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バイブルプログラマー  作者: 伊達蛇足
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創世記1節

 ドラゴンが空想の生き物だったのは、俺の祖父がまだ子供だった頃。今と変わらず、信じてる神様が違うとか、金持ちが憎いだとか、小さな地球の資源と科学技術を浪費する小競り合いが大きなうねりとなった大戦よりも昔の事だった。

 ドラゴンや太古の生き物の背中に乗りたい、水槽でクジラを飼ってみたい。当時の少年なら、誰もが一度は想像したであろうそんなファンタジーな世界を、祖父は少年のまま大人になり実現させてしまった。

「いいか、智樹。夢も憧れも頭の中にあるから美しいんだ。頭の外に飛び出した夢や憧れは、他人の手に汚されて、その輝きは錆びた銀スプーンの様に朽ち果てる。頭の中の美しい景色を決して蹂躙されることがないように、夢は夢のまま大切にしまっておきなさい。」

 自分の夢を叶え、理想を形にした祖父は幼い俺に口癖のように言い聞かせた。国際裁判所で、死刑の判決が出た時も、処刑前に痩せこけたボロボロの体で最後に会った日も、その瞳だけはその奥に煌々と輝く炎のような力強さを含めて語って聞かせた。幼かった俺には、いつも優しい爺がその話をするときだけは世界を恨んでいるような怖い顔になるので早く終わって欲しいと願いながら聞き流していた。

 だが、俺はその言葉をもっと胸に留めておくべきだった。

 親代わりに俺を育ててくれた祖父と同様に、この世に生を受けた全ての生物の敵である父と同様に、俺もまた大罪を犯した。


 俺たちの身体には、世界にとって罪深い悪の遺伝子がプログラムされている。


 社会の歯車から外れ、眠る時間を決める生活とは無縁な俺は、夜は眠くなるまで本を読んでいるか地下室の研究部屋でコーヒーを飲んで朝が来るまでには眠るというような過ごし方が多い。

 だからというわけではないが、静かな夜には僅かな音にも敏感に反応する。故に、読書の邪魔になる古い換気扇から風が漏れてくるような不愉快な音が、窓の外から聞こえた途端に地下室の扉を本棚で隠しておくことを忘れなかった。

 停車している機関車が深呼吸をするように、バフゥーバフゥーという風の音が近づいてきて一定の大きさになるとしばらくして、もう長いことなることがなかったチャイムが鳴る。

「急患!スグ診ルヲシテクレ!」

 ドンドンと乱暴に叩かれる扉の向こうから、悲痛に焦る異国の言葉が聞こえてきた。

「……俺ハ、君ノ言葉ヲ得意スルヲシテイナイ。コノ国ノ言葉ハ使ウヲ出来ルカ?使ウヲ出来ナイナラ、文字ヲ書クヲシテ」

 玄関の向こうには、肩で息をする5歳くらいの子供を抱えた軍服姿と背後に黒いドラゴンの影が見えた。

 苦しむこの子も、この軍服姿の奴も容姿は俺らと同じ旧人類だが、放たれた言葉はアンエイドスのものだ。アンドロイドやAI、遺伝子改良生物など定型的な容姿を持たない人々アンエイドスが共通言語としている16音は16進数による情報処理したコードをそのまま読み上げる高速伝達言語だが、使い慣れていない俺では耳で16種類の音だけで構成される情報を正確に聞き取ることが難しい。あまりの長文となるならば、文字媒体でないと症状すら聞き取る自信がない。

「失礼した。何分、長いことこちらの言葉を話していない上、見ての通り急患なのだ。この子をどうか楽にしてやってくれ!」

 急患を楽にしてやってくれ。アンエイドスの宗教か何かの表現なのか、それとも俺たち旧人類の言葉の意味を心得ているのだろうか。

「『楽にしてやってくれ』は言葉が不自由が故の表現か?それとも……そういうこととして受け取ればいいのか?」

「……そういう意味で捉えてもらって構わない。この子にどうか安らぎを」

 軍帽の中に隠されている幼さが残る顔には不似合いな白髪は、荒くなった呼吸と共に僅かに蛍光色に発光している。発光する毛髪、長距離飛行式のドラゴン、軍国主義を記号化したような軍服、虐げられた「物」の言葉。

 こいつは知っているのだろう、実験生物の自分たちが治療を受けられないことを。そして、俺がこの子を治療してはいけないことも。

「詳しく聞かなければ、どうしてやることもできない。辺境のこんなところであっても、俺は常に監視されている。ましてアンエイドスの解放軍を手助けしたとなれば一晩のうちに軍が向かってくる。」

「そうか……では、この話聞かなかったことにしてくれ。どうかこの子を見なかったことにしてくれ。亡骸となってまで奴らの餌にされるなど、そんな惨い仕打ちを受けなければいけない云われなどないのだから……。」

 軍服姿は子を抱えたまま、身を翻す。その背中と言葉の折々に悪意に対する恨みが感じ取れる。

「餌ということは、その子供はオリジナルコードを持っているということか?」

「答える意義があるのか?」

 お前に教える必要がないと言わんばかりだ。

「いや、ない。こんな辺境に軟禁されている俺にはどうでもいいことだ。ただ……なら、国境を越えた時点で当局にはその子供の存在は知られていると考えて行動するべきだ。」

「どういうことだ?」

「知っての通り、未解析の遺伝子コードは一国の軍隊の火力に相当する脅威だ。生命活動が停止する物理的な破壊以外で人が病まない、死なない今、治療法が確立されていない未知の生物兵器や生産性が高い食料の品種改良などその価値は測り知れない。各国が血眼になって探し求めている。国内には、データベースに未登録の遺伝子を発見し次第当局に信号が飛ぶように衛星が常時スキャニングしている。」

「なんということだ……私は、私は悪戯にこの子の苦しみを大きくしてしまっただけなのか。」

 膝から崩れ落ちた衝撃で軍帽が外れ、蛍のように規則正しく点滅する長い髪が床を撫でた。

「俺と、取引をしないか。」

「取引だと?旧人類の腐った世界の犬が何ができるというんだ?」

「何かできると思ったから、お前は俺の元を訪ねたのだろう?その子から、オリジナルコードを消去してやる。明日の朝には到着するであろう腐った世界の軍人たちに、そんな危ない情報源を見つけられたら俺が困るからな。そのついでに……その症状が間違って消えてしまう可能性は否定できないがな。俺は犬だ。医者じゃないし、精密機械でもないからな。不器用なんだよ。」

「治療してくれるのか?」

「治療じゃない、俺にとって危ない遺伝子情報をその子から消すだけだ。そして、お前が俺の条件を飲むかによることも忘れるな。」

「対価は用意してある。67年前に最後の南極観測隊が持ち帰った永久凍土から培養した400種の未解析ウイルスと放線菌だ。対戦混乱下で調査船団そのものの存在が曖昧となったため、遺伝子解析は行われていないと約束しよう。」

 400種だと?

 遺伝子治療が常識となった現代では、アンエイドスと俺たち人類の戦争は始めることすら馬鹿らしいほど圧倒的に人類が有利だ。腕が千切れようが、病に伏せようが、生きているうちに治療を始めれば人は元通りに再生できてしまう。遺伝子治療を受けることができない新人類は、俺たちを殺すためには即死の重症を与えるか極めて致死性の高い病原菌をその遺伝情報が解析されるよりも前に罹患させるしかない。そんな中で、未解析の遺伝情報は例え有用な情報を持っていなかったとしてもその一つで一生遊んで暮らしていけるだけの金銭で売買される。

 アンエイドスにとって、唯一の切り札といえる未解析の遺伝子情報を400種も簡単に人類である俺に渡せる立場となると、亡命者かあるいは極めて階位の高い人物ということになる。どちらにせよ、深く関わると危険なのは間違いない。

「そんなものはいらない。売りつける相手は、もう少し金にがめつい輩に当たりをつけろ。俺の求める条件は二つだ。一つは、夜明けと共にここを去ること。」

「約束しよう。私たちは、ここを夜明けと共に去ろう。して、もう一つはなんだ?」

「もう一つは、あのドラゴンを治療させろ。」










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