77.閑話 あの時のエドガー・後編
ヤマタ国の対岸にある絹の国セリカに着いた時には、もう日が沈んで星空が見えていた。
エドガーは、念のためにノバラ姫を背負って港まで行くものの、ヤマタ国行きの船はすべて出払っていた。
それよりも驚きの情報にエドガーとノバラ姫は声を揃えて驚愕した。
「なんですって!? 天下統一された!?」「それは、まことか!?」
「ええ、もう五年ぐらい前に。カンム衆のミコトって人が成し遂げましたね」
「カンム衆が!? いったいどうしてです!」
カンム衆(神武衆)とはキョウ、オサカ、コベ、を押さえる小さな部族。ただ神の血を引く最古の豪族と言うだけで、形ばかりの権威が認められているに過ぎなかった。
一方でエドガーと姫の属するミカワリ衆(三河張衆)は、ヤマタ国の中央から東にかけての広い範囲を収める豊かな部族。しかも覇を競うアズ衆(安土衆)と同盟を結んだことにより、ヤマタ国最大勢力となったはずだった。
船員風の男は答える。
「神の血を引くと噂のミコト様が、神通力を使ってカンム衆を盛り立てたんだ。天下分け目の戦いでミカワリとアズとムダテの連合軍を破ったんだよ」
「……じゃあ、ミカワリ衆はどうなったっす? お取り潰し?」
戦に負けた方は責任を取って、打ち首や切腹などを命じられることが多い。
エドガーの背に乗るノバラ姫が、ちっちゃな手で彼の服を心配そうにぎゅっと掴んだ。
船着き場の男は笑顔で答える。
「なんだい、あんたミカワリ衆出身かい? 安心しなよ。ミコト様は、そりゃあお優しいお方だから。当主に蟄居を命じたぐらいで、あとは全員お咎めなしさ。地位もだいたい同じ職務についている。打ち首や腹切りは一人もないね」
「なんでです!? ありえないっすよ、それ」
「もう血で血を洗う時代は終わりにしましょう、だってよ。これからは名物や産業で競い合いましょう、ときたもんだ。国内の景気回復と各地の農業振興、特産物増産がおこなわれてる。諸外国との貿易も激増した。まさに太平の世だよ。稀代の名君とか、善王とか呼ばれてるね」
「そうっすか……ありがとっす」
エドガーは礼を言ってその場を離れた。
ノバラ姫がそっと声をかける。
「どうするつもりじゃ?」
「事情を話せば、姫は帰郷できそうっすね」
「……アズマは?」
「俺っちのいらない世の中になったみたいで、よかったっすよ」
へへっ、とエドガーは安堵と寂しさを交えた声で笑った。
ノバラ姫が眉をハの字にして考え込んでいた。
しかしすぐに強気な笑みを浮かべた。
「では心配もなくなったことではあるし、おいしいものでも食べるのじゃっ」
「おっ、姫。何か食べたいものでも?」
「うむ! セリカの小さい肉まんじゅうが、食べたくなったのじゃ!」
「小籠包っすね、りょかいっす――ついでに明日の切符も買っときましょう」
エドガーは切符売り場の店員に話しかけて船の切符を買うと、港を離れた。
ノバラ姫は、離れたがらなさそうに、ぐりぐりとエドガーの背中に額をこすりつけていた。
◇ ◇ ◇
夕暮れ時のヤマタ国の都キョウ。
まっすぐな道路が東西と南北にいくつも通っていて、碁盤の目のように直角に交差している。
神社仏閣以外は平屋建ての建物が多く、夕日に赤く染まっていた。
その街の一角にある平屋建てのミカワリ衆当主の屋敷前に、エドガーとノバラ姫がいた。
二人の前には閉ざされた門がある。
ノバラ姫は心配そうな顔でエドガーを見上げ、彼の服の裾を小さな手でつかんだ。
「大丈夫かのう……?」
「姫は何も心配いらないっすよ」
「そうではないのじゃ。アズマが心配なのじゃっ」
姫の言葉に、エドガーがぼさぼさの髪に隠れた眼を細めて微笑む。
「それこそ心配いらないっす。俺っちは強いっすから」
「そうじゃが……」
ノバラ姫はおかっぱ頭を揺らして口ごもっていた。
すると屋敷の門がゆっくりと開いた。
門の内側に立っていた和服を着た女性が、二人を見るなり息をのむ。
「あ……姫様、アズマ様、お帰りなさいませ……。お館様がお待ちでございます」
女性が一礼をしながら言った。
エドガーとノバラ姫が門をくぐる。
女性が先に立って案内すると、エドガーが後ろから声をかけた。
「今のお館様はどなたっすか?」
「ええっと、アズマ様がおられたあと、いろいろありまして。今は長男のヒデタ様がお継ぎになられています」
「そうっすか……随分と様変わりしたんすね……」
エドガーは屋敷の廊下を歩きながら辺りを見回していた。
それから屋敷の庭に出た。
エドガーは廊下から庭に降りて片膝をついてかしこまった。
ノバラ姫は庭に面した廊下に正座する。
腰に刀を差した男がやってきて障子の傍でかしこまる。
「ヒデタ様。アズマとノバラ姫がお帰りになられましたでございます」
そう言って障子を開けた。
部屋の奥から短い髪で体格の良い中年男性が出てくる。
「久しぶりだな、アズマ……生きておったのか」
「お久しぶりでございます、ヒデタ様」
エドガーは深く頭を下げる。
ヒデタは廊下に正座する小さい少女ノバラ姫に目を止める。
「面妖な……死んだはずでは?」
エドガーが顔を上げて重い口を開く。
「異国には死者を生き返らせる術を使う者がおります」
「なるほど……そのために国を抜けたか」
「どんな処分も受けるっす。姫は無関係です。すべては俺が勝手にやったこと。どうか姫の命だけはお助けください」
エドガーは地面に両手をついて、額を付けた。
ヒデタは眉間に深いしわを寄せて嫌そうに顔をしかめると、土下座するエドガーと近くで正座する小さな姫を交互に見た。
それから、溜息を吐くと肩の力を抜いた。
「わかった……姫は丁重に扱おう」
「ありがとうございます!」
エドガーは何度も頭を下げる。
ヒデタは顔をしかめて顎を撫でた。
「それにミコト様は不要な流血を望まぬお方。誠意をもって接すれば、アズマの処分も軽く済むはずだ」
正座するノバラ姫が、ふわぁと花が開くように顔を緩めて笑う。
「それはよかったのじゃ……」
「ただし、姫を国外へ連れ出したこと、また怪しげな禁術を施したこと。どう裁定してよいか、もうミカワリ衆では判断付かぬ。ミコト様にお伺いを奉ろう」
「わかりました……どんな判断でも受けますし、もう俺っちをミカワリ衆とは無関係と切り捨ててもらっても構わないっす」
「それが一番かもな。……ともあれ妹のためにご苦労であった。よきにはからえ」
「ははっ、ありがたきお言葉!」
「では二人とも、今日のところは下がっておれ」
エドガーは深々と頭を下げる。
ヒデタは踵を返して部屋へと戻っていった。
侍従がやってきてノバラ姫を立たせた。
部屋へと案内しようとする。
一度は従ったノバラ姫であったが、急に声を上げた。
「あ、そうじゃ! ――褒美を!」
ノバラ姫は突然、庭に飛び降りた。
雑草の中に咲く小さなスミレ草に駆け寄って手折る。
そしておかっぱ髪をサラッと広げて、笑顔で振り返った。
しかしもう、広い庭にエドガーの姿はなかった。
ノバラ姫は幼い笑顔を凍り付かせて、スミレ草を小さな手で握りしめた。
「行ってしもうた……褒美を、受けずに……生きて帰って来るであろ? アズマ……」
侍従の者に声を掛けられて、ノバラ姫はすごすごと廊下へと戻った。
姫は何度も振り返って庭や外を眺めるものの、もうエドガーのぼさぼさ髪は見つけられなかった。
『閑話 あの時のエドガー 〈終〉』
→72話&73話へと続く。
エドガーの話でした。
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次話は夜更新。
→78.はしたない聖獣の森(第三章プロローグ)




