136.真っ黒い空間
昼の日差しが田園地帯を照らす頃。
王都近郊に巨大な立方体が表れた。
一辺が数百メートルあり、色は真っ黒だった。まるで闇が固まったよう。
ちらほらと農夫や騎士が立方体の側にいてなにやら話し合っているのが見える。
俺もリリシアを連れて立方体の側へ来てみた。
見上げるほど高い垂直の壁。
畑との境がきれいに切り取られている。
「なんだこれ……」
「初めて見ますが、なにか禍々しい力を感じます」
リリシアが眉間にしわを寄せて立方体の壁を睨んでいた。
俺はそっと手を伸ばす。
おそるおそる指先で触れてみたが、岩のように堅い感触があるだけでなにも起きなかった。
「触っても大丈夫だな……この中にエドガーたちがいるっぽいな」
「子供たちは畑を荒らすイノシシを退治していたそうなので、きっと一緒にいるのでしょう」
俺は剣を抜いて黒い壁を叩いた。
かつかつっと固い音がするだけで、壁には傷一つ付かない。
続いて剣を腰だめに構えて、思いっきり気合いを入れて突いた。
「ハァッ!」
ガツンッ!
と大きな音が鳴ったが、壁に変化はない。
「邪悪な力が関係していても、俺の聖波気は効かないのか……」
「コウちゃんなら何か知ってるかもしれません」
「聞いてみよう」
俺は子機を出して耳に当てた。
「コウ、黒い立方体の側に来てみたんだが、邪悪な気配がするだけで何かまったくわからない。叩いてみても傷一つ付かない」
『ほほう。叩いているところを動画で撮影して、送ってもらってもよいです?』
「動画……リリシア、できるか?」
俺は子機を耳から離して彼女に尋ねた。
リリシアが自分の子機を取り出して立方体に向ける。
「はい、やってみます。撮影してますので、叩いてみてください」
「わかった」
俺は剣で黒い壁を叩いた。カンカンッと硬質な音がする。
リリシアが真剣な顔で子機を操作してから顔を上げた。
「コウちゃんに送りました」
子機からコウの声がした。
『ほー。これは物理的な硬さではねーです? 空間が断絶している硬さです?』
「どういうことだ?」
『この黒い立方体の中は、亜空間になってると思われるです。わかりやすく言えば、別の世界ですー。いっつ・あ・すもーるわーるど~』
「なんでそんなものが王都の傍に? 俺のせいか?」
『ますたーは関係なさそうです?』
隣にいたリリシアが、あっと声を上げた。
「魔王さんが来ましたよね!? あの人が何かしたのでは?」
「あいつか! ――でもこれの目的はなんだ? 中から何か出てくるのか? それとも」
『まったく見当つかぬです』
「コウでもわからないとなると、お手上げだな。中にいる人を出す方法はあるか? ダンジョンでつなぐとか」
『んー、設定しようとしても、できぬです。座標やIPアドレスがわからぬみたいな。バグっぽいです』
「じゃあ、中の人は永久に助け出せない、ということか?」
『そうなるです。そもそも中がどうなってるかすらわからぬです。水や空気すらないかもしれぬです』
「……怖いこと言うなぁ。生きてることを祈ろう」
俺は子機を切った。
寄り添って話を聞いていたリリシアが悲しげに眉尻を下げた。
「どうしましょう。エドガー隊のほかに、農夫の方や冒険者さんも複数閉じこめられているようです」
「困ったな。何かないか……ルベルやマッキーベルに聞いてみるか」
「魔女のコーデリアさんなら何か知っているかもしれません」
「ああ、そうか。あのばあさんならいろいろ知ってそうだ。よし、一度戻ろう」
「はいっ」
俺とリリシアは畑のあぜ道を通って王都へ向かった。
小走りだったため、リリシアの長い銀髪が後ろになびいてきらきらと輝いていた。
◇ ◇ ◇
一方そのころ。
亜空間の中では。
紫色の空の下、狼のような獣の形をした黒い影が動き回っていた。獲物を狙って襲いかかる。
獣が狙う先にはエドガー隊の子供たちがいた。大木の下で必死に闘っている。
眼鏡の少年モクが弓を引き絞りながら叫ぶ。
「みんな! 囲まれないように、左右に注意して! チャーナは大木を背にして絶対離れないで!」
「ふぁい! ――ふぇぇぇ、なんなのここぉ~!」
回復士の小柄な少女が涙目になりながら大木の傍で回復魔法を唱える。
回避剣士の少年ユーマが身軽に動きながらナイフを振るう。
鋭い一撃で獣の足を切り飛ばしたが、すぐに再生してしまった。
獣の牙を身をひるがえしてかわしつつ、ユーマはチッと舌打ちする。
「ダメだね。もっと高威力でないと」
「どいてどいて! ――でやぁ!」
少年戦士キーリが、柄の長い斧を先進を使って思いっきり叩きつけた。
ズバンッ!
と大きな音がして、影の獣は煙のように掻き消えた。
モクが眼鏡を光らせて叫ぶ。
「倒せるのはキーリの一撃だけ! あとのみんなは足止めに徹しよう! 足を狙うんだ!」
「「「りょーかい!」」」
ユーマとキーリ、そして探索者のシーマが声を揃えて答えた。
子供たちは一生懸命影の獣と戦う。
しかし倒す速度より、獣が集まってくる速度の方が早い。
絶望的な状況の中、それでも子供たちは歯を食いしばって戦い続けた。
エドガー隊長が来てくれることを信じて。
――が、しかし。戦いは長くは続かなかった。
周囲に増えすぎた影の獣に集中していたため、大木の上、枝を伝って移動する影の獣に気付かなかった。
クマのように大きな影が、少女チャーナ目掛けて飛び降りながら爪を振るう。
十匹を同時に相手していた少年ユーマが叫んだ。
「チャーナ、危ない!」
「えっ? ――いやぁぁ!」
チャーナが叫びながら、頭を両手で抱えてしゃがみこんだ。
近くにいたモクやシーマが息をのんで振り返った。影のクマに攻撃しようとしたが間に合わない。
「逃げてぇ、チャーナぁ!」
パーティーの要である回復士を失ったら終わりだった。
モクは間に合わないと知りながら、それでも身を盾にしてでも守ろうと必死の形相で駆け寄る――。
そこに凛とした声が轟いた。
「火遁――火焔豪雨の術」
真っ赤な炎の塊が、無数の雨となって降り注ぐ。
ドゴゴゴゴゴォォォ!
巨大なクマの影と大木周辺にいた数十体の影を、炎の雨が消し飛ばした。
子供たちが目に涙を浮かべて上を見上げる。
子供たちのいる大木の、隣の木の頂点にエドガーが立っていた。
両手で結んでいた印をほどくと、ぼさぼさ髪に隠れた黒い瞳に安堵の光を浮かべた。
「みんな無事だったっすね。よく頑張ったっす」
「隊長ーっ!」「エドガー隊長!」「エドガーさん!」「うわぁぁん! たいちょー!」
エドガーが一蹴りで地面に降り立つと、子供たちが駆け寄った。
とくに一番小柄なチャーナが勢いのままに、泣きながら抱き着いた。
モクが真剣な顔で尋ねる。
「エドガー隊長、ここはどこなんでしょう?」
「すまねーっす、ちょっとわかんないっす。何かの魔法か儀式っぽいすけど……」
「脱出できそうですか?」
「いや、どこまでも続いてるっす。しばらくは様子見になるっすね」
「そんな……」
子供たちは暗い顔をして言葉を失った。
けれどもエドガーは白い歯を見せて笑うと、励ますように明るい声で言う。
「とりあえずここは危険なんで、もう少し身を守りやすい場所へ移動するっす」
「「「はいっ」」」
それからエドガーの案内の元、森の中を歩いた。
血のように赤い葉が地面に積もっている。
しばらくして小屋ほどもある大きな岩が積み重なっている場所に出た。
エドガーが言う。
「みんなはここに隠れていてくれっす。岩の壁と屋根を使えば、台形陣で守りやすいっしょ?」
「はい――でも隊長はどこへ?」
「とんでもなくやべー奴がいるんで、そいつの様子を見てくるっす」
「え? 隊長でも勝てないような相手、ですか……?」
モクの問いかけに、エドガーは白い歯を見せて笑うが答えなかった。
チャーナが小さな手でエドガーの服をぎゅっと掴む。
「たいちょー、行っちゃうの……?」
エドガーはチャーナの頭をポンポンと叩いて慰めた。
「どれぐらい危険か把握しとかないと、対処が遅れるっすから。大丈夫、必ず戻ってくるっす」
「たいちょー……」
エドガーはモクやユーマを見た。
「外部と連絡が取れるといいんすけどね……1時間、耐えてくれっす」
「わかりました」「やってやるよ」
「それじゃ、頑張って」
エドガーはチャーナの手をほどくと、一蹴りでその場からいなくなった。
後には不気味な森と紫の空が広がる。
子供たちは呆然とエドガーの消えた場所を見つめた。
しかしモクが手を叩いてみんなを促す。
「さあ、陣形を整えよう。あとは交代で五分ずつ休むんだ」
「「「はいっ」」」
子供たちは素直に従って、それぞれの持ち場につくと交代で休んだ。
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一体何が起きたのか。衝撃の事実は次回!
次話更新は、明日予定。
→137.亜空間の強敵!




