1-15 蜥蜴人
――蜥蜴人が、三体。
姿を現したモンスターに対して、サラは剣を引き抜いた。
俺も一言、術式名を呟く。
「《スピーディンクリース》」
名前の発音を鍵として、支援術を発動。
サラの体を一瞬、薄く青い光が包む。
彼女はちらりと肩越しに俺を一瞥したので、俺はこくりと頷いた。
「速度上昇の支援術だ。蜥蜴人の武器は速さだ。油断はするなよ」
「分かった――はぁっ!」
裂帛の気合と共に、蜥蜴人たちへと左から回り込むように突撃していく。
俺の支援の効果もあり、サラは目にも留まらぬ速度で左側の蜥蜴人の懐まで踏み込んでいた。
蜥蜴人たちが驚きの鳴き声を上げた時には、すでにサラの剣は蜥蜴人の首めがけて剣が振るわれている。鋭い剣閃は、しかし金属音と共に阻まれた。
「剣……!」
サラは表情を険しくする。
蜥蜴人たちはそれぞれ、錆びたり欠けたりしている古びた剣を持っていた。
おそらくは死んだ冒険者たちの遺品だろう。
迷宮内で死体と武器を見つけたか――あるいは、彼らが殺したか。
サラはその事実に気づいたのか、一瞬だけ、その剣に目が釘付けになる。
「――サラ!」
咄嗟に俺が声をかけると、彼女は辛うじて我を取り戻したようだった。
迫りくる三つの斬撃に対して、跳躍して後退することによって対処する。
だが、蜥蜴人の動きはサラの想定に反して止まらない。
「――速っ!?」
サラは慌てて体勢を立て直し、剣を打ち合わせる。
蜥蜴人の動きは速さだと伝えたが、身を持って体感しないことには理解できない。
それは、サラの速さに対する基準があくまで人間になっているからだ。
敵はモンスター、人外の存在だということを思い出してもらわなければならない。
俺の支援術でサラの速度も上がっているけれど、蜥蜴人には及んでいないのだ。
しかし――所詮は上層中盤から中層で出現する程度のモンスター。
「落ち着け、サラ。確かに速いが、そいつらは剣をまともに使えない」
後方からアドバイスを送る。
俺の言葉を聞き、攻撃の対処に追われていたサラは落ち着きを取り戻したようだった。
蜥蜴人の動きは確かに人間を越えているが、あくまで脚力の話に過ぎない。
でたらめな形で振るわれる剣の剣速が熟練の剣士よりも速いわけがなく、動きも単純で読みやすいはずだ。相手はモンスターであり、人間ではないのだから。
……まあ、人間並みの知能があるモンスターも下層には出現するけれど。
「――《ファティグリケレス》」
ともあれ、いくらサラでも蜥蜴人が三体同時となると苦戦を強いられるようだった。
練度にどれだけの差があっても、人数の差というのは埋めがたい。
パーティにタンクがいれば、モンスターのタゲを取ってくれるのでまた違うのだけれど。
現状、俺たち二人しかいない以上は、俺たちで対処するしかない。
ゆえに俺が発動したのは――対象の疲労を増幅させる支援術だった。
その対象とは当然サラではなく、蜥蜴人三体。
正確に言えば支援術ではないかもしれないけれど、分類の関係上、支援術とされている。
まあ敵の力を削ぐことも、味方への支援であることに変わりはないか。
俺の職業は支援術師。バッファーであると同時にデバッファーでもあるのだ。
「破神流剣術三式――《連続剣》」
突発的な疲労によって隙ができた蜥蜴人たちを、サラが見逃すはずもなかった。
電光の如く閃いた剣撃が、二体の蜥蜴人の首を一瞬にして刈り取っていく。
血飛沫が舞った瞬間、最後の蜥蜴人の瞳は首を失った仲間たちに奪われた。
サラは今にも崩れ落ちる蜥蜴人たちの反対側――最後の蜥蜴人の死角へと瞬間的に潜り込み、下段から逆袈裟斬りに剣を振るった。
一瞬の早業だった。
三体の蜥蜴人が崩れ落ちていく。素人目には同じタイミングに見えるかもしれない。
「……ふぅ、危なかった」
サラは汗を拭いながら剣を収める。
その間に、リザードマンの死体は淡い光の粒となって宙に溶けていった。
後には、悪くない質の魔石だけが残る。
座り込んで休憩するサラを労いつつ、俺は転がる魔石を回収した。
魔石は大きさの割に意外と軽いが、それでも数が増えていくと当然重くなり、三十、四十個ぐらいになると流石にそれをバッグに詰めて移動するだけでも疲れてくる。
だから中層以降まで潜るパーティは、魔石や荷物の持ち運びや、魔石回収や料理などの雑用などを担当する――いわゆるサポーターをつけているところも多かった。
『勇気あるもの』も下層に遠征する時は、何人かのサポーターを頼んでいた。
ただ下層クラスになると、戦闘に参加せずただついていくだけでも非常に危険なので、サポーターにも一定の能力が要求される。ゆえに下層を目指す中堅パーティのリーダーなどに、下層の経験を積ませるなどの名目で借り受けることが多かった。
中堅パーティのリーダー側も、下層の経験を得られるなら――と喜んで参加してくるので、お互いにメリットは大きい。
まあ俺たちのような上層を狩り場にするパーティには気が早い話だけれど。
「暑いね……」
「そうだな」
サラは戦闘直後だからか、胸元をぱたぱたと手で扇いでいる。
そのせいでサラの薄い胸が若干見えそうになって、俺は慌てて目を逸らした。
サラぐらいの大きさでも、意外と谷間というのはできるものらしい。
「どうしたの?」
「いや……何でもない」
純真そうに小首を傾げるサラに、俺は言葉を濁す。
何だか罪悪感があった。言い訳をさせてもらうと、サラが無防備すぎる。
それはともかく、じわり、と首元に汗が滴る感触があった。
言われてみれば確かに、この階層は少し暑いかもしれない。
迷宮内は階層によって気温は異なるけれど、大部分は適温に保たれている。
この上の地下九階層は霧に包まれていたので若干寒く、湿度も高いのでじめじめとしていたけれど、この階層は少しだけ暑い。
戦闘で動き回ったサラは、余計にそれを感じているのだろう。
「《クーラー》」
だから俺はサラに支援術をかけてやった。
《クーラー》は言葉通りと言うべきか、対象に程々の冷却効果を与える。
この手の支援術は気温が極端な階層では重宝する。
……まあその分、パーティ全員に支援をかけ続ける俺も疲労するけれど。
「涼しい! ありがとう!」
サラは嬉しそうな笑顔を見せた。
バッグの中から取り出したタオルで汗を拭い、再び立ち上がる。
「うん、休憩終わり! それじゃ、先に進む?」
「そうだな。サラがもう大丈夫なら、進むことにしよう」
「分かった! 頑張ろうね!」
「と言っても、この先は一本道だけどな」
「そうなんだ?」
「ここは地下十階層だからな。一つの区切りってやつだ」
「?」
首を傾げるサラ。
だが、まあ説明するより見てもらった方が早いだろう。
しばらく一本道を進んでいくと、通路の幅が広がり、なんだか立派な道となった。
その数十メートル先には、不思議な紋様が刻まれた両開きの扉が存在する。
「何だろう?」
「――迷宮の『試練』さ」




