56.お風呂の愛
月が森を照らす夜。
治療を終え、食事を済ませた俺は、屋敷の風呂場でマットにうつ伏せで横たわっていた。
さすがに聖波気を使いすぎて、ぐったりしている。
すでにテティは自室に戻り、その隣には女僧侶の個室も作って泊まらせた。
しばらく世話をすることになりそうだ。
まあ優秀だからダンジョン的には問題ない。
うつ伏せになった俺の上には、下着姿の軽やかな天使がまたがって肩や背中をマッサージしてくれている。
彼女が動くたびに細いふとともが俺の両脇を締めて、張りのある素肌が柔らかく当たった。
「さすがに2100回は疲れたな」
「お疲れ様です、ご主人様っ」
リリシアの細い指先が俺の疲れを癒していく。
気持ちの良い指先に身を任せつつ、ふと気になったことを尋ねた。
「そう言えば、女僧侶は――」
「女僧侶って……ソフィシアさんですよ、ご主人様」
「そんなたいそうな名前があったのか……おおっ、リリシアと同じ『シア』だな。天使だからか」
俺は何気なく答えた。
ところがリリシアは、はぁ~と長い溜息を吐く。
「ご主人様。ソフィシアさんの名前を知らなかったことは、絶対彼女に言わないであげてくださいね?」
「ん? どうしてだ?」
「長い間一緒にいたのに名前すら覚えてもらえてなかったなんて知ったら、また負の感情が芽生えてしまいますから」
「確かにそうだな。ある意味、俺はひどい奴だ。――でも、勇者は女性と仲良くするなって言われてたから、できるだけ心から排除してたんだ」
「なるほど。それは仕方ありませんね……それで、話を途中で止めて申し訳ありません。言いかけたことは何だったのでしょう?」
「んや、たいしたことじゃない。ソフィシアが嫉妬なら、リリシアは何の罪で追放されたんだろうなって思っただけだ」
俺の問いかけに、リリシアの指先が止まった。
俺の背中に大きな双丘を押し付けてもたれてくる。
「わたくしの罪は……優しすぎたことです」
「優しさが罪? 美徳じゃないか」
「ええ、でも神様は。等しく優しさを振りまく私を断罪して追放しました」
そう言うと、溜息を吐いた。
首筋に息がかかり、銀髪もさらりと肌を滑ってくすぐったい。
俺は背中に乗る小さな体の大きな柔らかさに意識を囚われつつ、言った。
「俺はリリシアの優しさが好きだぞ。大好きだ」
「ありがとうございます、ますたぁ……」
彼女のいじらしい吐息が、俺を駆り立てる。
身じろぎして彼女を安全に降ろしつつ、俺は立ち上がった。
子機を掴んで通話する。
「コウ、用意してくれ」
『はーいです』
すると湯船に青く光る水が満たされた。
俺はエンプティウォーターに手を入れる。
後ろでは前かがみになったリリシアが不思議そうに首をかしげる。
「なにをされるのです?」
「俺たちもエリクサー風呂を試してみようと思ってな。あまりにも気持ちよさそうだったから」
「なるほど。試してなかったですね。どんな感じなのでしょう」
「じゃあ、さっそく行くぞ」
「はいっ」
俺たちは目を閉じた。そして気合を入れる。
光が瞼の裏を焼き、そして美しい光を放つエリクサー風呂が出来上がった。
まず俺から入ってみる。
少しとろみのあるお湯は、しっとりと体を包んでいく。
お湯の暖かさとともに、心地よさが体の芯までしみ込んでくる。
「おお……っ。これは癒されるな」
続いてリリシアが下着を取って生まれたままの姿になると、つま先からそろりそろりと湯船に浸けていく。
そして、華奢な体を震わせた。
「あぁ……んんんっ!」
ぎゅっと目を閉じて、両腕で体を抱きしめて震えをこらえた。
俺は不思議に思って尋ねた。
「どうしたんだ?」
「ご、ご主人様の中に入っていくような……抱きしめてくれてるような……あぁっ」
バサッと背中の翼が広がった。ピーンと翼の先まで伸びる。
――何もしてないのに翼が出た。
リリシアにとっては、やばい風呂なのかもしれない。
そして頬を火照らせながら、ゆっくりと肩まで沈んだ。
横長の湯船の中、向かい合って浸かる。
リリシアは頬を染めて微笑んで俺を見ていた。
「恥ずかしいですわ……」
「すべて見せてくれたじゃないか――何度も」
俺はリリシアに手を伸ばして抱き寄せた。
温かい風呂の中、お互いの肌がヌルッと密着する。
「きゃっ――ますたぁ……」
俺にもたれかかりながら、甘えるような声を出す。
背中の翼がバサバサと羽ばたく。
しばらくそのままお互いに抱き合っていた。
リリシアが目を閉じた笑顔で、満足そうに息を吐く。
「素晴らしいお湯ですわ……天界よりも気持ちが良いです」
「ああ、そうだな。これが天界か……」
俺は華奢な肢体を抱きしめつつ、お湯に浮かぶ双丘の柔らかさを感じていた。
でも、と思う。
心地よさに身をゆだねたリリシアは、蕩ける笑顔を浮かべている。
その表情が、どこか遠くに感じる。
存在が希薄に感じる――。
俺は彼女のすべすべした裸体を強く抱きしめた。
「リリシア、好きだっ」
「んぅ…………ますたぁ……?」
垂れ目がちのすみれ色の瞳で俺を見つめる。
整った顔は蕩ける表情であふれていた。
ますます腕に力を込める。
――俺はリリシアを失うことに臆病になっているのかもしれない。
「だからどこへも行かないでくれっ」
「あぁ……ごめんなさいっ。意識が遠くに行っていましたっ」
はうっとリリシアは俺の耳元で吐息を漏らした。
少し体を離して彼女の顔を見ると、俺は唇にキスをした。
んんっ――とリリシアが曇った声で喘ぐ。
翼が広がって、水音がパシャっと鳴った。
それからまた二人で互いの肌を確かめるように優しく抱き合った。
リリシアがぽつりと言う。
「でも、ありがとうございます」
「なにがだ?」
「もう少しでわたくしは自分の心も、ソフィシアさんも傷付けてしまうところでした……」
「あんなに焦ってたんだから、しかたないさ」
俺の慰めに、リリシアがくすっと笑う。
「でも意外でした」
「なにが?」
「てっきり男の人は、いろんな女性を抱きたいのだと思ってましたっ!」
俺はリリシアの耳に息を吹きかけつつ言う。
「まあな。確かに俺も男だ。ハーレムに興味がないと言ったら嘘になる。――でも、意識のない女性を抱くのは違う気がしたし、今は一人で十分だからな」
「どうしてでしょう?」
リリシアは可愛く首をかしげて尋ねてくる。でも美しい顔は、心なしか嬉しさで緩んでいた。
俺は彼女のなだらかな頬や、細いうなじにキスをしつつ耳元でささやく。
「そんなの、決まってる。灰色の人生を歩んでるとすら気付かなかった不幸な俺に、幸せ色を運んできてくれた天使。その天使だけを俺は一生涯、愛したい」
ぐすっとリリシアが涙目になって鼻をすすりあげた。
「ますたぁ……っ! 好きです、大好きです!」
「俺もだ、リリシア。――愛してるよ」
舌を絡める熱いキスをしながら、華奢な腰に腕を回して、ぐいっと力強く抱き寄せた。
リリシアの花びらのように可憐な唇の端から、切ない吐息がもれる。
「あぁ……っ! ご主人様ぁ――っ!」
その後は互いの愛を確かめ合うように肌を重ねた。
前に後ろに、ちゃぷちゃぷと水音を響かせつつ、時には壁に手を突かせて後ろから抱き締める。
大きな胸を震わせて、真っ白な翼を何度もピーンと伸ばさせた。
けれども水をはじく肌を桃色に上気させて、リリシアの乱れる姿は止まらない。
湯気のこもる風呂場に、リリシアの可愛い声が増幅するかのように反響し続けた。
◇ ◇ ◇
一方そのころ。
コウのダンジョンでは。
テティは自室にこもって頬を真っ赤に染めつつ、ベッドに寝ながら本を読んでいた。
あぁ……ぁんっ! とリリシアの声がかすかに響いてくる。
目を見開いて本に集中しようとしているが、声が聞こえるたびにテティの小柄な体がピクッと動く。
しまいには金髪を両手でわしゃわしゃかき乱して叫んだ。
「なんで! なんなの! 防音にしたじゃないっ!?」
真っ赤な頬をパンパンと両手で叩きつつ、テティはベッドから起き上がった。
扉まで行くとガチャっと開けた。
扉の外は丸い玉が鎮座する広間。
扉を開けたせいで、余計にリリシアの喘ぐ声が響いた。
長い耳の先まで真っ赤にしたテティは、少し肩を怒らせて球体に向かって歩いていく。
するとテティの部屋の隣にある扉が開いた。
頬を染めたソフィシアが、寝巻代わりのバスローブを揺らしながら出てきた。
「すごい、声ですね……」
「アレク様とリリシアさんは相思相愛のお似合いカップルだからしょーがないけど……問題はコウちゃんよ! 防音になってないじゃない!」
テティがコウに詰め寄った。
ソフィシアもコウの傍へ来る。
コウは球体表面を青い光で明滅させつつ反論した。
「防音自体はなってるです~。これでもしっかりちゃっかり王都には声が漏れてませんゆえ」
「うぅ……じゃあ、どうしてよ?」
「声がよく反響する場所で、熱烈合体しておりますゆえ~。どうしようもないです」
「え、どこ?」
「お風呂場です?」
コウの淡々とした答えに、テティとソフィシアは顔を見合わせて顔を真っ赤にした。
沈黙すると、また遠くから、あぁ……っ! とリリシアの歓喜の声が小さく響いてくる。
テティが辛そうに金髪をかきむしった。
「じゃあ、さ。防音効果を上げてくれない? 眠れないの」
「ますたーの許可が取れたら、防音効果をもっと上げるです~。今は我慢してです」
「うぅ……わかったわよ」
「しかたがありませんね……」
テティとソフィシアは肩を落としつつ苦笑した。
するとソフィシアが何かを閃いて笑顔になった。
「じゃあ、テティちゃん、一緒に寝ましょう?」
「えええっ! い、一緒にって、何する気なの!?」
テティは焦りつつ頬を染める。
ソフィシアは笑顔のまま両手を伸ばした。
「こうして、お互いに耳をふさぎ合いましょう」
「あ……」
ソフィシアの慈愛に満ちた手が、テティの両耳をふさぐ。
テティも、こくっとうなずいた。
「わかった、一緒に抑え合うね」
「はいっ」
こうして二人は一つの小部屋へと入っていった。
そしてベッドに寝るなり抱き合うような至近距離で、お互いの耳をふさぎ合って眠りについた。
すると慈愛に満ちた天使の体温が、テティの荒ぶる心を癒していく。
テティの寝顔はいつもよりずっと安らかだった。
――夢の中で母を思い出しているのかもしれなかった。
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次話は明日更新
→57.終わるマリウスと魔王様