1-14 迷宮の神秘
酒場でエルたちと遭遇した翌日は休養日としてサラを休ませるついでに、あの宿で暮らす上で必要な生活用品や服などを適当に市場で買い揃えた。
『勇気あるもの』のパーティハウスでは共用のものも少なくなかったので、宿を借りて暮らすためには、新しく買わないと不便なものもあったのだ。
俺がそうやって買い物をしている間、サラはどうやら昼まで寝ていたらしい。
しかし、起き上がった後は宿の裏庭で剣を振るっていた。
どうやら日課の鍛錬らしい。やりすぎると休養の意味がないが、程良い運動はむしろ体力の回復を早めることもあるし、向上心があるのは当然悪いことではない。
そんな感じのゆったりとした休日を過ごし――そして日は落ち、また日は昇る。
体調を整えた俺とサラは、万全の状態で迷宮に潜っていた。
今日の目標は上層中盤までの踏破だ。つまり具体的に言えば、地下十階層。
たった一度しか潜ったことがないパーティとしてはなかなか挑戦的な判断ではあるけれど、俺はすでにサラの実力を知っている。
それを考えれば、むしろ慎重すぎると言われてもおかしくはない。
現に俺たちは――すでに、地下八階層まで踏破していた。
五階層を越えたあたりから出現するモンスターも若干強くなるのでサラは慎重に戦ってはいるが、今のところ苦戦することはなかった。
最短ルートではなく、一応いくつか階段に繋がるルートなどを教えながら進んでいるので時間はかかっているが、三時間で地下八階層ならまずまずの速度だろう。
「お腹空いたね……」
「九階層に繋がる階段の近くに、小部屋がある。そこで昼飯がてら休息を取ろう」
「分かった!」
サラは元気よく頷きながらも、周囲の警戒は怠っていない。
まあ上層のモンスターは分かりやすい足音を立てて出現するタイプが多いのであまり警戒はいらないのだけれど、中層に行けば奇襲を仕掛けてくるモンスターも増えてくる。今から警戒を怠らないくせをつけておくのは必要なことだ。
「ここだ」
ともあれ俺たちは地下九階層に繋がる階段を見つけると、その脇にある小部屋に入った。
見つけにくい場所にあるけれど、階段付近はモンスターの出現率がなぜか低いので、その周辺の小部屋や岩陰などは冒険者たちの休憩所としてよく活用されている。
ちょうど昼飯時だし、このあたりを縄張りにするパーティがいてもおかしくない。
……とは思ったけれど、今は誰もいないようだった。
まあ迷宮内は広いからな。
それに、パーティ間のトラブルも避けられるので、いない方が嬉しい。
「よっこらせ……と」
「ロイド、おっさんみたいー」
「やかましい」
なぜか笑っているサラに苦言を呈しつつ、俺は壁に背を預けて座り込む。
そしてバッグから弁当を取り出した。
ハムと野菜を挟んだだけの簡素なサンドイッチだが、十分に美味い。
ちなみに宿の店主に金を払って頼んでおいたやつだ。
俺の倍ぐらいの量を軽々と腹に吸い込んでいくサラを眺め、食後も数十分の休憩を取る。
そして俺たちは地下九階層に向けて歩き出した。
「驚くと思うぞ」
「どういうこと?」
「地下九階層は――ちょっと面白いからな」
つまりは見れば分かる。
小首を傾げるサラを連れて階段を降りると、そこには不思議な現象が広がっていた。
周囲一帯を覆い隠すようにうっすらと広がる、白い何か。
「霧……!?」
サラはあんぐりと口を開けている。
地下の空間にこれだけの霧が蔓延することなど、普通に考えればありえない。
だが――この先、迷宮内にはこれ以上の神秘が溢れている。
地下九階層は、まずはその神秘の洗礼とでも呼ぶべきだろうか。
前に進むことすら躊躇われる濃霧。その中へと、俺は一歩足を踏み出した。
「ね、ねえロイド……!?」
「大丈夫だ、俺が先を歩く。お前は俺の背中を見失うなよ」
いくら濃霧とはいえ、流石に周囲一メートル前後なら何とか把握できる。
こういう場所は盗賊やレンジャーの技術を持つ者がいれば難なく踏破できるのだが、俺 には支援以外のことはできないので、経験則に頼るしかなかった。
ちなみに、風属性の魔法使いが霧を吹き飛ばしながら進むなどの方法もある。
「ロイド、分かるの?」
「この階層は何回も通ってるからな。見えなくても、だいたい分かるんだよ」
そもそも完全に見えないというわけではない。
見えづらくとも、周囲一メートル前後は分かるのだ。
なら、その度に記憶と照合して誤差をなくしていけば、時間はかかっても踏破できる。
「え……そういうものかな?」
サラが信じられないような目をしているが、下層まで潜ったことのある冒険者はこの程度のことは当然できる。そうでなければ、何度死んでいてもおかしくない。
とくに俺は戦闘能力が皆無に等しい支援術師だ。それでも迷宮の性質上、分断される罠などに引っかかり、単独行動を余儀なくされることはある。
俺も単独でモンスターに接敵した時のためにいろいろと準備をしてバッグに詰めてはいるけれど……結局のところ、仲間と合流できなければいずれは詰みだ。
そういう状況になった時、脳内でマッピングぐらいはできないとどうしようもなかった。
「わたしも……覚えないと!」
そんな感じの話をしたところ、サラはごくりと息を呑み、なぜかやる気を出した。
急に周囲をきょろきょろと見回し始める。
だが……それはあまり意味がなさそうだった。
「もう階段に着くぞ」
「ええっ!?」
まだ十数分しか歩いていないけれど、すでに地下十階層に続く階段に辿り着いた。
難易度の調整でもしているのか、地下九階層は濃霧に包まれている代わりに、いくつか行き止まりの広場へと続く分かれ道があるだけで、後は直線だ。
脳内でマッピングができなくとも、分かれ道の正しい方向だけ覚えていれば何とかなる。
ちなみに右、左、右だ。
この階層では行き止まりの広場にしかモンスターが出現しないので、そこに行かなければ戦闘時間もかからない。だから十数分で踏破できたのだ。
ちなみに広場に向かうと、濃霧の中でファングボアーという巨大な牙を持つ猪のようなモンスターとの戦闘を強いられる。
直線的な突進ばかりをするモンスターで普段なら雑魚も同然だが、濃霧の中となれば話は別だ。敵の位置は見えず、足音も迷宮内を反響するので正確には掴みづらい。
しかしファングボアーは匂いで敵を捉えているので、獲物の居場所が分からないということはない。
だから圧倒的に不利な戦闘を強いられ、何人もの新人冒険者が犠牲になってきた。
危険度が高い割には魔石の質も低く、わざわざ狩りに行く価値はない。
まあファングボアーはそれほど早いわけではないし、サラなら近づいてくるまで気づけなかったとしても、急回避して斬りつけるぐらいの能力はあるだろうけれど。
「こういう不思議な階層もあるんだね」
「下に進めば、わけのわからない階層はもっと増えるぞ」
たとえば地下三十二階層。
あの階層は、端的に言えば――砂漠だ。
迷宮内でなぜか天井は見えず、その代わりに青い空と太陽が浮かんでいる。
しかし、偽物と考えるには陽射しが熱すぎるのだ。
たとえば地下四十三階層。
何とも表現しづらいが、一言で説明すると水中である。
階層ごと、水没しているのだ。
ゆえに魔法か支援術、魔道具で水中でも呼吸できるようにしなければならない。
水棲のモンスターに襲われるため、泳ぎが下手な場合も詰みだ。
際立って不思議なのはこの二階層だが、他にも神秘が猛威を振るう階層はある。
上層ではこの地下九階層ぐらいにしか存在しないのが救いだけれど。
ともあれ俺たちは、先ほどとは打って変わって普通な地下十階層を進んでいく。
サラに道を教えつつ進んでいくが、流石にそこまで順調にいくはずもない。
木々なども疎らに生えた広い空間。その奥から、モンスターの足音が聞こえてくる。
「ロイド」
「ああ、やるぞ」
――姿を見せたのは、堅そうな鱗を持ち、二足歩行する半人半獣の怪物。
上層中盤から中層にかけて出現する、蜥蜴人というモンスターだった。




