91.テティの秘密
王都の南東に広がる森。
森に入ってすぐの、木漏れ日が心地よく差し込む場所。
下草も生えておらず、視界の見通しは良かった。
シェリルが平らな地面に壷を置いた。中に水をそそぐ。
さらに枯れ枝を集めて火をつけた。
何かぶつぶつと呟く。呪文らしい。
それから背筋を伸ばして立つと、テティをまっすぐな視線で見た。整った顔立ちが凛々しい。
「さて。まずはエルフの基本。仲良くなってくれる精霊を探します。魂友とも言います。今、この周囲に火水風土の精霊を呼びました。テティには見えますか?」
テティは目を細めて周囲を見る。
緑の葉を茂らせる木々や、茶色の地面。また壷の中の水やたき火。
それらを眉間にしわを寄せて見つめていた。
俺は気になったのでシェリルに尋ねる。
「エルフってすべての精霊を使役するんじゃないのか?」
「精霊術師として研鑽を積めば可能ですが、基本は自分と波長の合う友達を作ることです。魂友がいるとその属性の精霊魔法が使いやすくなりますし、効果も上がります」
「そうなのか。テティにもいるといいな」
俺はテティを応援した。
けれど、しばらく周囲を見ていた彼女は悲しそうな顔で首を振った。
「見えない。あたし、この子しか見えない」
自分の隣にある何もない空間を指さした。
俺は精霊使いじゃないので見えなくて当然だが、シェリルは形の良い眉をひそめた。
「そこには何もいないはずですが? 何かいるとしても、それは精霊ではないのでは?」
「いるってば! ねー、アイちゃん? ――ほら、アイちゃんもうなずいてくれてるよ?」
テティは微笑んで答えた。
しかしシェリルの眉がますます寄る。眉間に深いしわができた。
「いったいあなた、何と話しているの……?」
「え? 精霊だけど?」
「精霊現出の術を使ったから見えやすくなってるけど、精霊使いの私にすら何も見えないわ……まさか、あなた悪魔と――」
シェリルが疑惑に満ちた眼差しをしつつ一歩引いた。
テティが何もない空間を指さすと、幼い顔を歪めて必死で訴える。
「違う、ここにいるの! 本当に私は精霊とお話してるのっ! みんな、いっつもそう! どうして誰も信じてくれないのっ!」
「信じたくても見えないんじゃ……悪魔は精霊を使役するわ」
「そんなっ!」
テティは悲痛な表情で叫ぶ。目の端に浮かぶ涙が木漏れ日にきらりと光った。
俺はまあまあ、とシェリルをなだめる。
「テティが『いる』って言うんだから、信じてあげてもいいんじゃないか? テティは悪い子じゃないんだから」
「ありがとう、アレクさま……っ」
テティが瞳を潤ませつつも笑顔で俺を見た。
俺は頷きつつ尋ねる。
「ちなみにテティの見えてる精霊は、どんな姿なんだ?」
「えっと、白くて透明で、消えてるんだけど、やっぱ白いの。あたしも今はぶっちゃけ見えにくいけど……でもお話しできるのはこの子だけだから」
テティが淡々と説明すると、シェリルの眉間に美しいしわが寄っていく。
「白くて透明……そんな精霊いない。……いえ、待って。その精霊、冬になると見えやすくなる?」
「うん、寒くなっても透明だけど輪郭がはっきりするよ? 声も聞こえるようになるし」
テティは涙を拭いつつ素直に答えた。
シェリルは唇に手を当てつつ思案深げに答える。
「まさかあなた、まさか……でも今は春なのに――ねえ、今から言う呪文、私に続いて唱えてみて?」
「うん」
「狙うのはあの木ね――我が名と共にある氷の精霊よ……」
少し離れた木を指さすと、シェリルがいつもよりゆっくりと言葉を紡ぐ。
テティは一字一句間違えることなく復唱する。
「わがなと ともにある こおりの せいれいよ……」
「すべてを留める静かなる息吹に、激流たる神羅万象を封じ止めよ! ――氷柱棺!」
「ふうじとめよ――あいすこふゅん!」
――カッ!
少し離れた場所に生えていた背の低い木が、一瞬にして氷に包まれた。
パキパキッと涼しげな音を立てて、木が分厚い氷の中に閉じ込められる。
「やった! すごい! できた!」
テティが嬉しそうに片手を上げて、その場で小さくジャンプした。
金髪とスカートの裾がふわりと広がり、小鹿のように細い足がすらりとのぞく。
だがシェリルは翡翠色の瞳を、驚愕で見開いていた。
美しい唇がわなわなと震える。
「あ、あなた……森エルフじゃないのね! 雪エルフだわ! 信じられないっ!」
「「雪エルフ?」」
俺とテティの声が重なった。聞いたことのない単語だった。
シェリルは驚きの表情のまま、俺とテティを見て何度も頷く。
「一般的にエルフと呼ばれている者たちは、ほぼ森エルフです。森で暮らしているエルフになります。それ以外にも海エルフ、空エルフ、砂エルフがいます。この三部族は他種族とほとんど交流がありません。そして北方にある一年中雪が溶けない地域に、雪エルフが住んでいました」
「いました。って、過去形か」
思わず俺は疑問を呟く。
するとシェリルが俺を見て、凛々しい表情で頷いた。
「はい、絶滅したと言われています。大昔、極北に突然、巨霜の魔王が現れて壊滅的な被害を受けました。生き残った雪エルフは南方へと逃げたのですが、暑い地域では生活環境が合わなくて、結局滅んだと言われます」
「そうだったのか。テティはその生き残りか」
「ええー、知らなかった……ん? 待ってよ。お父さんは森に住むエルフだったよ? お母さんは人間だし」
テティが可愛く首を傾げた。
シェリルが頷きながら答える。
「先祖に雪エルフがいて、先祖がえりをしたのでしょう。めったにありませんが聞いたことがあります。ちなみに雪エルフは氷と雪の魔法が得意で、暑さは苦手になります」
「そっかー、そうなんだ――だからあたし、お風呂が苦手だったのかも……」
「ああ、風呂で溶けそうって言ってたもんな。今度から水風呂にしてもらうといい」
俺の言葉にテティは笑顔で頷いた。金髪が跳ねるように揺れる。
「うん! コウちゃんにお願いしてみる! ――じゃあ、この子は雪か氷の精霊なのかな? 冬になるともう一人増えるけど」
真横を見て尋ねる。
シェリルは頷いた。
「冬でないと私には見えませんが、おそらく氷でしょう。氷の精霊は水と炎を操ります」
「え? 氷なのに炎も使えるの? 冷たいのに」
「火ではなく炎です。物を加熱したり燃やしたりするのは精霊力を与えるということなのです。逆に精霊力を奪うと停止したり凍ったりします。火では出来ませんが炎ならできます」
「そうなんだ。よくわからないけど」
「あと雪の精霊は、水と炎に加えて風も操ります」
「えー! 一人で三つ使えるなんて、とってもお得じゃん!」
テティが目を大きく見開いた。でもどことなく嬉しそうだ。
精霊すらまともに扱えないハーフエルフとみんなに思われていた。
悪魔を従えてるとさえ思われて虐げられていた。
もう怯えることはなくなった。
これからは雪エルフとして胸を張って生きていける。
だから嬉しいんだろう。
ぴょこぴょこと飛び跳ねるように体を揺らすテティは、こらえきれない笑みが顔に浮かんでいた。
シェリルがパンっと手を叩く。
するとたき火が消えた。
「仲の良い精霊もわかったので、今日のところは終わりにします。氷魔法の練習の用意はしてきてませんので、明日までに整えておきます」
「はい! シェリル先生! お願いします!」
「せ、先生……わかったわテティ。ビシバシ教えるから……それと疑ってごめんなさいね」
「ううん、あたしが特殊ってのはわかったから、もういいの! ありがと、先生!」
テティが手を上げて元気に応えた。
俺は壷をしまうシェリルに話しかける。
「何か用意するならお金がいるだろう? 先に渡しとくよ。残りは宿代にでもしてくれ」
大金貨を2枚渡す。
シェリルはほっそりした手で握ると微笑んだ。
「わかりました。出来るだけのことをしますから」
「これからも練習は森でするのか?」
「いえ、今後は方針も定まったことですし、冒険者ギルドの練習場を借りて訓練しようかと思います」
「ギルドなら店から近いな。よろしく頼む」
「はい、アレクさま」
シェリルが頭を下げた。金髪が流れるように垂れる。
テティが跳ねながら傍へ来て俺の腕を掴んだ。
「これであたしも少しはアレクさまの役に立てるかなぁ?」
「もう十分たってるよ。いつもありがとうな」
「ほんとに!? 嬉しいっ」
頭をなでてやるとぴょんぴょん飛び跳ねて喜んだ。
さっきからよくしてる跳ねる仕草が何かに似てると思ったが、ペガサスのシエルだとふと気が付いた。
――自分の力がわかって、友達もできて。
どんどんテティの不安の原因が消えていく。
いい子に育ちそうだと思ったら、少し心が楽しくなった。
そして笑顔の絶えないテティと手を繋いで、俺とシェリルは王都へと戻る。
帰路の間、テティはずっと氷魔法についてシェリルに尋ねていた。声を弾ませながら。
明日と言いながら一日開いてしまいました、すみません。
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