57.終わるマリウスと魔王様
ある日の辺境のフォーライト領。
年老いたコスタスが書斎でイスに座りながら、そわそわしていた。
顔色が悪く落ち着かない。
居ても立っても居られない様子。
するとネフィルが書斎に入ってきた。
「ご主人様、今日の魔物退治も終えましたでございます」
「おお、待っておったぞ、ネフィル! さ、さあ! こっちへ」
コスタスは腰の帯を解きながらいやらしい笑みをしわくちゃな顔に浮かべる。
しかしネフィルが事務的な態度で直立した。いつもの色気を一切感じさせない。
「ご主人様、そろそろ契約期間が終わりです。奴隷商に帰りますわ」
「な、なんだと!? ――ま、待ってくれ! 魔物はまだいる! そなたの力がなければ、領地運営は考えられない!」
「でも、契約ですから」
ネフィルはふっくらとした唇を歪めて、ニヤリと笑う。
コスタスは禿げあがった頭を下げるしかない。
「た、頼む……もう少しいてくれ」
ネフィルがゆっくりとした足取りでコスタスに近づく。
蛇がカエルを見つけたような、妖艶な笑みを浮かべて。
「では、ご主人様、契約を延長なさりたかったら、こちらの書類にもサインをくださいまし」
「こ、これは! 遺言状!? 死んだら財産を譲る、だと! ――こんな契約は飲めない!」
「でしたら私は、奴隷商の下へ帰るまでです。今までありがとうござ――」
ネフィルが言い終える前に、コスタスがスレンダーな肢体に飛びつく。
「ま、待ってくれ! その書類にサインすれば、傍にいてくれるんだな!?」
「――ええ、死ぬまでずっと、傍にいてあげますわ」
ネフィルは妖艶に笑うと、コスタスの衰えた頬にキスをした。
彼の服を脱がしつつ、床に座らせる。
その上にまたがってスカート越しに腰を動かす。
「さあ、サインを」
「くぅっ! ネフィル、絶対だぞっ!」
「ええ、もちろん」
コスタスはネフィルの鍛え上げられた細身の肢体にむしゃぶりつきつつ、書類にサインをした。
ネフィルは歓喜に震えた笑顔で抱き着く。
「ああ、素敵ですわご主人さまっ!」
「ネフィル、もっとだ、ネフィル!」
ネフィルは今までになく激しく動いた。舌を入れて濃厚なキスをする。
透明な唾液が絡み合う。
コスタスは呼吸を荒らげながら若い肢体にしがみつき、唇を吸う。
その日は、明け方までネフィルはコスタスを楽しませた。それはもう何度も。
――そして、次の日。
朝、コスタスがいつまで起きないのを不審に思ったメイドが書斎を訪れた。
コスタスは全裸のまま、床に転がって息絶えていた。
メイドが叫ぶ。
「いやぁぁぁ! ご主人様が、ご主人さまがっ!」
メイドが屋敷の廊下を駆けて行く。
そのころにはもう、ネフィルは屋敷を出ていた。
街道を軽快に歩きながら色っぽい笑みを浮かべる。
「ふふっ、奥さんがいるのに浮気する男は死ねばいいの……」
それから手に持つ書類の束に目を落とした。
赤い唇を舐めつつ眺める。
「ふ~ん。たったの6000万ゴートかぁ。貴族にしちゃ、しょぼいわね……。でも1億6500万たまったわ。十年若返り出来るっ。奴隷商へ行か――あ、その前にクスリ補充しなきゃっ」
ネフィルは純真な少女のように笑うと、スキップをしながら荒野を歩いていった。
◇ ◇ ◇
その後の、ある朝。
マリウスが個室で寝ていると突然、看守が扉を開けた。
驚きつつもマリウスがベッドの中で顔を上げる。
「……ん。いったいなんです、こんな朝早くから?」
「フォーライト家は領地経営に失敗して破産した。もうお前に送金してくれるものなどいない。大部屋に移れ!」
「え、ええ?」
途惑っているマリウスなど無視して、看守はマリウスの腕を掴んで大部屋へと連れて行った。
むさくるしい男たちが所狭しと並ぶ大部屋。
マリウスが入って来ると、ギラギラした目で見つめた。
看守が言う。
「金のなくなったお前は、もう特別扱いされないからな。……お前たち、仲良くしろよ」
「「「は~い」」」
男たちが野太い声を揃えて気前よく返事した。
マリウスの後ろで鉄格子が締められる。
すると体格のいい男が服を両手で広げながら近寄ってきた。
「マリウスちゃ~ん。服汚れっぱなしじゃんか。俺の寝巻、貸してやろうか?」
男の手には大柄な女性用のドレスが握られていた。
マリウスは端正な顔をしかめつつ、振り払う。
「やめろ! 近づくな! 僕は選ばれしエリートなんだ!」
しかし男たちがじりじりと取り囲む輪を狭めてくる。
「仲良くしようぜぇ……」「同じ囚人じゃねぇか」「長い刑期なんだ、楽しまねぇとなあ」「慣れりゃ最高だぜ?」「俺のケツ使いなよ?」
男の武骨な手が、マリウスを掴む。
それも一つだけじゃなく、二つ三つと増えていく。
必死で振り払おうとするものの、男たちは伊達にモンスターと日夜戦い続けたわけではない。
冒険者ランクで言えばAランクがごろごろいた。
マリウスは美しい顔を恐慌で歪めて叫ぶ。
「う――うわ……うわぁぁぁ!」
「誰かの生を感じねぇと、ここ死の谷じゃガチで死んじまうんだぜ? てめぇは20年もここにいるんだろ? おら、ネイキッドな森の妖精を堪能しろよ」
「ふぐぅっ! なんで、何で僕がこんなことに……地獄、この世の地獄――ぐわぁぁぁ!」
大部屋に漂う汗と熱い吐息は、いつまでも終わらず。
マリウスは悔し涙を流しながら呪詛を吐き続けた。
◇ ◇ ◇
一方そのころ魔界では。
魔王城から少し離れた崖にある印刷工場を、魔王は大魔導師ゴーブを引き連れて見回っていた。
魔物たちが輪転機を回している。
魔王は彼らを眺めつつ、声をかけた。
「頑張っておるか、我が優秀なる部下たちよ!」
「「「はいっ、魔王様!」」」
「今は文化面からの侵略のみだが、いずれ地上界へ大攻勢に出る! そのための資金作りだ! 世界地図もすでに作った! 頼んだぞ!」
「「「はい! さすがです、魔王様!」」」
魔物や魔族たちは、額に汗を光らせながら笑顔で魔王に応える。
魔王の傍にいるゴーブが言う。
「世界征服という大いなる目的が、もうすぐ叶いますね、魔王様!」
「世界征服? そんなもの、部下たちの暮らしのためであって、我輩にはどうでもよい。我輩にとっては世界征服はただの手段!」
「え!? 世界征服が手段!? てっきり魔王様の目的は世界征服かと……聞いてもよろしいでしょうか、魔王様?」
「なんだ? 何でも言ってみよ」
「魔王様の真の目的とはなんでござりましょう?」
「そんなもの、神の頬をぶん殴ってやる! それが我輩の目標だ!」
「か、神殺しが魔王様の目的だったとは! すべてを手に入れる、さすが魔王様!」
「残念だが、それも違う」
「え?」
きょとんと首を傾げるゴーブ。
魔王は、鋭い目つきを光らせながらゴーブを見下ろす。
「貴様はゴブリンソーサラーでDランクだったな」
「は、はい」
戸惑いながらも答えるゴーブ。
魔王は工場で働く魔物たちを見ていく。
「あそこの奴はAランク、あっちはCランク」
「そうでございます、魔王様」
「それでいいのか?」
「え……、といいますと?」
不思議そうに首を傾げたゴーブに、魔王は目を光らせて叫ぶ。
「疑問に思わないのかと聞いている! 貴様はDランクでありながら、その知識と知恵は魔王軍屈指! 寝る間も惜しんで勉学に励み、努力に努力を重ねた姿を知っておる! 我輩がもっとも信頼する部下だ! それなのにDランクのまま! 魔物のランクは、ただ戦闘面での強さしか反映しておらん!」
「そ、そうでございますが……」
「我輩は納得がいかん! どんな魔物であれ、魔獣であれ、生まれ持った才能は多方面! 絵心がある者もいれば、計算が得意な者もいる! なのにランクは低い! これではまるで、人間に倒されるためにランク付けされているようではないか! 何なのだ、我々の存在意義は! ――いや、そうなのであろう! 我々は神によって、人々が倒すべき存在として生み出されたにすぎん!」
「ま、魔王様……どうされるおつもりで……?」
「だから我輩は逆らう! 天に向かって拳を上げる! このくそったれなランクシステム制度を作った神をぶっとばさないと、我輩の気が済まん!」
「で、できますのでしょうか、そこまで……」
「できるのかじゃない、やるのだ! 我輩は絶対にぶっ飛ばす! ……そして魔物たちは戦いの強さだけでなく、才能も加味したランク制度に作り替えてやる! いつの日か、魔王軍に参加するすべての魔物たちが、正当な評価を受ける世界にしてやる! それが魔王軍を率いる魔王たる我輩の目標――いや、夢だッ!」
魔王は拳を、ぐっと握りしめて心から叫んだ。
ゴーブが大粒の涙をこぼしつつ言う。
「ま、魔王さまぁ……ついていきますっ……。どこまでもついていきますっ!」
「さすがです、魔王様!」「俺たちの魔王様!」「魔王様についてきて本当に良かった……っ!」
働いていた魔物たちが涙を流しながら叫んだ。
魔王は胸を反らしつつ、ギザ歯の口を大きく開けて高笑いする。
「フハハハハッ! 期待しておるぞ、我が忠臣たちよ!」
「うぅっ! ……魔王様、ばんじゃーい!」「ばんざーい!」「魔王様に栄光あれ! ばんざーい!」
魔王を称える声はいつまでも、まおまお印刷会社・本社工場に響き渡ったのだった。
『魔王様が泣きダッシュするまであと1日』
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