアアアアッ!!聞こえる鳴き声。しかし、足音も、鳴き声も、数十は重なり合って響いていた。
「ウソ・・・。あの狭い入り口から、どうやってあの数が入って来たんですか!?」
「理由は一つしかねぇだろッ!!入り口の大木をもブチ折れるほどの、デケェ怪物が混じってんだよ!十中八九、長だ!クソッ、洞窟じゃ逃げ場が無ぇ!壁をぶち抜いて逃げてぇが、そんな芸当はアデリアさんぐらいしか出来ねぇ!」
迫りくる脅威の音、絶体絶命の状況、ガレアは不安と恐怖を隠せずにいた。
それは、自分が死ぬことへ向けた感情ではない。目の前で仲間を失ってしまうことを想像しての悲観だった。
そう、ワタシと全く同じ気持ちだったのだ。
だが、ガレアの切り替えは早かった。悩んでも仕方がない。悩んでいる時間などない。当たり前だが、経験の差がその当たり前を為すに至った。
「オマエの持ってきた松明を全部貸せ!暗闇で戦ったら、鋭い嗅覚の無いオマエが戦えねぇ!この状況じゃあ、ひよっこ未満でも戦力が減るのはマズいんだ!」
「わ、わかりました!数本しかありませんが!」
ガレアは、ワタシの手渡した数本の松明に火を点けると、持ち前の肩を使って投擲し、洞窟の壁に突き刺した。
周囲は明るく照らされ、視界に不備はなくなった。
揺れる炎、近づく影、ソレらがすぐ目の前に来ていることは、感覚を頼らずともわかった。
「マゼンタ、長を相手できるか?」
「え・・・っ?」
「オレが下っ端共を全力で抑える。その間に、長を叩けって言ってんだ!できるのか!」
ワタシは自分の拳を見つめながら、不安そうに返答した。
「わ、ワタシの拳闘士としての実力じゃ、恐らく勝機は・・・」
震える声を止めたのは、ワタシの背中を叩くガレアの行動だった。
「そんなことを訊いてんじゃねぇ!マゼンタッ!オマエの全身全霊でやれるかどうかを訊いてんだッ!!強くなりてぇならッ!!認められてぇならッ!!使える引き出し全部引っ張り出してッ!!ぶつかってみせろッ!!」
心が高鳴る。拳により一層、力が入る。ワタシに纏わりついていた枷が、壊れたようだった。
出し惜しんでいては、強くなんかなれない。気づいたワタシは、拳にガントレットを装着した。
「・・・やってみせますッ!!絶対にッ!!」
ガレアはブリザーデから貰った水袋の水を飲み干すと、大きく息を吸い込んだ。
ドタドタドタッ!!現れる亜竜族の数十という群れ。そしてその奥からは、明らかにレベルの違う亜竜族が居た。
今までの個体より一回り大きく、凶暴性を感じ取る限り、雪守熊の数倍は危険だとわかった。
取り巻きの数十匹は、ワタシたちを視認すると、即座に襲い掛かってきた。牙で、尾で、殺しに来た。
「グォォオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!!!!!!」
瞬間、ガレアは咆哮を轟かせた。
洞窟がグラグラと揺れるほどの声、なにより声を聞いた取り巻きの亜竜族たちの動きは怯み、とても鈍くなっていた。
好機と見たワタシは、取り巻きたちの間を全速力で駆け抜けた。
「オレからの課題だ!オレがぶっ倒れるまでにアイツを倒せッ!!」
「はいッ!!」
取り巻きたちを抜き去り、長の亜竜族に接近することに成功した。
しかし、攻撃を仕掛けるよりも早く、長はその鋭い牙を使ってワタシに噛みつきを試みた。
「ッ・・・!?」
一連の動作は、鈍重になっているとは思えないほど素早かった。
竜咆哮の効果を受けていないことは、危険に晒されようやくわかった。
巨大な尻尾によるスイング、巨大な口による噛みつき、隙のないそれらの攻撃を間一髪のところで避けながら、ワタシは思考を巡らせた。
一撃が致命傷になる攻撃ばかり、これでは痛みを利用したカウンターが狙えない。どう戦えばいい。考えろ、考えろ、使える引き出しを全部引っ張り出せ。
そこで一つの答えが浮かび上がった。
神官の、双雷神の恩恵を使えば、と。
バジンッ!バジンッ!地面に打ち付ける度、ワタシの尾から電撃が走る。右拳に稲妻が宿る。まるで数十キロの重りを外したように、体が軽くなるのを感じた。
明らかに雰囲気が変わったワタシにもお構いなしに、長は巨大な尻尾で薙ぎ払いを試みた。
凄まじい風切り音、強烈な一撃。ワタシは、向かってくる尻尾に、右拳による一撃を食らわせた。
ブチッ!グチッ!稲妻を帯びた拳と、尾と電撃を使っての急接近を重ね合わせ、長の尻尾にも負けない一撃を浴びせ、攻撃を弾き落とした。
尻尾の肉を潰され、電撃を浴びた長は、絶叫に近い鳴き声を上げながら、大きな口を開け噛みつきを試みた。
近づく牙、アレを折れれば勝機はある。そう考えたワタシは、再びカウンターを狙って、尾をバジンッ!と鳴らし、間合いを詰めて右拳を振るった。
しかし、拳が牙に触れる寸前、長は地面を蹴り、ワタシへ強烈なタックルを仕掛けた。
「が・・・はッ!!?」
壁に叩きつけられ、吐血を垂らす。骨が折れ、脳が揺れ、意識が遠退く。弱ったワタシを見るなり、ガレアからワタシに標的を変えた取り巻きの亜竜族たちが、群れで襲い掛かった。
対応できない。反応できない。無防備なワタシなど気にも留めず、ヤツらは牙を向ける。もう駄目だと、ワタシは目を瞑った。
グチャリッ、グチャリッ、牙が肉に刺さる音が聞こえた。
しかし痛みがない。目を開けると、そこには、ワタシを庇って亜竜族たちの牙を受け止めるガレアが居た。
「ガ・・・レア、さん・・・ッ!」
「やって・・・みせるんだろッ!!グァ・・・ッ!殻を・・・ぶち破ってみろよォッ!!」
噛みつく亜竜族を大剣で薙ぎ払い、最後の竜咆哮を使用し、取り巻きの意識を再び自分へと向けさせた。
血反吐を吐き捨て、ワタシは起き上がった。呼吸も浅い、視界も霞んでいる、でも、体は動く。それだけでよかった。
ワタシが長を睨み付ければ、長は唾をまき散らしながら咆えた。
そして口を開き向かってくる。長の素早い噛みつきを、振るわれる尻尾を、フラフラな体で必死に回避しながら、考えるのではなく、願った。
『双雷神様。我儘を承知で、お願いします・・・。どうか、一撃。次の一撃に、力を・・・ッ!』
囁くような声が、ワタシの耳に聴こえてきた。
最初は微かで、聞き取れなかった。しかし、段々とその声は大きくなった。
「私たちは、二人で一人」
「私たちは、二つで一つ」
「個々の力は、弱くても」
「重なり合えば、強くなる」
今にも切れそうな線一本で繋がった意識の中、聴こえた双雷神の声。伝わった。理解した。そして、決めた。
「次の一撃が最後・・・。狙うのは、牙での攻撃を仕掛けたときッ!」
尻尾による攻撃を避け、タックルを警戒しながら、ワタシは長が噛みつきやすいポイントに居続けた。
そして狙ってきた噛みつき攻撃。不意打ちのタックルを警戒し、牙がワタシの肩に刺さった瞬間、口の中に左手をぶち込んだ。
牙は腕の肉にブレーキを掛け、喉奥へダメージは通らなかった。
ギチリッ、ギチリッ、徐々に潰される左腕。しかし、ワタシは左手で舌をガッチリと掴み、逃がさぬように捕まえた。
「・・・左腕は差し上げます。この一撃に、アナタが耐えられればの話ですが・・・ッ!!」
バジッ!バジッ!尾に宿っていた電撃が、体を伝い、右拳へと集束する。それは、既に宿した稲妻と交わり、マゼンタ色の雷へと変化した。
右拳に恐怖した長は、逃げ出そうと暴れる。しかし決して逃がさない。舌は決して放さなかった。
ズゴォォオオオオオオオンッ!!
全身全霊で振るった右拳は、長の牙を、顔面を捉え、グチャグチャに砕いた。
雷の如き破壊力の一撃は、長を宙に浮かせ、数メートル先の壁に激突させた。
倒れた長からは、シュウシュウと湯気が浮き出ていた。
長を倒した。長より強い者がいる。それを瞬時に理解した他の亜竜族たちは、ガレアから離れ、洞窟の外へと逃げて行った。
ワタシは、左腕に刺さったままの牙を抜き捨て、ボロボロのガレアの下まで足を引きずり走った。
「だ、大丈夫・・・ですかッ!」
ガレアはワタシ以上の重傷だった。腕に肩、足の肉が噛みちぎられ、骨が露出している部分もあった。
しかし、ガレアは平気なフリをして立ち上がり、余裕を見せるように肩を回した。
「ッだぁぁああ、やっぱあの課題は簡単過ぎたみてぇだな。オレは絶対に倒れねぇからな!ガッハッハッ!」
「何言ってるんですか!こんなにボロボロになって・・・っ。交戦を控えて、逃げ回ればもっと怪我は減らせたはず、なんで逃げずに戦ったんですか!」
「はぁ?オマエこそ何言ってんだ!逃げ回ったら清浄草が踏みつぶされちまうだろうが!守りながら戦ってたんだよ!それに何人だろうが、格下相手に引っ込むわけにはいかねぇだろ!」
本当にこの人は、ワタシよりも遥か上に立っている冒険者だと感じた。
ワタシだけじゃなく、清浄草も、自分のプライドも、守れるありとあらゆるを守り貫いた。
経験や失敗がそれほど強くしたのかもしれない。けれど、きっと生半可なモノではない。常人なら心身が壊れてしまうほどの道を歩んでそこにたどり着いたのだろう。
この人は間違いなく、強くて優しい、一流の冒険者だ。
「あっ、ポーション飲みますよね!どうぞ!」
「この程度の傷なら要らねぇよ。オマエのが重傷だろ。飲めよ」
差し出したポーションを、ガレアは押し返した。
それにムッと顔をしかめた後、ワタシは一つ思い出したことを実行した。
カバンから一つの水袋を取り出し、その中へポーションを注ぎ込んで、軽く揺らした。
チャポン、チャポン、小気味いい音が響く。それをガレアへと手渡した。
「はい!どうぞ!」
「だから要らねぇって、なにしたか知らねぇ・・・が・・・」
水袋の栓を開け、匂いを嗅がせれば、ガレアはすぐに気づいた。
「オマエ、これリキュールナッツの・・・」
「えへへ、ワタシにくれた分を半分だけ残して、予備の水袋に溜めておいたんです。これなら飲んでくれますよね?」
少し困った表情を浮かべたガレアだったが、酒好きのプライドを守るためか、単純に飲みたかったのか、水袋を受け取り、コキュッ、コキュッ、と飲み干した。
「・・・ハッ、冒険者としてだけじゃなく、女としても磨きが掛かってきたじゃねぇか。これでオマエも、晴れてひよっこだ」
「ッ・・・!?ほ、ほら!そろそろ帰りましょう!傷はちゃんと診て貰わないといけませんし!リキュールナッツの鮮度とかもあるでしょうし!」
恥ずかしさのあまりあたふたとしながら、ワタシは立ち上がった。
そうだなと言わんばかりに、ガレアも立ち上がり、守り抜いた清浄草を一叢抜き取り、袋にしまうと、洞窟を後にした。
そのままグロウツリー森林から一番近くの村にある馬車に乗り、ワタシたちの街、エンバース地方へと帰った。
治療を終え、依頼達成の報酬を受け取り、ワタシとガレアが酒場に向かうと、ガレアの下に沢山の冒険者が集まって来た。
労いの言葉や、尊敬の言葉が向けられる中、ガレアはワタシの頭をワシャワシャと撫でながら言った。
「今回の依頼は、マゼンタが居なきゃ達成できなかった。ってか、オレは死んでたかもな。前にコイツを笑ったことは撤回するぜ。期待の新人だ!これからは同じ冒険者として、仲間として大切にしてやれ!いいな、オマエら?」
ガレアを慕っている冒険者たち、過去にワタシを笑った冒険者たちは、ワタシに謝罪とよろしくの言葉を告げて、受け入れてくれた。
ワタシは、涙が止まらなかった。前世を含めた過去に、これほどの温もりを味わったことがなかったからだ。
「みなさん!まだまだ未熟者ですが、これからよろしくお願いします!」
その後、皆で食べた食事は美味しかった。血の繋がりはない、契約を交わしたわけでもない、それでもきっと、これが家族というものなのだろうと、そう感じた。
この温かい空気に呑まれ、忘れない内にと、ワタシは酒場の隅で塩焼きの肉を食べるブリザーデの隣に座った。
「達成してきました!」
ブリザーデは、ワタシの報告を聞くと、皿に乗ったもう一つの骨付き肉を渡してきた。
「よくやった」
「ありがとうございます!」
肉と褒められたことへの感謝を述べ、肉を食べながらワタシは尋ねた。
「なんで、ガレアさんを同行させたんですか?不仲、だったからですか?」
「近いが違う。ガレアがオマエへ抱く印象に気づいて欲しかった」
「ガレアさんからの印象、ですか。でも、教えてくれるかどうかなんてわからなかったでしょうし、どうして・・・」
「亜竜族との戦闘になれば、必ずガレアは竜咆哮を使うとわかっていた。そして、この技で格下が怯んで鈍重になるだのと自慢気に語ることもな」
「はい、確かに使用してました。それに、状況が状況だったので自慢気にではありませんが、技のことも教えてくれました。でも、それがワタシへの印象とどう繋がるんです?」
ブリザーデは、肉を齧り尽くして飲み込むと、骨を皿に置いて答えを出した。
「竜咆哮を聞いたとき、オマエは鈍重になったか?」
「あ・・・っ!?」
そう、なっていないのだ。ワタシは二度、彼の技を聞いている。しかし効果が表れたことは一度もなかったのだ。
「そういうことだ。ワタシは先に風呂へ行く。オマエも疲れを落とせ」
器をキッチンへ返し、去って行ったあと、ワタシはガレアの言葉を思い出した。
“ブリザーデやアデリアさんなら、数段上手い作戦を練るぜ”。
ここまで計算できる彼女とは、まだまだ力量に差があり過ぎる。知識、経験、基礎技術、応用技術など、全てに天と地ほどの差があることを感じた。
この冒険もまだ、一歩に過ぎない。しかし、着実な一歩だった。
出し惜しまない。使える全てを使う。今回はそれらを学べた。これから自分はどう成長するのか、今からワタシは楽しみで仕方がなかった。