129.それぞれの夜
夜の森にフクロウの鳴く声が静かに響く。
俺は屋敷の寝室に入ると、ベッドにリリシアを寝かせた。白い修道服の下で大きな胸が揺れる。
ふにゃむにゃと、眠たげに何か言っていた。言葉になってない。
でも無防備に寝る姿は、あどけないのに色気があった。
俺は隣に座ると、リリシアの頭を撫でながら苦笑する。
「こりゃ、ドワーフ公爵令嬢のヒルダを探すのは明日だな」
俺のつぶやきにリリシアが体を起こした。
不満そうに形の良い眉をひそめて、少し頬を膨らませて俺に近寄る。
「やーです。ますたぁー。今はわたくしだけを見てくださいましー」
「いや、そういう意味じゃ――んっ!」
リリシアが俺の唇をキスで塞いで来た。
生き物のように動く舌が、俺の舌を滑らかに絡み取る。
そのまま押し倒された。
彼女の指先が蛇のように俺をまさぐり、服を脱がしていく。
いつになく大胆だ。
彼女の柔らかな曲線を撫でつつ、耳元でささやく。
「どうした、リリシア?」
うっとりとした微笑みを浮かべて俺を見上げる。
「あぁん、たくましいからだ、優しい顔つき。何もかも好きです、ますたぁっ」
「ああ、俺も好きだぞ……でも、なんか今日は大胆――ん」
また赤い唇で防がれる。
そのままリリシアが上にまたがって来る。熱く濡れた舌を絡ませながら、全身をうねらせて俺を求めてきた。
柔らかな胸が俺の肌の上を滑るように当たってくすぐったい。
――よくわからないが、これもありか。
俺はリリシアの薄い腰に手を当てると、支えるように引き寄せた。
リリシアが細いのどを逸らし、白い翼をピーンと伸ばして喘ぐ。
「あぁ――っ! ますたーっ!」
熱気のこもる夜はまだ始まったばかりだった。
◇ ◇ ◇
一方そのころ。
夕暮れ時のヤマタ国では。
キョウの都にある城の大広間で、ミコトが謁見をしていた。
御簾の中にいるミコトに向かって、部下や役人、侍が報告などをおこなっている。
御簾の中でミコトはつまらなそうに肘をついて座り、何度となく溜息を吐いた。
美形の彼なので、憂う横顔すら息をのむほど美しい。
内心では現状維持の状況に嫌気がさしていた。
――私は、人間の王様になるために生まれてきたわけではないのですがね……。
しかし下手に暴れてアレクを呼ぶことになるのはまずかった。
穏便な態度で謁見を済ませようとする。
それでも名君と呼ばれただけあって、的確に指示や提案を出していく。
下座に控える部下たちが恐れ敬いながらも、その聡明さに感嘆していた。
――と。
一人の美しい中年男性が一歩分にじり寄った。
「お願い申し上げます、ミコトさま。どうか、他国への捜索を許可できないでしょうか?」
「ん? そなたは確か――」
髪を揺らして中年男性が頭を下げる。
「はい、わたくしめは北はエミ(慧美)衆の当主代理でございます」
「ヤマタでも排他的なそなたたちが他国へ出るとはいったいどういうことでしょう?」
「ええ、実は。当主にだけ従うはずの忍犬・氷魔が、逃げ出したのでございます。どうやら他国へ渡った模様。当主の正統性を訴えるためにも、絶対必要な存在なのです。どうか、捜索の許可を」
「なるほど……エミ衆は他といろいろ違う習慣を持っていると存じておりますよ。――ただ、相手は忍犬。人が追うのは難しいでしょう。そうですね……白、いえ赤影、いますか?」
ミコトの呼びかけに、しゅっと赤い服を着た老人が御簾のそばに現れる。
片膝をついて頭を下げる。
「はっ、赤影はここに」
「赤影、エミ衆所属の忍犬を探してきてください」
「やれやれ、ミコトさまは老体に酷なことを申される」
「何を言うのです。そう急ぐこともありませんから、物見遊山がてら各国を渡り歩いてきてくれてよいのですよ」
「ははっ、お心づかい感謝します――ではっ」
赤影の姿が、風と共にしゅっと消える。
ミコトは御簾越しに、切れ長の涼しい視線をエミ衆の男に向けた。
「これでよろしいでしょうかね?」
「はっ、ミコト様のご配慮、まことに感謝いたしますっ!」
美中年は感謝の笑顔で深く頭を下げた。
その時、横に控えた男が大声を張り上げる。
「これにて、本日の謁見を終了といたす!」
その言葉を合図に、人々は去っていく。
ミコトもゆらりと立ち上がって部屋へと向かった。
◇ ◇ ◇
城の中にあるミコトの私室にて、魔王が仁王立ちして立っていた。
高笑いが響く。
「ふははっ! 見るがいい、この完璧な姿を! 聖波気を遮断しつつ、剣を振り、魔法が使える勇ましき姿だぞ! フハハハハッ」
「さすがでございます、魔王様!」
傍に座るゴーブが、感激して言った。
魔王の姿はいつもの黒マントに黒い燕尾服姿とは違っていた。
日焼けした肌に黒いサングラス、ハーフパンツに半袖アロハシャツを着ていた。
髪は整髪料でツンツンに尖っている。
とてもチャラい姿となっていた。
邪神のスクラシスがこたつに頬杖を突きながら、うんざりした視線で彼を見る。
「なによその格好。まさか見せたいものがあるから来いって、それのことだったの?」
「よくぞ気付いた、さすがはスクラシスだな! 肌は聖波気を防ぐ薬を二重に塗り、目は特殊眼鏡で保護する! 重い服だとこすれて薬が落ちるから、できるだけ軽い衣服をまとう! ――どうだ、素晴らしい姿だろう! 発想の勝利、叡智の勝利だ! ふははははっ」
魔王は胸を反らして高笑いした。
スクラシスは肩をすくめる。
「確かにすごいのはすごいんだけどさー。さんざん試行錯誤して、結果できた姿がそれってどうなのよ」
「んんー? どうした? まさか、嫉妬か!? ――ふははっ、遠慮せずとも、貴様も同じ姿になるといい! 意外と爽快で新たな扉が開くぞ!」
「遠慮しとく」
スクラシスは呆れつつ視線を逸らした。
魔王は強面の笑みを浮かべたまま言う。
「では、ちょっと行ってくる」
「え? どこ行くっていうのよ」
「ふふん、研究の成果を試してくるに決まってるだろう? 場所はフォルティスの王都、アレクの店だ! フハハハハッ!」
魔王の発言にスクラシスが驚く。
「えっ!? あんたが試しに行くの? 危険よ。まずは部下で試すべきでは?」
チラッとゴブリンのゴーブを見た。
部屋の隅でかしこまるゴーブも真剣な顔でうなずいた。
「その通りでございます、魔王様。まずは私めが実験台に……」
ゴーブの言葉を遮って、魔王が胸を張る。きらりとサングラスのふちが光った。
「なにを言う! 我輩がアレクを恐れる臆病者とでも言いたいのか!? それに万が一失敗だったとしても、我輩なら奴の聖波気から逃れられる手段がある! みすみす部下の命を失うわけにはいかん!」
ゴーブが感激して目を潤ませる。
「ま、魔王様……そこまで私たちのことを心配して」
「そりゃあ、前回も耐えてるけどさぁ……心配しちゃうわよ――あっ! べ、別にあんたなんかどうなってもいいけどさ、仲間としてよ、あくまで仲間としてっ」
スクラシスは整った顔を赤くしつつ俯いた。紫色の髪が頬を隠す。
しかし魔王は鼻で笑い飛ばした。
「ふんっ。上に立つものが率先して動いてこそ、下の者たちがついてきてくれるのだ。これは我輩がやらねばならん試練なのだよ、わかるか?」
「そこまで言うなら仕方ないわね。気をつけて行ってきなさいよ」
「言われるまでもない! 勇気ある失敗を積み上げてこそ欲しいものが手に入るのだ、ふははっ」
尖った犬歯を光らせて、強気な笑みを浮かべる魔王。
ゴーブが涙を浮かべて見上げる。
「さすがでございます、魔王様! 一生ついていきます!」
「ふふん、任せておけ! では、行ってくるぞ」
魔王はきびすを返して入り口へと向かった。
すると、ちょうど引き戸が開いて邪竜王ことミコトが入ってきた。
女性のように華奢で美しい、長身の優男。艶やかな黒髪が結い上げられている。
通った鼻筋に切れ長の目は、憂いが美貌を引き立てていた。
ミコトは扉前から一歩よけつつ目を向ける。
「どこへ行かれるのです?」
「ふふん。ちょっとアレクのところにな」
「その格好で?」
ミコトは訝しそうに目を細めつつ、チャラい姿をした魔王を上から下まで眺めた。
魔王はアロハシャツの裾を揺らして力強く胸を張る。
「この格好だからこそだ! フハハッ!」
「そうですか。……まあ、何か勝算がおありなのでしょう。お気をつけて」
「うむ。行ってくる! 貴様も遠慮なくこの姿になるとよいぞ、フハハハハッ!」
魔王は高笑いをしながら部屋を出て行った。
静かになる室内。
ミコトが溜息を吐きつつ、壁際の書院机に向かった。
ふと目を向けると、スクラシスが頬杖をついてニヤニヤ笑っていた。
「なんです?」
「ミコトがあの格好したところを想像したの。案外似合ってるかもよ?」
「やめてください。品性まで失いたくないですよ」
ミコトは書院机に座ると、書類を広げた。
スクラシスを無視してさらさらと筆を走らせていく。
スクラシスは小さくなって正座するゴーブに目を向けた。
「これからは魔物たちみんな、魔王みたいな格好になるの?」
「いえ、スクラシス様。鎧を好むもの、魔王様スタイルを好むもの、独自の改良を重ねるもの、様々でございます」
「そうなんだ。魔王に合わせるのかと思ってたわ」
「身長も体格も、翼や腕の数などいろいろ違いますので。魔王様は、それぞれが自分に合わせてカスタマイズしてこそ聖波気対策の発展につながるとのお考えです」
ゴーブが鞄から書類を取り出した。
ささっと書かれたファッションスタイルの描画。青赤黄色に白と黒の肌。様々な肌の色に合わせて、デザインされた服が描かれている。
スクラシスが紫の目を丸くしながら、イラストを手に取っていく。
「へぇ……いろいろ考えてるのね――あっ……この格好」
書類をめくる手が止まる。一枚の紙に目を止めていた。
ゴーブが追従の笑みを浮かべて揉み手する。
「お気に召しましたでしょうか? 聖波気を防ぎつつ本性を隠すファッションとなっております」
「ふぅん。面白いデザインね。悪くないセンスだわ。ちょっとやってみようかしら――ミコトはしない?」
ひらひらと紙を見せつけるスクラシス。
ミコトはチラッと最小限の動きで紙を見てすぐに書院机へと視線を戻した。
「……まあ、暇で暇でどうしようもなければ、考慮いたしましょう」
「決定ね――でも、アタシならさらに~」
スクラシスはニヤッと笑うと、イラストに手を加え始めた。
ゴーブは汗を浮かべつつも、改良に助言をしていく。
ミコトの私室はいつになく楽しい雰囲気に包まれていた。
いつもブクマと★評価ありがとうございます!
次話は三日後ぐらいに更新。




