106.巨大ワンコ出現!
森の屋敷に心地よい朝日が降る。
まだ半覚醒のまどろみの中にいる俺は、リリシアとベッドの中でゆるゆると抱き合っていた。
シーツの代わりにリリシアの白い翼が二人を包んでいる。
すると裸のリリシアが俺の胸の上で、はぁっと小さなため息を漏らした。それだけで大きな胸が柔らかく揺れる。
「ああ、この逞しい年配のご主人様は今日でお別れなのですね……」
「おっさんが相手なんて、イヤじゃなかったのか?」
「それはありません! 見た目より若くて誠実さを感じられるお姿、嫌いではなかったです……好きでした」
「うーん、だったら若返るのを辞めてもいいな」
冗談として軽い口調で言ったが、リリシアが白い翼をバサッと広げて抗議してきた。
密着していた温かい空気が逃げて肌寒くなる。
「ご主人様っ、いやです。ずっと傍にいてくださいっ」
涙を浮かべて裸体のまましがみついてくる。すべすべした白い肌が心地よい。
あまりの真剣さに、俺は上に乗るリリシアの頭を撫でて慰めた。
「わかってる……傍にいよう、永遠に」
「ぐすっ……嬉しいです、ご主人様ぁ」
リリシアが柔らかな胸を押し付けるようにのしかかってきた。すらりとした脚まで絡めてくる。
ベッドの上で華奢な彼女を抱きつつ、そっと顔を近づけた。
「リリシア……」
「ますたぁ……」
鮮やかな朝日の中で、一片の曇りもない素肌のリリシアを抱き寄せる。
そして、大きなすみれ色の瞳が彩る、整った顔立ちに顔を近づけていく……。
――が。
突然、屋敷が赤く光った。
ベッドわきのテーブルに置いた子機が震えだす。
『わーにん! わーにん! わーにんにん! ちくわと鉄アレイが親の愛情でござる、の巻です~にんにん!』
うるさい呼び出し音を止めるため、子機を手にとって耳に当てた。
「どうした、コウ? またダンジョンか?」
『ますたー、ちゃうです! 庭に魔物がやってきたですー! モンスターをハンターしてです~』
「なっ、マジか! すぐ行く!」
俺は急いで服を着ると、壁に立てかけていた剣を持って外に向かった。
リリシアはベッドの上で、少し遅れていそいそと下着を身に付けていた。
朝日の照らす屋敷の庭。
俺は剣を構えつつ、庭にある菜園の間を歩いた。
ただ、魔物の姿は見えない。
「……どこだ?」
首をかしげながら見回っていると、屋敷の玄関から白い修道服を乱してリリシアが出てきた。
長い銀髪が後ろになびいている。
「ご主人様! あそこです! 魔物はあそこにいますっ!」
リリシアが指さす周囲の森を見た。
すると青空をバックにして、樹氷のように凍り付いた大木の頂点に大きな狼が佇んでいた。
凍り付いた木は雪エルフのテティが魔法を練習したためだろう。
銀色の毛で覆われた狼は俺と目が合うと、太い前足で氷をトントンと叩きつつ、鋭い牙の並ぶ口を開けて朗々と声を響かせた。
「貴様がここの主人か? ……この木を凍り付かせた、我が主を呼び出してもらおうか?」
「何だって! 何をする気だ!」
「安心しろ、聖なる者よ。害を与えたりはしない。ただ我が主に仕えたいだけだ」
「仕える……?」
――雪エルフのテティに仕えるって言うのか?
狼の獰猛な顔つきを見ていると、にわかには信じられなかった。
俺が首を傾げたとき、屋敷からそのテティが飛び出してきた。
「あたしに何か用!? 悪さするなら、やっつけるんだから! ――出でよ、氷弾!」
庭に足を踏み入れたテティは、足を肩幅に開いて右手を前に出した。
手の前に青い塊が生まれる。
ただ屋敷の周囲、それも樹上では距離があった。
果たして届くのか?
次の瞬間、狼が踏んでいた足元の樹氷から氷の弾が飛んだ。
――えっ? そっち!? 完全な不意打ちだ!
達人でもよけられないだろう。
しかし、狼が樹上から飛んだ。
巨体にぱしぱし当たる氷の弾などものともせず、ものすごい勢いでまっすぐにテティへ飛ぶ。
――早いっ!
「テティ――ッ!」
俺は聖波気を圧縮しつつ駆けた。四肢が限界を超えて動く。
だが、狼が早すぎて攻撃できない。
テティと狼の間に体を入れて、身を盾にして彼女を守るので精いっぱいだった。
――が。
攻撃されるかと思ったが、代わりに後ろから狼の声がした。
「ほう。我の速度を超えるか。しかも身を挺して長を守る。さすが聖なる者だ」
肩越しに振り返ると、狼はすぐ傍に着地していた。白い牙の並ぶ口が開いて血のように赤い口内が覗いた。
「ひぃっ」
俺の正面にいるテティが体を震わせて怯える。
「逃げろ、テティっ」
「あ、あ……」
細い足がガクガクと震えている。恐怖で動けないらしい。
しかし狼はその巨体を横にしてゴロンと寝転がった。
「さあ、我が主よ、もふもふするがよい」
「へ……?」
戸惑うテティや俺たちを無視して、狼は口の端から赤い舌を出して、はっはっと息をしながらお腹を向ける。
一瞬、何が起こったかわからない。
どうしていいかわからずただ見ていると、テティが前に出て恐る恐る手を伸ばした。
「う、う……うわぁ! 外側の毛はバシバシしてて剛毛だけど、お腹側の毛は柔らかくて気持ちいいっ!」
テティは満面の笑みを浮かべると、大きな狼のお腹を両手で揉むように触った。
狼はまんざらでもない様子で、赤い舌をはっはっと出しながらされるがままになる。
この様子だけ見たなら、ただのでかいワンコだった。
敵意がないようなので安心するものの、疑問が湧いて首をかしげる。
「ていうか。なんでこいつ、聖波気浴びて大丈夫なんだ……? 魔物だろ?」
俺の疑問に、横にいたリリシアが指眼鏡をして叫ぶ。
「ご主人様! あの狼はただの魔物じゃありません! 氷魔銀狼です!」
「なんだって!?」
「フェンリルは魔獣とも神獣とも呼ばれます……」
フェンリルは寝ころんで腹を撫でられながら、顔をこちらに向けた。
「左様。我はフェンリル。よく知っておるな。さすがは地に堕ちたとはいえ、天使であるか」
「リリシアのことまで見抜いただって!?」
この狼、ただ者じゃない。
それに敵ではなさそうだと思って事情を尋ねた。
「いったいどういうことなんだ? なぜテティを主や長と呼ぶんだ?」
「この娘はテティと言うのか……よかろう、教えて進ぜよう。我は太古の昔にこの娘の一族と契約を交わしたのだ。一族の長としてふさわしい者に守り仕える、とな」
「そうだったのか……テティが氷魔法を習得したから現れた、と」
「そう言うことだ……まさか、こんなにも遠い西の果てに次代の長がいようとは。我でも予想外だったぞ」
「ふうん、なるほど。じゃあ、これからはテティを守ってやってくれよな。お前がいない間、いろいろ大変な目に遭ってたんだから」
「なんと! そうであったか……」
フェンリルは悔しそうに歯ぎしりする。
でもテティは可愛い顔をして笑った。
「ううん、来てくれただけで嬉しい! アレクさまに守ってもらえてたし、好き勝手生きてきたから心配しないでっ」
テティの言葉にフェンリルは、白い牙をのぞかせて口角を吊り上げる。笑ったらしい。
「優しい長だ……我が全力を持ってお仕えすることにしよう――ただ、見たところ氷雪魔法を正しく習ってはおらぬ様子。教えて進ぜよう」
「あはっ、ありがとっ」
テティは真っ白なお腹に細腕を回して、ぎゅーっと抱き着いた。
狼の尻尾が幸せそうにぶんぶんと揺れる。
口調は尊大で偉そうなのに、ただでかいだけのワンコに見える。
俺は苦笑しつつ、閃きを口にした。
「ああ、そうだフェンリル。ちょっと頼みがあるんだが……」
「貴様の願いを聞き届けるいわれはないが……」
うっとうしそうに顔を歪めるフェンリルだったが、テティが顔を上げて口添えしてくれた。
「アレクさまが助けてくれなかったら、アタシ死んじゃってたかもしれないんだよ? 彼のお願いを聞いてあげて欲しいな?」
「う……わかった。仕えるべき長を守ってくれて礼を言おう。我にできることであれば、力にもなろう」
「ああ、大したことじゃないんだ。今度、ここを聖域に認定してもらおうと思って。その時、フェンリルじゃなくホワイトファングのふりをして欲しいだけだ」
「むぅ……我があの卑小な白狼のふりをするなど……」
牙をむくフェンリル。
だがテティがフェンリルのお腹を、ぐぐっと抑える。
「いいじゃない、それぐらい! それに聖域認定されたら、あたしと堂々と一緒にいられるよ?」
「なるほど……一時の恥は一生の得か。わかった、協力しよう」
「ありがとな。ただ、毛色が違うな……何だったら、白い絵の具を買って来てやるが……」
「体を白くすることなど、心配無用――霜防御」
フェンリルが呪文を唱えると、真っ白な空気に包まれた。
そして体を覆う銀色の毛が、瞬く間に白く染まっていく。
「霜か」
「そうだ。これでホワイトファングと見間違うだろう?」
「ああ、よくできてる」
精悍な体付きだったフェンリルは、霜に覆われたために少しふっくらしていた。
冷たい肌触りが心地よいのか、テティはますますフェンリルの毛に顔をうずめた。
まあ、テティ本人がいいのなら、それでいいのだろう。
俺はフェンリルに言った。
「じゃあ、その時はよろしく」
「うむ」
俺は軽く挨拶すると、リリシアを連れて屋敷に戻った。
テティはまだ嬉しそうに狼のお腹をモフモフしていた。
……ちょっと俺も触ってみたかったが、あの態度からしてきっとダメだろうなと思った。
屋敷の廊下を歩いて食堂に向かっていると隣を歩くリリシアが声をかけてきた。
「朝食の後はどうされますか、ご主人様?」
「もちろん、奴隷商だ――若返るぞ」
「……はいっ、ご主人様っ!」
リリシアが喜びを噛みしめつつ、軽い足取りで先に食堂へと入っていった。
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